喪失について

数日前の朝、通勤中のこと。
車内で鼻歌を歌っていたら、唐突に「喪失」という言葉が脳裏に現れた。
はて、とそれからしばらく「喪失」を思い出しては考えていたのだが、どうやら私は喪失について言葉を器用に選択出来るほど詳しく知らないようだった。

喪失とは失うことなのだろうか。
失うことに変わりないのだろうが、なにかもっと多くの意味を孕んでいるように感じた。なんとなく剥きになり、どうにか言葉を選び出そうとした。

今日の夕方、会社から自宅へ向かう途中のこと。
信号待ちの車内で、前に並ぶ車のテールランプを見るともなく見ていたら、これまた唐突に「喪失とは、失ってなお失えないこと」だと思った。
どうしてそう思ったのだろうか。それを考えながら帰宅した。
今更ながら自宅で「喪失」を辞書で引いても【なくすこと。失うこと。】とらちが明かない。

そして先程、犬の散歩の途中のこと。
「あぁ、失ったものを失えないのは、失いたくなかったからだ」と突き当たった。
失くしても構わないものを失ったとき、人はきっと不満足に思うにとどまる。けれど失いたくないものを失ったとき、人はきっと不完全さを感じるだろう。自分自身や人生を構成する一部が欠如したような、すーすーと足らない気持ちになるだろう。
それが喪失なのではないか、と散々考えたわりには気抜けするほど簡潔な結論となってしまった。

そして今、これを書きながら「喪失」の「ソウ」は【喪に服す】の「モ」であると改めて気づいた。
もう手の内に戻らないと解っているものであっても、想うことでいつかきちんと失えるのかもしれない。
そんなことを考えて、少し気が楽になった。

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