寄稿♯14:フットサル選手が叶えた施設オーナーからチーム創設~元ミキハウス・稲田和朗の軌跡~
こんにちは!今回は14回目の寄稿です。
フットサル選手が描く将来の夢として「施設を持つ」ということは、多くの人が一度は考えることではないでしょうか。
今回登場するフットサル施設は大阪府堺市にある「PIVOフットサルスタジアム」です。何度か蹴らせてもらっていますが、屋内のスポーツコートで、集まる人たちも雰囲気が良く、大好きな施設です。そして高校生たちのレベルが凄くて、彼らからFリーガーが出てくると感じています。
オーナーは関西フットサル界では知られた存在で、長らくミキハウスフットサルクラブで活躍された背番号「9」の選手といえば、わかる方も多いでしょう。
筆者紹介
稲田和朗(いなだ・かずお)
1978年生まれ、大阪府出身。6歳でサッカーを始め、初芝高校サッカー部卒。その後、サッカーの関西リーグ・東大阪FC、フットサルチーム「旭屋」でフットサルに転向。関西リーグの強豪・ミキハウスフットサルクラブ(前身の近鉄を含む)で11年間プレーし、昨シーズンで退団。選手と並行してジュニアのフットサルスクールを立ち上げ、2015年に大阪府堺市に「PIVOフットサルスタジアム」をオープン。昨シーズン・関西チャレンジリーグにも進んだ大阪府1部の強豪「エスタボン」の監督でもある。施設のHP
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それでは本文です。
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フットサルと出会い、日本代表候補に
高校まではサッカーをしていました。プロにも社会人チームにも大学にも入ることができず、浪人することになりました。浪人して受かった大学にサッカー部はありましたが、一般の学生は入ることができず高校の先輩に誘っていただいて関西社会人サッカーリーグの東大阪FCに所属させていただくことになりました。
その当時は関西リーグでも上位のチームで元Jリーガーや経験のある選手ばかりで高校出で右も左もわからない自分自身には非常に刺激的でした。所属して2年目にチーム内の先輩に誘われてフットサルの大会に参加するようになりました。そのチームが「旭屋」でした。
ちょうどフットサル場が関西一円にたくさんできてきて毎週のように民間施設でワンデーの大会が開催されていました。今では考えられませんが32チーム募集でキャンセル待ちが出るくらいでした。サッカーの試合よりフットサルの試合の方が多くなっていき、だんだんフットサルにはまっていくようになりました。
サッカー上がりの選手ばかりでチーム自体は「ミニサッカー」をしていましたが、自分が衝撃を受けたのは、前年全日本選手権準優勝の「ボルドン」でした。確かコパジャルという民間の大会で、マグスタジアムがまだできる前のマグの4F。ここが当時、フットサルの聖地でした。
フットサル日本代表の主将も務められた藤井健太選手を筆頭に、みんなスウェットでインドアのフットサルシューズを履いていて、体の大きい選手はそれほどいなく試合は勝ちましたが、パス回しや動きに本当に驚きました。その大会の決勝でカンカンボーイに負けました。
それからはありがたいことに大阪府選抜などに選出され、2001年には日本代表候補まで選出していただき、たくさんのレベルの高いフットサルチームや選手と接することができました。
旭屋では2001年に大阪府リーグ参戦し、大阪代表として関西リーグへ昇格。そして07年まで所属しました。全国選抜や01年代表候補、02年サラリーマンになり、05年には全日本選手権大阪予選で優勝し、関西大会も突破して本戦に出場。
そのたびに関東のチームへの移籍など色々考えましたが、最終的には関西にとどまりました。07年にFリーグが開幕しました。興味がなかったわけではないのですが、サラリーマンをしていたので辞めてまでという考えがありました。
ところが、あるきっかけでサラリーマンを辞めることになり、Fリーグに興味を持ち始め、07年にフットサルスクールを立ち上げました。デウソン神戸アスピランチに所属しましたが、最終TOP登録までいかず、08年シーズン途中から近鉄フットサルクラブに所属することになりました。
