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きっとそれは春のせいなのだ

春といえば雨上がりの土の匂いという感覚が私にはある。何年か前に虹の香りというアロマオイルを買ったのだけど、その香りは雨上がりの土の匂いにも似ていた。今「香り」と「匂い」と両方をなんとなく使ってみたけど、違いってなんなんだろう。「香り」の方がお洒落な感じがする。「匂い」は生々しい感じと、生命力も含んでいるような…。

ついこの間私の中で小さな発見というか、「そうか」と納得したことがあった。それは「虹」という漢字についてである。あんなに儚くて綺麗な現象なのになんでむしへんなんだろうって。そのアンバランスさが頭の片隅でずっと疑問だった。それが「土」と「虹」が結びついたことによって、「そうか」となったのだ。何年か前から雨上がりの土の匂い=虹という数式は出来上がっていたけど、虫=土の匂いに至ったのはごくごく最近のことである。

少し前にこんなメールがきた。それは「良かったらピアノの発表会にでませんか」という内容のものだった。とあるピアノカフェでちょっとした集まりがあるので、そこで演奏をしないかという事だった。文面とともに緑の木々に囲まれたレンガ造りの素敵な建物の写真もあった。

私は小学校の頃からだいたい中学生までピアノを習っていた。小学校・中学生と合唱コンクールなどのイベントの時には伴奏をした事もあった。家には母が若い頃、母自身の為に買ったピアノがあって、一人暮らしで実家を出るまでは好き勝手にそのピアノを弾いて育ってきた。続けていれば音楽の道も…なんて淡い妄想を今までになんど抱いた事だろう。残念ながら今では「趣味」とも言えないような、ただちょっとだけピアノを弾く事が出来る人という枠に入るくらいのものである。やっぱりまたちゃんとピアノが弾きたいなと、何度も何度も思いながら、長い間鍵盤に触れることなくここまできてしまった。

20代の頃一度だけピアノを再開してた時期がある。その頃勤めていた職場に音楽に造詣のある人がいて、ピアノの先生を目指しているという事だった。少しだけお互いの熱量が重なって、私はその人にピアノを教えてもらえる事になった。今回のメールはその人からだった。頻繁に連絡をとっているわけではないけれど、その人とは「ピアノ」で繋がってるということになるのだろうか。今では本格的にピアノ教室もやっているらしかった。「久しぶり」という会話からだいたい始まる気がするのだけど、それは毎回「久しぶり」を感じないような、不思議な温度のある関係だと私は思っている。

「人前でピアノを弾く」。もうその事が最近は頭から離れないのだ。ピアノ以前に私は極度のあがり症なのである。もう何年も人前でピアノを弾いた事がない。学生の頃とは訳が違うのだ。あの頃のエネルギーはもう自分は持っていない。すんなりいくわけがない。第一ピアノを持ってないのに練習をどうやってするのだ。(これは本当に厳しいかも)

怖い。

でも…。

今日もそんな頭を抱えながら、公園のベンチで昨日の雨のほのかに香る土の匂いとともに、風に揺れる木々の萌木色を見ていた。足元では、人馴れしている数匹の鳩が頭をこっくりこっくりしながら、周辺に座る人間のまわりを適度な距離感でうろついている。少し離れたところで「キャッキャッ」と好奇心の塊のような子供達が遊んでいた。そして、「うぁー!!」と鳩のまわりに集ってきた。

次の瞬間、一斉に鳩が空へと飛びたった。まるで子供の生命力、エネルギーをそのまま空へと運ぶかのように。先ほどまでのなに食わぬ顔からうって変わって、ものすごい勢いで空を飛んでいた。

鳩ってあんなに颯爽と飛べるものだったっけ…。

人前で何かを表現するのは私にとって恐怖だ。でもきっと、本当は心からそれを望んでいるのだとあらためて思い知らされるのだ。この数日間、色んな感情が私の中に生まれた。怖いとかとか恥ずかしいとか、失敗したくないとか。でもそれとまったく逆の感情も一緒にあったのだ。憧れとか期待とか喜びとか、なんだか言葉では表しきれないような腹の底から湧いてくるような思いが、私の全身を迸る。

結局、「やりたい」って私は返信するのだろう。きっとそれは春のせいなのだ。

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