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今まで娘を認めてこなかった母からの手紙

先日、母から手紙が届く。

私が出した手紙への返信であった。

私は普段は手紙など書かない人なのに
どういう風の吹き回しか母に書いたのである。
ひとつは3人の息子のうち2人が自分の道を歩み始めた報告。
ひとつはここに至るまでの自分の子育ての変遷をつづった。

その返事は

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先日のお手紙は離婚後の子育ての苦労が滲み出ていて読んでいて
じぃーんときました。
涙ぐましい忍耐と努力を重ね、子育ての終盤にさしかかり
良い結果が得られたことを私も一緒に喜び合うことができて
嬉しい限りです。
多くの無駄な時間・費用が費やされましたが、これからは
さらに納得のいく親子関係を大切に家族中心にすごしてください。

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私と母の関係性は幼い時からよくなかった。
母は私をなかなか誉めず認めてくれなかった。
どちらかというと否定的な態度や言葉を
受け取っていたと私の記憶にはある。
それは大人になっても続き、結婚後、母から離れられる解放感は
あったものの、私の子育てに容赦なく口をはさんできて影響を受けざるを得なかった。挙句の果てに息子の不登校ライフが始まり、誰にも言えない気持ちをもしかしたら母だったらわかってくれるかと話したところ「不登校は母親の責任です。母親の過干渉が不登校にさせるのよ。かわいそうな孫たち。あなたが何とかしなさい。」と言われる。長きにわたる不登校ライフで途中経過を報告しても「私にいろんな話を持ってこないで。年寄りに心配させていることがわからないの?相談されても何を話していいかわからないから!」と言われる。
私はこうして不登校の話を母には一切話をしなかった。

そして
離婚の話もいっさい相談はせずに進めて離婚をした。

つまり私は不登校のこと、離婚のことを全部ひとりで決めたのである。

私は母から
褒められること、認められること、理解されることに対するすべての期待を
手放してここに至っているのである。

なので
この手紙には驚いた。

28年間の子育てのうち、14年目にして不登校になり味わう子育ての挫折。
そこから14年間、私は自分自身を責め続け自分が変わろうとやってきた。
そして、息子たちの成長が私のしてきたことの証となり、母に伝わったのである。

母に反対されることばかりを、散々してきた私は母からの承認を
微塵も期待せずにここまで来た。

どうせ、言ったって母には理解してもらえない・・・。

母は手紙を書くことが好きである。
そのほとんどが娘への教訓、戒めの内容である。

今回のような内容の手紙はもらったことがない。

今まで娘を認めてこなかった母からの手紙。

短い文面の中にすべてが凝縮されていることを感じられた。

私は世界で一番認めてほしかった人から

認めてもらったのだということに気づいた。

そして涙腺崩壊する。





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