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ステートメント_寝ろ、セロトニン、生き延びろ📦/ササキリユウイチ

📦とはいえまだ、走らなくてもいい。

📦厚生労働省の「身体活動・運動」のページで、最初の句点が打たれるまでに、メンタルヘルスという語が登場している。

📦『健康づくりのための身体活動・運動ガイド 2023』が去年、2023年の末に更新されたときの、いわゆる世間の反応は、半ば自動的に生成されたものだ。

📦「1日60分(1日約8,000歩)以上の歩行」・「週2~3回の筋トレ」を国が推奨したという事実から、税金や保険料の負担の多さ、まして時間の足りなさを嘆かなくていい。嘆いてもいいのだが、もっとドライに関わるべきだと私は表明しておこう。国が推奨した、という事実はべつに、2023年11月に突然現れたわけではない。

📦「スポーツやってない男まじで危機感持った方がいいよ」(ジョージ)への反応は、いま二十代の人にとって、それほどリアリティがあるのかどうかわからないが。どうなの? その、筋肉とかについては、後で考えたら? いや、考えている人なんかじっさい見たことないけど。

📦まあしかし、メンタルヘルスとはまったくべつもの。国が推奨したという上からの構造にも、マッチョになれという下からの構造にも、何も同調する必要はないし、意見を持つ必要はない。

📦ポケモンGOがメディアアートとして認められたとき、というかある種の社会彫刻として成立したときの言説を懐かしく思い出す。“前作『Ingress』に続き、‘Adventures on foot(歩いて冒険する)’という理念のもとに制作された”、要するに宝探し、その過程でエコロジーに身を置くこと。

📦いまはもうPokémon Sleepなんだよね、って思っただろうけど。98年生まれの私と、私と歳が近い人にとっては、いい流れじゃないのかな。そんなことどうでもいいとき中高生の頃にIngressやポケモンGOが登場し(すこし遅すぎたかもしれないが)、Sleepときた。

📦メンタルヘルスにおいて、運動よりもはるかに優先度が高いものは睡眠だ。じつを言うと、運動していないことより、睡眠を適切にとれていないことのほうが危うい。

📦メンタルをやってる人、メンタルをやってるかもしれない人、病み気味な人、夜さびしくてたまらない人、布団でずっと短い動画を見ている人、Twitterをずっと漁っている人、誰に連絡しようか考えている人。ポルノ。まとめ動画。まとめサイト(もう古い?でも、まだそこにいる)。

📦基本的に、人間にはレジリエンスが備わっている。ある特別な、輝かしい抑うつの体験。抑うつの体験のアーカイブは、冒険や宝探しに似ている。

📦今晩は時間があるのに、予定はなく、連絡する人も思い浮かばず、なんとか連絡してみたものの「久しぶりだね、今日はちょっと」、寂しくて、誰かと話したくてたまらずなかなか眠れなかった。

📦満員ではないがそれなりに不快なくらい混んでいる電車の中で身動きが取れないまま、隣の人間が見る動画がずっと視界に入り、家について、いつのまにか日付が変わっていて、泣いてしまった。こうした体験から抑うつのリストがつくられていく。

📦そうそう、レジリエンスとは、このような抑うつから、よりましな普通の状態に戻る力だ。寝て起きたら回復するとか、週末の休日にリフレッシュをしてなんとかまた頑張る、だとか。

📦抑うつのリストアップはうまく終わらないまま水平に広がっているのだが、集めたら厚くなりそうだとはわかる。何事かを為すにあたって必須だと感じ、通院することになる。

📦もしかして、うつ病?

📦が、まあ、うつ病と診断され、うつ病に適した薬が処方されるかどうかは、じっさい、根強く医者と向き合うこと、言語化すること、報告することに関わり、ある種の修辞技術に関わる。

📦うつ病の基本的な説明がセロトニンの不足であるという事実を、貴方がどうやって捉えなければいけないのかを、私は明示的でない形で表明したいと思う。うつ病に有効な薬は、SSRI(Selective Serotonin Reuptake Inhibitor:選択的セロトニン再取り込み阻害薬)と呼ばれる。SSRIを飲むと、要するにセロトニンが増えるわけなのだが。

