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ステートメント_SNSとアディクション🧟/zonbipo


Ⅰ ステートメント

🧟『スーパーパチンコ』というパチンコ屋が地元にあった。ある晩,「パ」のネオンが切れて『スーパーチンコ』という神施設が誕生し,中学生だったわたしと友だちはあまりの完璧な出来事にぶち上がって,自転車でスーパーチンコのまわりを何周も走った。補修されたネオンをみてしまった我々の落胆は言い表せない。

🧟生魚が年々苦手になっていることに対して,絶対に認めたくないという気持ちと,諦めの気持ちが競り合っている。ガキのころはすべての食べ物のなかでお刺身がいちばん好きで,次に寿司が好きで,その次にトーマスのチューイングキャンディ(2023年に発売終了。日本の菓子文化にとって重大な喪失となった)が好きだった。

🧟このあいだ私のこれからの生き方を決定づけるようなイベントがあった。

🧟メンタルが不安定な時期の途中で,些細なことに感情を左右されやすくなっているが,それでもこの間のイベントは,私にとっては,いままでの人生でいちばん重要なことだったのだと思う。

🧟というか,やっと,やっと,私の本当の人生が始まったのだと思う。

🧟私はこの10年間くらい,自意識の葛藤というか,実存の問題に悩まされたり,格闘したり,逃げ回っていた。それは私が本当の意味で自分の人生を生きていなかったからだろう。もしくは見つけられなかった。

🧟おそらく発達段階の途中で,認識/言語を扱う領域の歯車と,行動/会話を扱う領域の歯車をうまく噛み合わせることに失敗したので,インプットは楽々にできても,アウトプットが苦手だった。そのズレのせいでとても苦しかった。

🧟乱暴にまとめると,私は“それ”を克服した。

🧟より適切な表現に改めるとすると,“それ”にけりをつけた。うーん,もっといいのあるよな。関係を終結させた。過去のものとした。追い抜いた。まるめてゴミ箱にぶち込んだ。集めて燃やした。考えることを諦めた。考えることを放棄した。まともな人間になった。まともな人間を志向するに至った。別に重要な考えごとができた。

🧟あ,いいの出た。

🧟別に重要な考えごとができた。

🧟なので今後は,あらたな,今までとは比較できないほど複雑で困難なものに悩まされることになった。その正体がなんなのかは未だぜんぜん分かっていない。が,なんかアホみたいにでかいことなのは分かる。でかすぎて,悩む感情すら抱けていない。漠然とした畏怖だけがある。

🧟そしてこの段階に移行してみると,まわりの人たちも同じような悩みに向き合っていることが認識できた。正直に言って,他人を舐めていた。いまとなっては手遅れになってしまった人間関係のこじれがたくさんある。私が他人を舐めていたせいだ。私のほうから改めていうまでもないが,人間関係の難しさについては世界中のあらゆる歴史から現在に至るまでいろいろな議論がある。これからも永遠に続く。

🧟相手を舐めないことが,人間関係においては大切だ。相手を舐めないことが,自分の価値を下げないための方法である。

🧟こんなことを馬鹿正直に言えるのは,ひどい二日酔いが逆方向に,完璧に作用して,アタマで思ったことをそっくりそのまま書いているからである。

🧟思ったことをそっくりそのまま書けるという能力は,社会においてほとんどの場合,もっとも高度であり,重要な能力であると考えている。なので私には,できるだけ長い時間を二日酔いの状態で過ごす必要がある。そのために身体を壊すが,それは私にとってさほどたいしたことではない。

🧟一方で,この能力について,重要性を低く見積もっている人や,コミュニティや,まあなんか,ある種の社会通念がある。

🧟そういう,根幹の部分で価値観が違う他人たちと,どう折り合いをつけて生きていくかということを,今わりと本気で考えていて,まったくどうしたらいいのかわからない。

🧟考え方が違う他人と,社会という一緒くたにされた容れ物のなかで暮らしていくことについて,真剣に考えている。

🧟小袋成彬のnoteに,心から救われている。これからの時代は,私と,すきぴと,私の友だちと,たくさんの他人たちのためのものだ。


Ⅱ アディクションについて

🧟ICD-11(国際疾病分類 第11回改訂版)には,つまり,世界基準で体系化・公式化・明文化された人間の「疾病」のガイドラインには「SNS依存」の項目はない。SNS依存が人間に与える影響は,医学という学問のルールに則って診ると,それが疾病の基準には到達していないからだ。

🧟現代の病気を考えるとき,「疾病」と「病気」と,「病い」という3種類の見方を使うことができるが,SNS依存に関しては,先に説明した医学のルール以外では完璧に病気の状態にあると思う。それぞれの用語の定義は皆さんでお調べになられるか,リンクを読んでほしい。

🧟SNS依存は,次のICDの改訂で正式に「疾病」になるだろう(仮説レベルだが,このような健康被害に関する研究はメンタルヘルスの領域ではもっとも盛んな議論の一つだろう)。

🧟はっきり言って,SNSは異常だ。なぜ特定のSNSの使用を禁止している国があるのか? なぜアメリカは法規制に向かっているのか? ひとつの理由は,SNS依存を疾病として診ることが,現状の法治国家の体制では不可能だからだ。病院にかかっても処方箋が降りないからだ。健康保険が効かないからだ。専門のクリニックがほとんど存在しないからだ(日本にも専門の外来はある)。「依存症の病人」ではなく「ツイッターの廃人」と呼ばれるからだ。

