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新橋

昨日、同期とおでんを食べに行った。
色々話しながら、今の会社に入社した時のことを思い出した。

夢はずっとあったけど、期待と監視の中で生きていた。力を貯めるためにもとにかく自立して、自分で人生を操縦したかった。
お金が嫌いだからこそお金を稼いで脳内から金に関するしがらみを消したいと思っていた。
東京に出ること、両親よりお金を稼ぐことがマストだった。

とにかく金という気持ちで5大商社に絞って就活をしたら、愛想笑いが功を奏してインターンから最終選考まで残った。でも最後の最後に虚像が見破られて切られた。もうどうでも良くなっていた。

就活浪人という選択肢はもちろん無かった。東京に行くことは決めていたので、1年フリーターしてお金貯めながら東京に行こうかなとか考えてた。

そんな時、夏採用っていうのがあるのを知って、味の素、TBS、日テレを受けた。幸運が重なって3つのうち2つから内定をもらった(奇跡)。
なんか楽しそうだから今の会社に決めた。

もう6年も前の話だから残してもいいかなと思うけど、全部で7回くらい選考を受けたと思う。
何かかっこいいというのと半分意地で部活をしながら就職活動をしていたので、朝練に行って、そのまま新幹線で東京まで行き面接をして、帰ってきて夜練に参加したりしてた。

何個目かで朝から晩までかかるグループワーク選考があって、5.6人の班で1日かけて映像を作る試験だったかな。
前日21時くらいまで夜練をして始発で東京に行ったので眠くて眠くて、5.6人とディスカッションをしたけど、とがりまくったアイデアに疲れ果ててしまって、途中から黙々と台本を書いた。普通に眠かった。

その日の最後にも面接があって、「なんにも喋んなくなっちゃってずっと台本書いてたけどどうして?」と聞かれた。
しまったなと思ったけど、当時から要領だけは良かった。
「拉致があかないし、まとめる人はいて手が空いてたからできることを進めようと思った。」とそれらしく言ったら苦笑いされた。
ここまでか、さらばだよと思いながら愛想笑いを返した。

後日合格の連絡があった。

通過するのは班で1.2人、0人のとこもあって、大関門だったと後で聞いた。ディスカッションに疲れて黙々と台本を書いた私をよく選んだなと今も思う。

そのあとも何個か試験と面接を通過して、偉い人たち十数人に囲まれた最終面接で、「部活で忙しそうだけどテレビは見ますか?」と聞かれたのを覚えている。
バカだったので「あんま見ないですね」と馬鹿正直に答えて気まずくなり、アハハと笑った。そして受かった。
愛想笑いで受かったに等しい。 

入ってからも私は繕わず、良くも悪くも正直で、自由にさせてもらった。先輩からメンつよだねと言われるくらいには大層失礼な振る舞いもよくした。「ありがとうございます^口^」って言ったけどちくちく言葉かもって帰ってから気付いて面白かった。

変な人ばかりなので大変な目にもあったが、自由でいないと生きていられないのに図々しく社会人になった自分を受け入れてくれ、羽を伸ばしてやりたいようにやらせてもらえた。

社会の歯車だろと思っていた会社員を尊敬するようにもなった。歯車であることで大切なものを守り、守りながらも自分らしく生きて、枠をぶっ壊して新しいものを作っていく大人が沢山いた。

頭はいい方だと思っていたけど上には上がいると知って、自分より優秀で人間もできている同期や先輩に圧倒されながら、変わらず自分らしくもいられた。そういう会社だ。

生活と仕事が近いので、休みの為に働いているというよりも、仕事のために生きているような人たち。仕事が好きなのか、好きなことが仕事なのか、最早わかんないくらい目の前のことに追われている人たち。そんなのに囲まれていた。

同期も私も出会ってから何年も経っていて、価値観も何もかもアップデートされていたけど、私たちはやりたいことがあって、恵まれていて、幸せだと思う。

新橋にそびえ立つでっかい本社に見下ろされながら、歯車たちが集うおなじみの公園で、謎の新橋ラップを口ずさむ酔っ払いを横目にそんなことを話した。

好きなことは外から見ていた方が良かったかもしれないと、同期は言った。その気持ちは分かる。それでもやりたいと思うからほんとに好きなんだなぁと言った。その気持ちも分かる。

6年も同じところにいられるんだ自分は、と思った。新橋の見え方も、あの時と今では何もかも変わった。あの頃の自分に言いたいことが沢山あるけど、言わなくていいな、とも思う。

私は恵まれている。今日もやりたいことがあって、好きなことがある。金に縛られたくないから金を稼いで、自分で選択できるものが増えた。私を縛り付けた監視と期待の目すら、守りたいと思う。




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