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エンターテイナーに『近づく』その先にあるものは〜夢のままにするか、失望を受け入れるか〜

1.あの人は『あんな男』だった

私が伝統芸能に足を突っ込んでいた若い頃、師匠は沢山の歌舞伎役者と付き合いがあった。伝統芸能という狭い狭い世界、同世代はみんな親戚みたいなものらしい。

私が、あるご贔屓の歌舞伎役者の名前を出した時のことだった。

師匠は笑って言った。

『あんなのがいいんですか?』

どう『あんなの』なのかについては教えてくれなかったが、師匠の笑いは止まらず

『どこがいいんですか😂あんな男の』

と繰り返すばかりだった。

こんな事なら聞かなければよかった、と後で後悔した。

2.エゴの強さもまた才能

俳優、タレント等の芸能人と並んで、アスリートもまた、エンターテインメントの世界では憧れの存在だ。

私はいわゆる『追っかけ』活動なるものをしたことはない。だから実際、ラグビーファンがラグビーチームの練習場に、毎日、1年通ったら、選手スタッフとどういう交友関係が持てるのか想像がつかない。

ただ、ここまで生きてきて、おぼろげながらわかったことがある。

芸能人も、アスリートも、厳しい競争の中で凌ぎを削り、その世界の頂点を目指している。そういう環境にあってその競争に勝つ人間は、多分にエゴが強い。

エゴの強さもまた才能

と友人に言われたことがある。しかし、エゴの強さとは、しばしば

自分勝手、薄情、意地悪、

という負の姿に形を変えて、自分を愛するものに襲いかかる。

しかも、ファンなる存在は、自分の愛する対象をとことん許してしまいがちだ。どんな残酷な仕打ちにあっても、『彼の.彼女のため』と苦しさを呑み込む。ある種のDVにも見える。

若い頃の話だが、私の周りにも何人か、ファン活動をきっかけに人生が狂ってしまった女性がいた。中途半端にエンターテイナーと関わりを持ってはいけない、とその時学習した。

3.得られるのは喜びが、失望か

ラグビーW杯が終わり、寒さも厳しくなった頃、私はあるラグビーチームの『練習場』なるものに初めて足を踏み入れた。今まで敬遠していた

エンターテイナーとの接点を持てる場所。

正直なところ、あまりに距離が近くて怖いほどだった。自分はもういい歳だから、選手達が息子のようにも見えて、彼らの姿はただ微笑ましいばかりだが、あの若かった頃にここにきたら、自分もなんだか危ういフワフワした気持ちになってしまっただろう。

ただ、ラグビー界の選手とファンの距離感は、

とても近いような、どこか遠いような

ある種絶妙に魅力的な距離でもあり、この雰囲気の心地よさに練習場に通い続ける女性が多いのもうなづけた。もちろん、これは40代以上の話だ。

ここにいる青年達と何ら恋のドラマは生まれない、という安心感

が実は根底にある気がする。

そう、W杯後、毎日の様に練習場に通い詰める女性達の姿が何度か報道された。

書いているライターは男性だったが、彼らは少し勘違いしている面がある。

彼女達は

アスリートとして美しく躍動する選手の姿に魅了されつつ、何か夢や思い出に似たものを重ねながら、彼らをみつめていただけなのだ。

決して本気で『松島幸太朗くんの彼女になりたい🌟』なんて思ってはいない👊

数時間うたかたの夢を見て、平凡な、あるいは苦しい現実に戻っていく。ただ、それだけの事だ。

若い頃全く理解できなかった『追っかけ』活動の意味を、年を経てそれなりの苦労を重ねた今、ようやくのみこめるようになった。

コロナ渦で、練習場は非公開が続いている。おそらくこの状態はしばらく続くだろう。

行ってみたい、と思う反面、行けなくてホッとしている自分もいる。

まだ私には、『ガラスの壁』の向こうにいるラグビー選手なるエンターテイナー達に、その壁を破って会いに行こう、という決心がつかない。

喜びと、失望と、どちらが大きいのか。

宝塚歌劇に毎月通いながら、私はまだ誰の私設ファンクラブにも入会はしていない。

私の夢見る『あなた』であってほしい、と強く望む相手にはむしろ近づかない方がいい、

そう未だに信じる自分がいる。




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