📦ある夜の輝きと焦燥感、寝て起きるとなくなるような、それ。なくなるというよりも、身体の重さ、また眠りたいというシンプルな欲望。まだ、寝る直前に見た光の残像が残っている、昨日と地続きだが、もっともはっきりした色で光っている睡眠欲。

📦仮にそれなりに悪い状況だとしても、まず貴方は生活を記録する必要がある。SSRIを即座に処方するのではなく、まともな精神科医が最初に取り組むのは、睡眠の状況の調査と、その改善の提案だ。

📦眠らせるために睡眠薬(大きくわけて、寝付くための薬か、途中で起きないための薬か)を処方する。貴方がもし本気なら、いま寝付けないのか、途中で起きてしまうのか、まずそれだけはわかっていたほうがいい。

📦困ったことに、夜にスマートフォンを眺めてしまうということは、まともな医者ですらほとんど知らない。誰かのレトリックのせいかもしれない。

📦悲しくて泣いた、悲しくて無気力になった、と言った体験の列挙はあまり重要ではない。基本的に医者は貴方のレジリエンスを信じている。

📦コンテンツの中毒性は異常で、報告すら難しい。

📦寂しくて寝付けないのか、レジリエンスを失って寝付けないのか、あるいはその光の中毒のために寝付けないのか。ほとんど、貴方はその光の中毒だ。貴方はそれを医者にも、友人にも、修辞を使って覆い隠してしまう。

📦何事かを成し遂げたい人間にとって、夜は中毒の別の名になった。

📦通院する前に(いや後でもいいが、なるべくはやく)、念の為考えてほしいのだが、その希死念慮は自己実現ではないだろうか。まだ貴方は貴方自身が一体何を成し遂げたいのかはわからないが、何かを成し遂げたい。

📦成し遂げられないから死にたいのではなく、死ぬことが成し遂げの形態のひとつである、というレトリックを詳らかにしなければ……。

📦睡眠時間と同じくらい、寝る時間と起きる時間を決めることは重要だ。

📦ほんとうに、夜はスマートフォンを手放したほうがいい。毎日電話するといい。そして、光を見ないで、目を閉じたまま話をする。困難だ。ほんとうに。

📦何かを作りはじめてしまいたくなった。音楽、散文詩、演劇、小説、短歌、写真、さまざまな観点から気の利いたツイート、摂取したものに対する点数の高い応答、料理、ダンス、日記、イラストレーション、今度同僚や友人と話すときのネタ、映像。

📦世界を作り上げたくてたまらない。創作欲。何事かを成し遂げたい。今日一日で成し遂げられることなんかなにもないのに。

📦日々のインプットを増大させる方法として、夜を引き延ばす。夜には後ろ盾がある。夜にはインスピレーションがあるとされてきた。幻想。

📦一方で、村上春樹の驚くべき創作の体力が、ランニングとともに語られることは多い。ただ、村上春樹のランニングは生やさしいものではなく、もはや筋トレに近く──〈マッチョ〉もちろん、松本人志を思い起こしていただいて構わない──、実態は危機感ニキが言うところの「スポーツをやる男」に近い。村上春樹とセロトニンの話はまるで噛み合わない。

📦セロトニンは確かに何かに集中する力の源なのだが、それがなくなると直ちにうつ病になるわけではない。うつ病がひどい段階にある人に対して、医者がランニングを勧めることはない。

📦有酸素運動。何年かかけて、睡眠を整え(それはいまや、SNSや動画コンテンツ、またはポルノの中毒からの緩やかな解放とほとんど等しい)、やっとSSRIを辞めていい段階になった人間がやることだ。

📦SSRIによりセロトニンを増やし、睡眠でレジリエンスが強化されるのを待つ。劇的なこと、貴方を救い、肯定し、あるいは恍惚とさせる人も作品も環境も、何も必要ない。中長期的なプロセスだ。

📦貴方がしたほうがいいと言われるランニングは国が進めるものとは少し異なる。村上春樹とも異なる。また、いつか出会ってしまうかもしれない人に言っておくと、宇野常寛とも異なる。

📦世界との出会いなおし方ではない。目的をもたない、適切な有酸素運動としてのランニング。冒険でも宝探しでもない。まだレジリエンスはある人が、セロトニンをほんの少し、気づかない程度だけ増大させるためのランニング。

