kanakatahira

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最近の記事

寝落ち実況。眠くなってきた

半分寝ている。 頭の中の記憶と今日あった出来事が混ぜられて機関車の煙みたいにセリフや登場人物がプホーと出てきては消える。 スマホ画面は重力で潰れた右目とバキバキの左目で凝視、何故かタイピングは左手でやってる。右手は枕代わり潰れた目の下で痺れてる。 さっきは走り始めた新幹線を模写する時の画材が足りないと考えながら乃ガミの高級食パン切ってた。こんな短いシーンですぐリアルに戻って、また裁断中のノガミの前に戻る。その繰り返し。 記憶は1日の終わりに整理されて引き出しの中に入るんだ

    • ソウという作品

      ホラー好きだけどグロ苦手で何となく避けていたけど、やっぱり気になる王道ということで1作目を勇気をだして見たら、まぁ面白くておもしろくて、ラストシーンで起き上がって拍手した。 この映画がグロ映画と位置付けられて沢山の人に観られないことが悔しい!グロ映画でもなんでもない。傑作すぎる。 狂気的メンタリストによるメンタルの授業? とにかく良かった。 ひねくれた心で散々こいつがジグソーだ!こいつがジグソーか?と疑いまくった挙句、最後までオチを見破れなかった。悔しい。してやられた。鳥肌

      • 自分に厳しく、人にやさしく生きたい 詩的なニュアンスに捉えられるとなんだか違和感。けどほんとにそうありたい。 大事なものを守れるように、私は私に厳しくする。もっと考えて考えて考えて、手を動かして頭を動かして生きてほしい。ほしい、という気持ちの表明であるのは少し自堕落なところも認めているから。そんなところもまたいいでしょ?自己肯定感は高めずっと。 この頭を使い尽くして体が燃える時には呆けていてもいいよ。人は赤子に生まれてまた赤の者に戻るし、赤でない今こそ脳みそたぎってほしい

        • 牛丼食いなっせ

          ヘイトや闇を入口に人を巻き込むのは簡単だけど、そこに集まる人は形を成していなくてドロドロに溶けていてその泥は簡単に広がりのまれてみんな身動きが取れなくなる。 泥に包まれているのに何故か暖かくて心地いい。外に出れば泥だらけの人間になってしまうけど集まればみんなで固まって泥に包まれて誰の何か分からない。 泥におびき寄せられてどんどん人が増えてどんどん暖かくなって心地よくなって、そこにいる限り何も動けないし何も変えられないのに周りに沢山ひとがいるから安心する 闇で共鳴し合うことに

        寝落ち実況。眠くなってきた

          映画怪物を見た時の話

          今日、友人と 大きく心が動いた時の感情は詳細に見えるものにして残しておくべきだ。という話になった 文章でも絵でもいいので、とにかく目に見える形で残してピースにしないと、 本当にやりたいことをやるときも、自分の内面を形にすることは出来ない、という話。 その流れであの時のアレを残さなかったのはなんでだろうと思ったできごと。今更ながら残そうと思う。 本当は心が動いたあの日あの時に残すべきで、初めてそれに触れたその日の心はもう二度と体験できないのだから。 あの時の形を維持しておらず

          映画怪物を見た時の話

          頭だけ時代

          腰まで伸びた髪の毛を揺らして歩く 足を曲げた時に膝がアゴを優に超えるくらい長くて、鼻と口がくっつくくらい短い顔に詰まった大きいパーツがこぼれそうになる そんな造形 シャーペンの芯を何度出しても折れる人間は何で文字を書けばいい ボールペンは消せないし、鉛筆は削るのが面倒くさい 調整できない握力でボキボキ芯をおりながら使い続けるしかない ヨガポールを床じゃなくてベッドの上で使っても意味はあるよね。マットレスが痛むなぁと思いながら体重でポールをグリグリ沈める、そんな夜があるよね

          蒸気でホットアイマスク朝になったら役目を終えてぷにぷにしてるかわいい

          蒸気でホットアイマスク朝になったら役目を終えてぷにぷにしてるかわいい

          衝動的好奇心

          嫌いな食べ物をわざと食べたくなったり、切り傷の真ん中に爪を立てたくなったり、あと5分で準備しないといけないのにシャワーを浴びたかったり そんな時ないですか?私はあります たまにじゃなくてよくある 衝動的なそれらの感情は決してぶっ壊しムーブではなくて、いたって正常な精神状態の上で判断される好奇心と思いつきです お好み焼きにマヨネーズをかけたくなったり、かけたくなくなったり 冷たい弁当を冷たいまま食べたかったり温めようと思ったり ミスドに行って絶対頼まないドーナツをふと、

