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わたしの卒業研究

2021年1月上旬、わたしはとても焦っていました。なぜなら1ヶ月後に締め切りの論文に取り掛かっていなかったから。

2020年4月から卒業研究に取り組んでいて、全く何もやっていなかったわけではなく、むしろ心折れずに(折れそうな時も多かったけど)真面目に取り組んでいた方だったと思います。

今でも私の卒業研究について振り返ることが多々あるので、当時行ったことを改めてまとめようと思いました。

わたしの卒業研究概要

「生きる」を表現する
というタイトルで論文を書きました。英題は Expressing to "Living" です。

人間が生きるってどういうことなのだろうかと、小さい頃からずっと考えてきたけれど、やっぱりよくわらないまま生きています。

そういう気持ちを作品としてアウトプットしたら、生きることの本質が見えそうな気がするからとりあえずやってみました。という内容です。
誰かに訴えかけるでもなく、自分自身が前に進むためにやっていたと思います。

ちなみに高専と大学での専攻分野はグラフィックデザインでした。(大学ではグラフィック以外にも、プロダクトやUXも学びました。)
この卒業研究は、デザインなのか…?となる内容ではあります。
アートでもデザインでもなくただのわたしの頭の中を外に出す行為だと認識しています。

きっかけ

わたし自身、小さい頃から「生きるってなんだろう」と悩むようなタイプで、今でもなぜ生きているのだろうかと思いながら日々過ごしています。
そのせいか、哲学的な事に興味があったり、人間とは?宇宙とは?みたいな果てしないものが大好きで、尚且つ身近にある存在なので、ある程度知識があり・興味があって深めやすいと思い、卒業研究のテーマとして選びました。

諦めたこと

「生きるとは何か?」といった問いに対して、卒業研究に取り組む1年間という短い期間で答えが出せるとは思っていません。

ルキウス・アンナネウス・セネカという大昔の哲学者も、著書『人生の短さについて』の中で、

あれほど数多くの偉大な人物が、すべての邪魔ものを捨て去り、財産も地位も快楽も投げうって、生きるということを知るというただひとつの目的を、人生の終わりまで追求し続けた。にもかかわらず、彼らの多くは、自分はいまだそれを知らないと告白して人生を去っていったのだ。

と語っていました。

それと同時に、「生きるとは何か?」に対する問いは各々の中で答えを見つけていくものであって欲しいと考えています。
今回の卒業研究として制作したものを通じて、答えを提示するのではなく、答えを見つけるヒントになれば嬉しいなと思い、私自身の制作と考察の繰り返しを開示することにしました。

卒業研究のプロセス

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基本的に、制作と分析を繰り返しました。「分析」とか大層な言葉を使っていますが、ただ単に制作して感じたことや、制作物と「人間が生きること」の関係性について考えをまとめる作業の事です。

文献・作品事例調査とかは制作と同時進行で継続して行っていました。

Twitterで少しだけ好評だった本音書き込みver.も載せておきます。

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卒業研究のきっかけとなった作品

「生きるを表現する」ということをテーマに卒業研究にするきっかけとなったのは、大学3年の授業課題で制作した動画です。

ずっと抱えてきた「生きる事に意味はあるのか」という悩みが拗れてよくわからなかった心理状態を表現しました。
この動画がきっかけで、人間が生きることを表現する可能性や意味に興味を持ちました。

この動画の考察から卒業研究をスタートしました。

・生きていること自体、自分(映像の中の人物)にはどうにもできない
・意味の有無も分からない行為の連続、生きている中で味わう感覚。このままでいいのだろうかとかと言った悩みなど

この2点が最終制作まで一貫して軸になっていたと思います。

影響を受けたアート作品や本など

河原温「Date paintings」

『メインストリーム』編集部がクラウドファンディングに挑戦!?

宮島達男「30万年の時計」

クリスチャン・ボルタンスキー「黄昏」

ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」

ルキウス・アンナエウス・セネカ「人生の短さについて」

マルセル・デュシャンの墓碑名「D'AILLEURS,C'EST TOUJOURS LES AUTRES QUI MEURENT.」(されど、死ぬのはいつも他人)

論文の中では、自分の作品と作品事例を比べたりしました。

制作したもの

卒業研究に取りかかり始めて最初に制作した動画です。

糸を切り、リボン結びにする行為を繰り返すところから、意味の有無がわからない行為の連続の中で私は何を得られるのだろうか、何を積み重ねることができるのだろうかと悩んでいた気持ちを表現しました。

糸の持つ、材料としての可変性(例えば、糸を織ると布として使えたり、一本の糸でも物をまとめたりなど、様々な形態で使う事ができるその幅の広さ)と、一度切ってしまうと元には戻せないという不可逆性が私の表現したい事の一つだと感じました。

わかりやすい表現に置き換わったかわかりませんが、つまり「覆水盆に返らず」ということです。どういったものでも同じ事が言えると思いますが、「生きる」事のどこか普遍性を垣間見ました。

この後もいくつか制作しました。

最終制作への足掛かりになった試作

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生きるって、区切りはあるけれど繋がっているなと思いました。

糸の塊を袋に詰め、並べてゆく。繰り返しの作業の厳しさと、繰り返しという同じ要素の中にある、糸の入れる量や入れ方が毎回違うという人間性。

生きることは繋がっていて、だけどどこか変わってゆく様子。

それと、この制作をしている時期は卒業研究においても、将来においても悩んでいました。

最終製作

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同じ行為の繰り返しから「生きる」ということについて表現したかったことが、制作の繰り返しでわかってきました。

日付をかき入れてパッケージングするという手法をやってみることにしました。

人間の繰り返し行為に、日付や時間などの数字を使った概念が組み合わさったものとなりました。
河原温『date paintings』や宮島達夫『30万年の時計』など、数字を扱った作品から影響を受けています。

感想

この卒業研究について、論文の項目における「まとめ」のようなものは書きたくないので、書きません。実際に提出した論文にはまとめをつけましたが、あくまで論文の体裁を保つためのものでしかなかったので。

正直、卒業制作や論文に関して提出時には何ひとつ納得していませんでした。日付を書き入れるという行為があまりに説明的すぎて、嫌気がさしていました。

今も納得していません。だからこれからも「生きる」をテーマに作品を作り続ける必要があると考えています。私自身のために。

反省点と、これから卒業研究や卒業論文に取り組むみなさまへ

・手を動かしておけば後から救われる
たくさんの制作物があったので、論文が書きやすかったです。
制作の分だけ考えた事や、思った事、それに付随して調べたことなどが豊富にあり、情報を整理するだけで論文がほぼ完成しました。

・1ヶ月で論文を書き上げようと思わない
早く始めてください。制作しながらでも、調査しながらでも論文の骨格くらいであれば作れます。
骨格がなければ肉をつけることができません。
細かい言い回しにこだわる前に全体像を6割でもいいので組み立ててください。

・文章力は一朝一夕で身につくものではない
長い文章を書こうと思うからしんどくなるのであって、繋がりのあるツイートを200回くらいする、みたいなノリで書くと何故か書き進められます。これに気づいたのは卒論提出2週間前でした。

・論文は小説ではない
最初の論文添削を受けて私が思ったことです。遠回しな表現を多用して、伝えたい事の本質がぼやけてしまい、読者に解釈を委ねる状態になってしまっていました。


このnoteすらも納得していないのでまた修正します(2021/10/07版)

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