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「君が教えてくれた事」


「璃奈~かえったよー。
お父さんくたくただぁ、、。」

「靴下そこに脱ぎっぱにしないでね。璃奈にも笑われるよ。」

はいはい。と食事の準備をしてくれていた加奈子をチラッと覗いた。

なにか声をかけようとも思ったが彼女の後ろ姿をみて言葉が引っ込んだ。


入浴を済ました私は、しんとしたリビングに戻り廊下から声をかけると「おやすみ。」と加奈子の声がした。



「璃奈~。加奈子ー。ただいまー。」
昨日ほどのクタクタは無く、今日は言われる前に靴下を片付けた。

「今日お袋から電話があって、野菜送ってくれるって。」

「お野菜ありがたいね。届いたらお礼の連絡もう一度いれておいて。」



母親からの電話。野菜はおまけだった。
私と加奈子の仲を案じての電話だったのだ。

先日私の妹家族が遊びに来た時に寝室が別という事に気づき母にタレコんでの電話だろう。
もう2年以上寝室が別どころか、そういった事もない。



付き合って半年。
加奈子のお腹に璃奈を授かった。
今はママリッジとか授かり婚なんて言うらしい。
つまりできちゃった婚だ。

彼女を幸せにします。と激高していた向こうの両親に頭を下げてから3年が経ったのだ。


その約束を守ることは出来ていない。

浮気なんかはもちろんしていない。
でもきっと加奈子はそんなこともどうでもいいのだろう。




璃奈の存在だけが私たちをつなぎ止めてるのかもしれない。




大学を出てなりたかった教員になった。中学校だ。

学業に部活、恋愛、家族関係、一つ一つが彼らの糧になりストレスにもなる。

多感な彼らとの生活はハードだ
学校外でトラブルがあれば飛んで行かなければならない。

自分の業務とは別に部活動の指導もある。
土日も身動きが取れず、クローズドな環境にいる。
そのせいか職場恋愛が多いのも特徴だ。

私もそうだ。
3年生の担任をしている森口先生と交際をしている。

当時私が32歳。森口加奈子は28歳だ。

お互い口にしたことは無かったが結婚は意識していた。
まだ先のことだと思っていた矢先だった。

「お腹に赤ちゃんがいます。」
話があると食事を来ていたイタリアンバルで告げられた。

2人で初めてのデートもこのイタリアンバルだった。
魚料理が美味しく、何かあると決まってここだった。
お気に入りのレモンチェッロを加奈子がオーダーしなかったことで何となく私は分かっていたのかもしれない。


「今の狭い部屋引っ越さなきゃだなぁ笑」
そう彼女の笑いを誘った。
もちろん指輪なんて用意がない。
形だけのプロポーズは日を改めて行った。

唐突だったが心は浮かれていた。
この人が自分の奥さんになるのかと。


でも道のりは長かった。
職場への相談、引越しの準備、そして両親への挨拶だ。

想像通り最後は難関だった。物事の順番が違う報告。
こんなに緊張したのは教育実習以来だ。
義両親は怒ってるのがよく分かる震えた声だった。

虚勢も見栄も恥も捨て思ってることを言葉にした。
「この子が生まれてくれたお陰で結婚出来て良かった、と思える夫婦に絶対なります。」と誓った。

お義父さんもお義母さんも一旦折れた後は、私たちを気持ちよく応援してくれていた。

お腹が大きくならない内にと挙式をし、披露宴には翌日会う同僚の先生達にも参列してもらった。


新居への引越しもスムーズだった。
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「2人には少し広いけど、これから家族が増えるんだ。いつかせまくなるかもね。」
そんな加奈子の言葉を覚えている。


加奈子の産休前最後の日。
受け持ってる生徒たちから寄せ書きのサプライズがあった。
受験も卒業式もある3年生の担任の産休は批判もあったが、生徒たちは涙ながらも気持ちよく見送ってくれた。

男の子なら慎之介
女の子なら璃奈

2人でたくさん話し合って出た答えだ。

毎日が幸せだった。


記念日もない日に花束を買って帰ったりもした。

加奈子も私を心から愛してくれていた。




そんな3年前に戻りたい。


今は仕事も頑張れる気がしない。

璃奈と加奈子に「行ってきます。」と小さく声をかけて今日も仕事に向かった。




「森口先生元気ですか?」
そう生徒に突然聞かれた。

…元気じゃない。この2年加奈子が元気な姿なんて見ていない。
きっとこの生徒が今の加奈子とすれ違っていても気が付かないだろう。

生徒に適当な返答をして、私は男子トイレの個室に入った。


まただ。嗚咽が止まらない。

私もあれから「元気」ではないのだ。




よくお腹を蹴る元気な赤ちゃんだった。。
女の子と分かり、洋服などのたくさんのベビー用品を用意した。
生まれる前から親ばかだった。




わが子の命は一瞬だった。

予定日の一週間前、加奈子の体調が急変。緊急手術となった。


私が病院に着いた時にはもう間に合わなかった。

用意をしていた薄ピンクの服を璃奈に着せて、病院の屋上を3人で散歩した。。


璃奈との思い出はそれだけだ。


妊娠22週以降は流産ではなく死産と呼ばれ、人工的に陣痛を起こし我が子を亡くした悲しみと激痛に耐えながら出産を行う。戸籍に残すこともできない。


何も知らずお祝いをくれたり、「そろそろ産まれるころでしょ?」なんて聞かれることへの対応に苦しんだ。

事情を説明して、より心をえぐられるフォローもある「早く次の子ができるといいね。」なんて言葉がそうだ。

分かっている。私たちを気にかけてくれた精一杯の言葉なのだろう。



でも、そうじゃない。


3人でいた時間をも失いたくないのだ。
私たち2人の子供だ。無かったことになんか出来やしない。

あれから私も加奈子も、璃奈のエコー写真に話しかけない日はない。



もうすぐで2年だ。
璃奈の誕生日であり命日でもある、私たちが元気で無くなってしまったあの日から。



うちに野菜が届いた。土のついた見栄えのあまり良くない野菜たちだった。

その中に1つ袋に入った手のひらサイズの猫のぬいぐるみがあった。

「なんだこれ?」
私が猫のぬいぐるみを手に取ると、隣に座っていた加奈子が二つ折りにされた手紙を見つけた。


加奈子さん、慎二。

野菜ばっかりで可哀想だからと
お父さんが買ってきました。

璃奈ちゃんにあげてください。

仕事なんか休んでたまには帰っておいで。

お父さん、お母さんより。


それを読み切らない内に涙が溢れた。


この2年唐突にやって来る、やり場のない悔しさとは違う、ほんの少しだけ心が軽くなる心地のいい涙だ。

一瞬の命だったあの子を孫として、私たち同様愛してくれている人がいるという事に気づかせてくれた。

いや、今までは悲しみと喪失感にしか目を向けられなかったのかも知れない。


加奈子も顔をぐしