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1959年当時の「チャンドラー(=ハードボイルド)」のアメリカでの評価と、「本格推理」に馴染んでいる日本人の困惑。文庫本の解説より。

私は「ハードボイルド小説」は読んだことがありませんが、「ハードボイルド映画(ほぼアメリカ映画)」は好きで、多分20本以上は観ているはず。

レイモンド・チャンドラー(1888-1959) ※←↓解説に出てくる人物と本※
ダシール・ハメット(1894-1961)
アーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)
◆『大いなる眠り(The Big Sleep)』 原著:1939年刊行
◆『さらば愛しき女よ(Farewell, My Lovely)』 原著:1940年刊行
◆『長いお別れ(The Long Goodbye)』 原著:1953年刊行


レイモンド・チャンドラー大いなる眠り』(1959年創元推理文庫)に収録の中島河太郎(1917-1999)の解説より引用。双葉十三郎(1910-2009)訳。

《_チャンドラーは従来の推理小説を全く否定した。彼は本格推理小説の特殊性をほとんど認めず、リアリズムを提唱した。_彼は評論家ヘイクラフトが推理小説の黄金時代とよぶ第一次大戦後から一九三〇年までの諸傑作をふり向きもしない。~~を罵倒し、次のようなことを述べている。「従来の型の推理小説は傑作も劣作も五十歩百歩であって、リアリティーに関するかぎりすべてゼロである。これは冷静なプロット構成力と生き生きした性格描写力とは同一作家に共存しないからである。厳正なる論理学の描きうるものは雰囲気にあらずして製図上の設計図にすぎず、旧推理小説の名探偵たちは実にりっぱなラボラトリーに納まっているけれども、探偵自身の人間としての風貌はいっこう印象に残らない。_これに反し生き生きとした人間を描き得る作家には、考え抜いたアリバイを打ち破ってみせる能力がないのである」_彼の責めようとする本格推理小説の欠陥は一応もっともであるが、それゆえにこそ推理小説という特殊文学形式が存続したのであって、彼の方向を押し進めれば普通の文学になり、論理的興味を充たす何ものもなくなるわけであった。_そして彼の推称するのはただ一人、ハード・ボイルド派の確立者ハメットである。ハメットはヘミングウェイの初期の作品の影響下にあるようだが、ヘミングウェイのほうでもハメットに学ぶところがあったらしいと言い、一番取りのぞきにくい権威の殻をイギリスがかぶっていた分野は推理小説で、それを打ち破ったのはハメットだと述べている。_だがかんじんのチャンドラー自身のことについてはほとんど知られていない。わずかにシカゴ生れで、作家になるまえ、種々雑多の職業を転々としたことしかわからない。_一九三九年に処女作「大いなる眠り」を発表したが、これは一流の批評家を感心させたばかりでなく、インテリをもって自任する人々にも、決して場違いの感じを抱かせることなく愛読された。「タイム」の書評欄は彼の長編に対して次のように評している。「彼の作品はよき推理小説の条件、すなわち小説としての巧みさ、サスペンス、速度、ばかばかしさのないことなどを、すべて備えていた。いや、それ以上であった。彼の探偵マーロウはロス・アンジェルスのネオンとナイロンの激流の中で生まれたかのごとく、映画界にはうってつけの性格であった。ちょうどそれにふさわしい無鉄砲さと、そして感傷性、映画界は彼によってはじめてかかる性格を発見した。彼の小説のよさは、緊迫したスリルを持ちながら、きわめて自然であり、ほとんどこしらえもののあとが見えないことである。何よりも、彼は新鮮である。ピチピチと生きがいい。そのうえ彼の発明による新感覚の語法が、いたるところに、胡椒のごとくふりかけてある」(江戸川乱歩氏訳)_そのため彼の作品は全部映画化されたが、彼自身まで映画界入りを慫慂(しょうよう)され、ハリウッドの仕事に従事した。その間六年、推理小説の筆を絶ったが、映画の仕事をやめて第五作「かわいい女」を発表した。