近鉄は全国大会にも出場する、関西リーグでは常勝チーム。入団時にはスクールの関係で練習に参加できないという条件でした。代表の大塚さん、監督の高橋さんに了承を得て、プレーさせていただくことになりました。
11年にミキハウスフットサルクラブにチーム名を変え、18年シーズンまでの11年所属させていただきました。地域チャンピオンズリーグや全日本選手権にも数多く出場させていただきました。
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PIVOフットサルスタジアムのオーナーに
サラリーマンを辞めてからは、ジュニアのフットサルスクールを立ち上げることにしました。全く何もないところからのスタートでした。まず場所探しですが、大阪府・堺市にあったBANFFさん系列の「PIVO登美丘」に交渉し、平日の他のスクールが活動していない月曜日と水曜日に貸していただけることになりました。
PIVO登美丘付近の小学校にビラ配りに行き、何とか4月から少数でしたが、低学年の部と高学年の部をスタートできました。2年間はスクールとPIVO登美丘主催のフットサル教室のコーチとして活動していました。2年目終了時BANFFさんが大阪から撤退することが決まりました。
PIVO登美丘は森田テニスクラブの中のフットサル場の運営をBANFFさんが任されていた形でした。撤退するにあたりBANFF社長の櫻井さんが森田テニスの社長と交渉して「BANFFさんから運営権をもらったら」と声をかけていただき、森田テニスさんと交渉の末、PIVO登美丘の運営をさせていただくことになりました。
それからはフットサル場の運営とスクールコーチ、フットサル選手の3つをメインに活動していました。BANFFさんが撤退したのも理由があり、数年前の最盛期と比べるとコート利用が減り、大会に関しても数年前は10チーム以上集まっていた大会ができなくなるという状況でした。
個サルの充実、施設リーグの拡大など全盛期ほど上手くいきませんでしたが、それなりに運営はさせていただきました。施設は駅から歩いて20分、ピッチも砂入りの人工芝、近隣住民との約束で22時までと中々難しい環境でしたが、たくさんの方のご協力でなんとか運営していました。
しかし、15年9月に10月で施設運営の契約解除を森田テニス当時会長から告げられました。フットサルが悪いというわけではなく、他の店舗のテニスコートの建物が耐震制度に引っ掛かり、テニスコートをどこかに持っていかないといけなくなり、PIVO登美丘のフットサル場をなくしテニスコートに変えるという経緯でした。
いきなりの契約解除だったため、「どうしようか」と考えている暇もなく、スクールやチームをこのまま継続できて、今よりもいい条件(時間的、施設ピッチ)の場所がないか、近隣に空いている倉庫を探していました。
石川県のビークス木村の木村社長も倉庫をフットサル場にされていて、何年も前から子供たちの合宿で使用させてもらい、「そんな風にできたらいいなあ」とは考えていてたくさん相談を受けていただきました。
不動産会社に何個か倉庫を見学に行かせてもらい、広さや立地、その他色々問題があったのですが、候補が2か所に絞られました。1か所はフットサル場にはしないと家主さんから断られ、現在営業している場所に決まりました。木村社長もわざわざ来てくれ、フットサル場としてどうかみてくれました。
施設の名前を「PIVOフットサルスタジアム」とし、15年12月にオープン。前の施設もたまたまPIVOが入っていたので、そして僕のポジションもPIVOだったので、そのまま使いました。フットサルスタジアムはそのままフットサルするところという意味です。
流行っているフットサル場は駅近ですが、PIVOフットサルスタジアムは南海高野線北野田駅から徒歩50分、近鉄富田林から徒歩35分と立地は最低条件です。倉庫の広さがピッチサイズにフロントだけなので、更衣室やシャワーはありません。
ピッチサイズ縦36メートル、横16.4メートル。縦はいい感じですが、横は壁とギリギリで最低ライン。営業時間は24時間営業が可能な好条件です。そしてピッチはスポーツコートで、下は薄いじゅうたんをひいており、スポーツコート特有の「パカパカ」と鳴らないようにしました。これは最高じゃないかと思います。
金銭的には家賃、スポーツコート、倉庫をフットサル場にする費用、フロント、トイレくらいが最低限必要だと思います。家賃はその場所で決まっている場合や家主さん次第です。