📦決してランニングも睡眠も断絶ではない。

📦リマインド。医者も国も、そして誰も、貴方がマッチョになれとは言っていない。

📦ランニングが創作に効かないとしても、おそらく夜よりは効く。

📦夜にもはや新規性はない。夜から得られるインスピレーションによる創作は、食い尽くされている。

📦夜という中毒を別の中毒へ置き換えること。中毒を、もっと莫大な疲弊によりねじ伏せること。

新しい中毒への順応をもたらすのは、高圧的で強制的な仕方でも、規範的な仕方でもありません。

カトリーヌ・マラブーの発言。「 共同討論「カトリーヌ・マラブーの可塑性の哲学」」

📦ランニングも、睡眠も、世界との断絶に近いとする向きもあるかと思う。

📦今日は何事も為すことができず、要するにぼんやりと設定したタスクを終えることができず、為すためには少なくとも眠らないことが条件である、という説得はありうるだろう。

📦とはいえ、睡眠は、思考しないことの別の名ではない。長いが、引用をしておこう。

アーレントが「思考していないこと」という言葉で語った言語と現実の関係は、人間が置かれた状況と言語の関係を問う多くの思想家や作家に共通する問いだが、それでは決まり文句の反復に対してはどのように向き合えばよいのだろうか。
コントロール不可能なものをなくし、すべてを光のもとに置こうとするならば、そうした態度は結局のところ眠りを侵食することで、誰によっても所有されえない特異性を抹消し、あらゆるものを生産性や有用性という尺度ではかることになっていく。

(伊藤潤一郎「眠りと思考 −ジャン=リュック・ナンシーにおける思考のリズムについて−」立命館大学人文科学研究所, pp105–124, 2021.)

📦睡眠のリズムを整えること。なるべくはやく諦めて、遅くとも21時半には風呂に入る。

📦当然、朝に何か作業する時間はなく、ギリギリまで寝てしまうだろうが、それでもなお。

📦疲れた脳は集中力を失い=セロトニンが不足し、まとまった思考ができず、ネガティブな感覚の反復が生じる。抑えるために、ベンゾジアピン系の安定剤をえんする。すでにSSRIは夕食後に済ませてある。中途覚醒はないので、睡眠導入剤をコップ1杯の水──これは意外に多く、苦痛だ──で飲む。

📦光を強い意志で拒絶する。

📦SSRIを減薬──特徴的な離脱症状があり、脳から尻の先まで不快な電流が流れている感じだ──するためには、ランニングの習慣をつける必要がある。あるいは、これまでもこれからもSSRIを飲まないために。

📦寝ろ。

📦寝た後で走れ。

📦走ることで中毒をねじ伏せろ。走ることの疲弊を理解すること。それは税金でもなく、差別でもない仕方の疲弊だ。

📦セロトニンを増やすために。身体を鍛えるためでもなければ、何事か成すための条件としてのスタミナ(なんて馬鹿馬鹿しい言葉なんだろう!)をつけるためでもない。

📦何かをつくるためでもなく、幸福に生きるためでもなく。寂しくて泣くためだ。そして寝て、起きてもまだ寂しくて泣くためだ。あくまでレジリエンスを持って、泣き、不幸な出来事に当然のように悲しむためだ。そしてチャンスを伺うためだ。生き延びるためだ。冒険でもなんでもない。賭けるんだ。眠りに落ちていくあのリズムは、とういってきの響きだ。

📦生き延びろ。

書き手:ササキリユウイチ

参考文献

  • 文化庁(2017)第20回 文化庁メディア 芸術祭エンターテインメント部門 Pokémon GO .

  • Catherine Malabou・星野太・佐藤朋子・宮﨑裕助・小川歩人・藤本一勇・増田一夫・鵜飼哲(2022)共同討論「カトリーヌ・マラブーの可塑性の哲学」.Limitrophe = リミトロフ,1; 41−59.

  • 伊藤潤一郎(2021)眠りと思考 : ジャン=リュック・ナンシーにおける思考のリズムについて.立命館大学人文科学研究所紀要,128; 105-124.

  • ジョージ -メンズコーチ-(2023)【残酷な事実】『スポーツ経験が無い陰キャ』が ”一生モテずに” 人生終わる理由.YouTube .

  • 厚生労働省(2023)健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023.

  • 清水泰生(2021)村上春樹とランニングと音楽とことば.国際言語文化学会日本学研究,6; 71-80.

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