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ポートレートに隠れていた愛着

「あなたは自分の顔に満足していますか?」

ギクッとする質問だ。

人は基本的に自分の顔を選べない。
もしも自分の容貌が、同い年の俳優、佐藤健さんや松坂桃李さんのような顔であればどうだろう。満足ですと答えるかもしれない。しかし、実際はそんな端整な顔立ちをしていない。僕はいわゆるユニークフェイスである。

ユニークフェイスとは外見(容貌)に病症/ケガがある当事者を指す言葉だ。僕の場合は先天性の疾患・形成異常によって、瞼が閉じきれないのと、軽い斜視の症状がある。乾燥によって慢性的な充血を引き起こしているので、ぱっと見た感じ痛々しい顔をしている。実際は、たまに軽い痒みを感じる程度で、そんなに生活に支障はないが、思春期の頃は、写真や鏡を見ては自分の外見に思い悩むことも多かった。

さすがに32歳になった現在、劣等感に苛まれることは少なくなった。それでも、初めて会う人には若干の緊張感がある。余計な心配をかけたくないからだ。先回りして自分から事情を説明することも多いのだが、いちいち話すのも面倒な時もある。だから、病状がある自分の顔にとても満足しているとはいえなかった。ところが最近、その認識が少し変わった出来事があった。

きっかけは特別定額給付金。僕はこの10万円を、普段やらない自分磨きのために使おうと考えていた。はやりのブランディングというやつだ。僕はこれまで就活用の証明写真以外で、自らお金を払って誰かに撮影してもらったことはない。

しかし自分のNPO等の活動で、今後イベントを立ち上げたり、登壇するような機会があれば、きちんとしたプロフィール写真が必要になる。また恋活アプリを使ったり、お見合いをする機会があれば、映える写真はあった方がよい。そこでプロにポートレート撮影を依頼しようと思い立ったのだ。

撮影はフォトグラファーの川島彩水さんにお願いをした。川島さんは新卒でWeb企業に入社後、副業を経てフリーランスフォトグラファーに転身。人物写真を中心に、ライブ・イベント・インタビュー等、様々な媒体で活躍している。あえて面識のない彼女に依頼した理由は、Webメディア「soar(ソアー)」に掲載されている写真がどれも自然体で素晴らしかったからだ。

走り梅雨に晴れ間が見えた夏至の日、撮影は都内の公園で行われた。外見に自信が持てない気持ちを抑えきれない僕は、「変な格好、見た目じゃないですか?」と、初対面の川島さんに返答に困るような質問をしてしまった。普段大した美意識もないのに自意識過剰である。「全然大丈夫ですっ!」と笑顔で答えてくれた彼女は、本当に僕の外見なんか気にせず、軽快にシチュエーションを変えながらバシバシと撮った。川島さんとは同世代ということで会話も弾み、あっという間に撮影は終了した。

別れ際、「要望など、何かあれば遠慮なくご連絡くださいね。」と言われて、迷っていたことを思い出した。それは充血した眼を目立たなくする加工をしてもらうかである。ポートレート撮影は本人が希望すれば赤みを消せるように依頼できる。実際、過去の就職活動では、履歴書に使用する証明写真を加工してもらった経験もある。

就活であれば、印象良く写っていた方が書類審査も通過しやすいだろう。ただ今回のプロフィール写真は誰に見せるのか。どこかの人事担当者ではない。あえて言うならば今後自分が出会う人々、つまり知らない人たちだ。対象が明確でない以上、自分自身が納得できる写真写りかどうかが大切だ。

そう考えた時、外見をよく見せたい、煩わしい指摘はされたくない一方で、ありのままの自分の姿も写して欲しい、という矛盾に気が付いた。なぜなら充血も、手術の痕も全部含めて自分の顔だ。僕は生まれ持ったものを、否定したいわけではない。必要以上に写真を加工するということは、自分の持っているものを否定して別人になることだと思った。今後自分が出会う人々がその写真を良いと言ってくれたとしても、別人を褒められている気がして、素直に喜べないだろう。僕は不満に思っていたユニークフェイスに、愛着が湧いていたのだ。

こうなると結論は川島さんの技術と感性、そして自分を信じるしかない。加工等のお願いはせずに、完成を待つことにした。

仕上がりはとても素晴らしかった。恵みの雨に濡れた木々が、柔らかい日差しによって鮮やかなグリーンとなり、爽やかな背景を演出してくれていた。肝心の顔については、もちろん眼の赤みは残っている。しかしそれ以上にすごくいい表情をしている。内面を上手く引き出してくれていて、「見せたいと思える外見の自分がいる」という、なんとも嬉しい気持ちになったのだ。

早速Facebookのアイコンを変更したところ、ありがたいことに、今まで見たことのない数の反応があった。いいね!をつけてくれた友人一覧を眺めながら、僕は確かにこの顔で人と出会いを重ね、関係性を築いてきたのだとしみじみ思った。そして、彼らが証人のように見えて、この顔で30年以上生き抜いてきたことに、誇らしい気持ちさえしてきた。

いや写真の印象が良かったからといって、別に症状のある顔が変わったわけではない。しかし、10代の頃には分からなかった、自分らしい顔というものを教えてもらった気がしたのだ。

ところで「自分の顔に満足している。」と答えられる人なんて、一体どれくらいいるのだろうか。ある化粧品ブランドの調査によると、日本の10歳から17歳の少女の93%が容姿に「自信がない」と回答しており、これは調査対象をなった14か国のうち、最も高い割合だという。ユニークフェイス当事者に関わらず、若者に共通する悩みといえる。その背景には、メディアが理想の顔や身体を作り出していたり、容姿で人をジャッジしてしまう文化があると思う。

そんな土俵には乗りたくないと思いつつ、僕は本文の冒頭、人気俳優の名前を挙げたし、調子に乗って恋活アプリにも登録してしまった。つくづく矛盾していると思う。

とはいえ、今回の撮影で自分の顔に満足はできなくても、愛着が確かにあることを知った。選ぶことも、手放すこともできない顔。だけど、そんな顔と一番長く付き合ってきたのは外ならぬ自分だ。痛々しい傷もあるけれど、人としての深みや味わいが他者に映し出されるのならば、それを隠す必要はないのかもしれない。