🧟つまり,現状では,法的な権力をもってして使用に罰則を設けることでしか,人間はSNS依存に抗えない。

🧟しかし我々の歴史には,アヘン禁止後の清国と,アルコール禁止後のアメリカにおいて何が起きたのか,正確で詳細なアーカイブがある。

🧟以上が,客観的な事実に基づいた部分となる。私は,客観的な事実に基づいた事柄について書くのが苦手だし,あまり興味がないのでここまでで終わりとする。

🧟これより以下は,事実とは少し距離のある,個人的なテーマだ。SNS依存ではなく,SNS全般についてだ。「病気」や「病い」が扱う領域に近い。私は,アヘンを禁止した清国で,アルコールを禁止したアメリカで,その後何が起こったのか? という物語の方に興味がある。ナラティヴに興味がある。

🧟SNSは,言葉を劣化させると思う。または,すでに広い範囲で劣化が完了し,さらなる崩壊が進行中である。

🧟感情までも劣化させるかどうかは,他人のことはわからないので留保をつけるとして,SNSは,言葉とその機能をぐちゃぐちゃに劣化させる。これは,コカインの中毒者が自分の感情を制御できなくなって,易怒性が有意に上昇することとかと似ていると思う。SNSは(ほとんどの場合,ツイッターは),人間の言葉とその機能に極めて強力に作用するドラッグだと思う。効きが速くて,天井がない。

🧟中島らもは,覚醒剤(アンフェタミン/メタンフェタミン)について,ほかのドラッグと明確な区別を行ったうえで,「愚劣なドラッグ」だと言った。覚醒剤が,ひいてはアンフェタミン/メタンフェタミンが広く人口に膾炙した背景には,第二次世界大戦がある。それから貧困があり,日本による植民地支配の歴史がある。権力を持った人間たちが,権力を持たない人間たちの,どす黒く変色した静脈に打ち込んだ歴史がある。

🧟そういった,社会から人間性を喪失させ,社会の倫理を劣化させる諸要素を指して,「愚劣なドラッグ」だと評したのだと記憶しているが,まったく関係ないかもしれない。本がいま手元にない。

🧟覚醒剤は,病める者を狙って心の弱さにつけこむ。貧困に窮する者からすべてを奪っていく。この問題は,社会が「病気」の状態に陥れられることにある。社会が病気になってようやく,それまで一方的にマージンを得ていた,権力側の人間たちが慌てはじめる。

🧟このような腐敗については,時代性を超えて色々な類型がある。ツイッターはどうだろうか。

🧟残念ながら,ツイッターの場合はさらに状況がひどい。

🧟たしかに,インターネットが夢想していた,情報の民主化は達成されただろうが,それはあまりに醜悪な形での実現だったと思う。有史以来,最低・最悪のドラッグが誕生した。たった3人の手によって。2006年。アメリカ。カリフォルニア州のオフィスにて。

🧟まったくの余談だが,ヘロインという,麻薬のなかでは依存性がかなり強いドラッグが存在するが,乱用者のうち,「疾病」の基準において,「薬物依存」状態にある人は,全体の一割ちょっとらしい。皆さんの周りに,ツイッターのアプリをインストールしていない人間は何人いるだろうか。

🧟SNSが覚醒剤とかよりも数段たちの悪いところとして,いわゆる,「悪の凡庸さ」について,全世界中の,オンライン状態の人間たちに,内面化を強制的に迫るシステムにあると思う。

🧟たとえば,ある児童ポルノに関連した投稿をリツイートしただけで,リツイートしたアカウントの所有者が逮捕される。こんなことは馬鹿げているように思えるが,しかしそういう判例もある。アカウントの所有者が行ったことは,意志のある悪意というよりか,ただ気に入ったものをアーカイブする行為(私は,未成年に対する性加害行為は絶対に許容しない)のように思えるのだが,この男は,たった数タップの携帯の操作によって「児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律」に問われてしまった。

🧟SNSによって殺された当事者の投稿を,我々は必ず目にしたことがあるはずだ。それは亡くなってからのちの話ではない。亡くなる直前に投稿したものを含めて言っている。

🧟その投稿を見たさい,我々は何をしたのか,何ができたのか。

🧟当事者に心ないコメントを送ることだろうか。リツイート先で中傷のニュアンスを含んだ投稿をツリーすることだろうか。それとも友だちにURLをラインして盛り上がることだっただろうか。擁護だろうか。なにも触れず,現実でもあえてその話題について言及することを避けることが,理性的な行いだと言えるのか。

🧟私には,そのどれもがある種の加害行為に思われる。

🧟この問題意識をうまく言葉にまとめられないが,このことを,私はこれからもっと真剣に考えていかなくてはいけないと思うし,同世代の人間たちと意見を交換したいテーマである。

🧟この時代に生きている我々の全員が,凡庸な悪と無関係ではいられないからだ。


参考文献

  • Ashley Antle(2021)TikTok & Tics: Rise in Movement Disorder Documented on Social Media. Checkup Newsroom.

  • DG Lab Haus(2019)Twitter 3人の創業者が語るはじまりの物語〜Jack Dorsey・Biz Stone・Evan Williamsインタビュー.

  • ジャレット・コベック(著)・浅倉卓弥(訳)(2019)くたばれインターネット.P-VINE.

  • ハンナ・アーレント(著)・大久保和郎(著)(2017)エルサレムのアイヒマン【新版】:悪の陳腐さについての報告.みすず書房.

  • 三原聡子(2020)インターネット依存とゲーム障害とは? 心理学ワールド,91: 21−22.

  • 望月吉彦(2015)覚せい剤を開発したのは日本人? HelC.

  • 中島らも(1999)アマニタ・パンセリナ.集英社.

  • 中山和弘(2012)医療化と疾病・病い・病気.聖路加国際大学学術情報リポジトリ.

  • 小袋成彬(2020)新時代.note.

  • 東京医科歯科大学精神科(2019)ネット依存外来.

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