スポーツコートは一般的に正規のコートにすると、1200万円くらいと聞いています。フロントの倉庫、仮設トイレ、これくらいがフットサルコート1面分の最低額だと思います。
安くはないし、最初からお客さんがどれだけ入るかわからないので、本当に覚悟が必要かなと思います。僕の場合は「PIVO登美丘」から車で20分くらいしか離れていないところに倉庫を見つけることができたので、最低限のスクール生や個サルのお客さん、施設リーグの参加チームが最初から見込むことができました。
それでも倉庫を探したり、工事をしたりで3か月空いてしまいました。最初の営業はまだ完成されていないまま本当にスポーツコートを敷いただけでした。今の目標はPIVOフットサルスタジアムの横に同じ大きさの倉庫が並んでいて、現在は空いているので、倉庫を借りて2面で運営できたらいいなと思っています。その時は更衣室とシャワーなどを設置して環境も良くしたいですが、まだまだです。
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大阪の強豪「エスタボン」誕生
07年にジュニアのフットサルスクールを立ち上げました。1年経ち小学生年代だけではだめだと思い、TOPチーム(社会人チーム)も立ち上げました。そのほかのカテゴリーも立ち上げたかったのですが、全く人が集まらなかったのが現実でした。
10年くらいにスクールの保護者の方が「チームとしても活動してほしい」と言ってくれたので、「エスタボン」としてU12クラスで活動し始めました。その年代の選手は他のサッカーチームに入っていたので、試合に来ることができたり、所属チームの練習や試合があるので来ることができなかったり、自分自身も中々難しい状況でしたが、チームとして活動してみたいという気持ちになっていきました。
スクールに来てくれている選手たちが「フットサルをしたい」と、各学年2、3人ぐらい出てきてくれたので、フットサルだけをしてくれる選手でエスタボンU12というカテゴリーで活動を始めました。
人数は少なかったですが、僕が所属していたミキハウスフットサルクラブの試合を全試合観戦、Fリーグの試合やTOPチームの試合を年間100試合くらい観戦し、「フットサルとはこういうものだ」ということを徹底して観てもらいました。試合もフットサル専門のチームがあれば、関東に行ったり名古屋に行ったりと精力的に活動しました。
そんな選手たちがU15クラスに上がってくれて、自然とU15クラスができました。人数が少なすぎましたが、選手たちはチーム活動に参加してくれました。公式戦は全日本選手権くらいでしたが、TOPチームの試合や練習に参加することで経験を積んでいってくれました。
その選手たちがU18クラスに上がってくれて、自然とU18クラスもできました。今ではTOP(大阪府リーグ1部)・サテライト(大阪府リーグ3部)・U18・U15・U12と大所帯になってきました。
TOPチームは11月現在大阪府リーグ1部1位なので、このまま優勝目指して関西チャレンジを勝ち切って関西リーグ2部に昇格することが目標です。サテライトは楽しく、時々厳しくフットサルを楽しめたらいいなという考えです。
U18クラスはTOPチームに常に帯同し、高校を卒業する時にはFリーグや海外を目指す選手になってもらいたいです。U15は非常に難しい年代でせっかく入ってきてくれたのに、だいたい中学2年生で辞めていく選手が多いです。この年代はとりあえず3年間続けるということが目標です。U12クラスはこの時期が1番大切な時期だと考えていて、勝った負けたよりしっかりフットサルを理解して成長していってほしい年代と考えています。
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関東ではFリーグの下部組織のチームがセレクションをすると言ったらすぐに何十人と集まると聞きました。関西ではまだまだ集まらないのが現状です。これからはフットサルという可能性をたくさん広めていき、「関西で小学生からフットサルをするならエスタボン」というのを根付かせていきたいと思っています。
(了)
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