その後また五年を経て「長いお別れ」を書き、こんどは四年後の一九五八年にPlaybackを発表した。_彼の生涯の著作は長編七冊、短編集四冊があるにすぎない。~~これらの数少ない作品が一般読者の圧倒的支持を受け、映画界からもはげしい関心の的になったが、それだけにとどまらず、一流の批評家からも賞賛を浴びたことは異例であり、彼のたくましい筆力と新鮮な文体の樹立には驚くべきものがある。その彼も一九五九年の三月二十六日に世を去ってしまった。~~またアメリカの文学者エドマンド・ウィルソンが推理小説を罵倒した評論を書いたのに対して読者から多数の抗議が寄せられた。その手紙にはそれぞれ傑作と思うものをあげ、これをまず読んでくれというので、あげられた作品中頻度の高いものをウィルソンは読んだ。そしてその傑作と称するものを片っぱしからやっつけているが、ただチャンドラーだけは非難をまぬかれている。すなわち「抗議者たちが推称した作家のうち、ともかく小説が巧みだといえるのは、チャンドラー一人であった。彼の『さらば愛しき女よ』だけは、私も中途で投げ出さないで、おもしろく読み終った。チャンドラーは最近の随筆で、ハメットを彼の作風の父と呼んでいたが、彼はハメットその他、過去の作風のいずれに属するものではない。彼の書くものはハメットよりも、むしろヒチコックと、グレアム・グリーンに近い。グリーンのごとき小説を書くためには、性格を創造し、事件を創造し、雰囲気を創造しなければならぬが、チャンドラーは、グリーンの域にまだ遠いけれども、これをよくなしうる作家である」というのである。_チャンドラーの作風がハメットに負うところ多大であったことは、彼自身も語っているところである。だがこれらハード・ボイルド派の作風は、わが国のように本格物で鍛えられた愛好家を、はじめずいぶんとまどわせた。奇怪な謎が冒頭に提出され、徐々に捜査・推理が行われ、しまいに論理的解決を見るというゆき方に慣れたものにはどうにも歯ごたえがないように感じられる。_チャンドラーはこういう常套的な手法をまったく否定し、新しい構成をとっている。旧来の本格物は首尾一貫しているが、これでは派生的な事件にぶつかり、しだいに隠された本筋の事件を探り当てる。そして解決も物的証拠の説明をくどくどと述べたてたりなどしない。だからそういう意味では彼自身が痛罵しているように、本格推理小説の常道を無視しているのだから、論理的興味を満足させられない。_彼の意図は生き生きとした人間の描写にあり、現実を直視することなのである。彼がその目的を達したのは表現方法の新鮮さによることが大きい。形容のうまさ、会話の妙味、描写の迫力など、チャンドラーが一挙に読者を魅了したのは、プロットや構成の巧みさとあいまって、すぐれた効果を発揚したからであった。たしかにハメットにより確立されたハード・ボイルド派の正系の代表者チャンドラーは、文学に直結した。だが現代アメリカ文学の一産物であることが、とりもなおさず推理小説の当然進むべき方向であったかというと別問題である。推理小説があまりに論理に偏重しがちなために、人間を喪失したという欠陥に対する非難は甘受すべきであったが、チャンドラーの解答がそのただ一つのものであったとは考えられない。_少なくとも従来の推理小説ともっとも対蹠(たいしょ)的な作品がここに提供された。新時代の推理小説はこの両者の上に足を踏まえたものでなければならぬと思うのは、はなはだ虫のよい願いであろうか。》 P.273-279


※「欧州(イギリス?)からのアメリカの文学的独立」という背景があったりするんだろうか。文学にも文化にも政治にも歴史にも無知でわかりませんが。
小説も映画も「ハードボイルド」は基本アメリカ固有のものだと思うけど。
これが本当なのか知りませんが、かなり昔にテレビで『アメリカでサッカーの人気が無い(根付かない)のは、宗教弾圧から逃れてきた欧州を思い出すから』とか解説していました。真実味があるか知らないが「へー」と思った。
スポーツにおいてもアメリカでは「アメリカ産プロスポーツ」のみ?が人気。

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