          衝動的好奇心

          新橋

          昨日、同期とおでんを食べに行った。 色々話しながら、今の会社に入社した時のことを思い出した。 夢はずっとあったけど、期待と監視の中で生きていた。力を貯めるためにもとにかく自立して、自分で人生を操縦したかった。 お金が嫌いだからこそお金を稼いで脳内から金に関するしがらみを消したいと思っていた。 東京に出ること、両親よりお金を稼ぐことはマストだった。 当時5大商社に絞って就活をして、インターンから最終選考まで残ったけど、最後の最後に切られてもうどうでも良くなっていた。 就活

          未来

          大人はナンタラとか、大人になることが悪とされることがよくあるけど、私はずーっと大人になりたかった 周りの大人は別に好きでも嫌いでもなかったけど、大人は自由だとずっと思っていた 自分で責任さえ取ればどこへでも行けて何でもできる大人がかっこよくて羨ましかった 卒業式で悲しくて泣いたことは1度もないし、ここで止まってる時間は無いから早く次の場所へいきたいと思っていた 過去へ戻りたいと思ったことも1度もない気がする。どんな環境でも、近くはぼやけていてずっと塀の外を見ていた気が

          何にも変わらないよ

          朝起きて、水を飲んで、仕事をして、服を作って本を読んで、風呂に入って、寝る 朝から日を浴びたり、一日中布団にくるまったままだったり 同じことを繰り返しているように見えて少しづつ変わっている 周りの時間と環境が、変わっている でも何も変わらない 私は何も変わらないよ 父は私にずっとメロンパンを買ってくる 寿司屋に行けば、ネギトロはいいの?と聞く 父の中には6.7歳のまま変わっていない私がいる 少し呆れながらそう思っていたけど 変わらないまま私を見てくれるのってすごいこ

          何にも変わらないよ

          Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.

          哲学者ウィトゲンシュタインが論理哲学論考の中で残した言葉。ずっと好きなんだけど、面白い文だなと思う この文章には前置きがあって、 「そもそも語り得ることは明確に語ることができるし、語り得ぬことには沈黙せねばならないのである。」となってる 人によって色々な捉え方ができる文で、 話せないことがあるなら素直に黙っとけ っていうシンプルなのから 話せることが自分の世界の全てである、話せないのならそれは理解出来ていない、言葉にできることが理解することだ と言うこともできそう 沈黙

          Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.

          あと1週間

          ここ一週間、ほぼ毎日徹夜をして、吐きそうになりながら働いて服を作っているけど、体と違って心はずっとワクワクしている。 5時間作業しても、裾の丈を直してまつることしかできないのに、こんなに少しずつしか進まない表現にたくさんのものを犠牲にして、それでも脳内を布にするのが嫌にならない。 作りかけのこの服はきっとゴミみたいな布の塊。金をかけてゴミを作り続けて、いつかしぬまでに満足できるものができるかできないのか、そんな世界。厄介すぎる。 実家太が駆け回るトップ層の影には天才の

          雑音

          自分の意見を持つことを間違っていると思わない。人がいればそれだけの意見や考えがあって否定することなんて誰にもできない。 でも考えを発信することには責任が伴う。 頭の中から1歩外に出たらそこから先は独り歩きするのが言葉だ。 それが独り言でも、何かに対する賛成や反対でも、誰かを傷つける言葉でも包み込む言葉でも、口に出したり書き起こした瞬間に無数の人の耳に、脳に、心に届く。 自由と責任は常に隣り合わせで、それが音を合わせて言葉とし、会話で意思疎通ができる人間の在り様だ。 何もかも

          人間

          自分の中で考えて消化して落とし込むことをせず、突発的に当事者のように発言する。 ただひとりの傍観者であること、全てを俯瞰してみた訳では無いあくまで人間由来の思想の偏りを元に構築された意見であることを知らない。 全てが正しくて全てが間違いなのだこの世の中は。 私たちが傍観者の時できることはただ事実を発信し、当事者とは関係ない自分の0-1の発想や行動に落とし込むこと 本当に人間の突発的な自己顕示に嫌気がさす。 自分の言葉の責任は自分にあることを忘れたくない。

          怖い話

          怖い話、全然怖くない 幽霊を信じているけど、怖くない 見えないものに見えているものが負けるはずないと思う。 私の曾祖母はイタコ(巫女)で、見える人だった。 祖母はただの専業主夫だけど同じく見える人だった 私の母から見えなくなって、幸い私も見えない。本当に良かった けれど母は死相というのが分かるらしく、 テレビを見ていて急にこの人危ないね、とかいうので怖い。 その予言はだいたい的中するからもっと怖い。 私は死相は見えない代わりに昔から死臭が分かる。 そのような人が近くを