私の結婚観(名前の話).
苗字変わんないの?
結婚してしばらくの間、耳にタコができるほど質問される毎日を送っていました。
というのも、私は結婚した今でも旧姓を名乗っているからです。
主にその現場は会社になりますが、うちの会社は旧姓使用が公に認められていません。旧姓使用を公に認められないのにはどうしようもない理由があるのです。
私が旧姓使用できている理由は何なのかというのは別の機会にお話するとして・・・、結婚したのに未だにいろんな所で旧姓を使ってることが周りには不思議らしいです。
「あぁ、変わってるよ。」
そう答えるとさらに不思議そうに「じゃあ、なんで旧姓のままなの?」と言われてしまいます。
正直、その質問に答えるのは少々難しいのです。
理由1
理由としてもっともなのは、「仕事に影響する(と思っている)から」
今の会社に入った時、当然結婚もまだで、旧姓で働いていました。結婚までのわずか数年であっても、採用担当として社外の方との繋がりを広げつつ、1000人いる会社の社員に名前を覚えてもらってきたのです。
時間と労力をかけて覚えてもらった名前を、結婚を理由にまた名乗りなおすのも嫌で、名前が変わった理由を毎回話すのも面倒に思うのです。
理由2
2つ目の理由は、「自分が結婚したと思っていないから」
以前のnoteの記事にも書きましたが、入籍はあくまでも、私とパートナーの間に生まれる子供の事を考えた結果なのです。将来子供を持つ予定がなければ、私たちは事実婚だって良かったのです。
だから「○○家に入った」という意識もさらさらありません(義実家では一応嫁としてふるまいますが・・・)。
2つで生きる私の結婚観
”苗字が変わることって女性にとって嬉しいことなんじゃないの?”
以前、職場の先輩からこのように言われたことがあります。「人それぞれじゃないでしょうか?」とお答えしましたが、正直腹が立ちました。もちろん苗字が変わることに対して嬉しさを覚える女性も多くいるのは知っています。私だって、結婚してこれまで以上にパートナーとパートナーらしくいられることを大変嬉しく思っていますし、入籍自体も特別なことでした。しかしその嬉しさや特別感は相手の名前になれるからではありません。
先輩の発言からすると、
名前が変わること=嬉しいこと
という勝手な公式に当てはめられているようにしか思えなかったのです。
女性が名前を変えることで生じる様々な不利益を、結婚によって感じる幸福感や充実感で打ち消させているような気がしませんか?
結婚をして(”入籍をして”の方が正しいかもしれませんね)、私はどちらの名前でも生きる決心をしました。
2つの名前で生きる。
それはどちらも大切な自分であり、私の結婚観の象徴です。
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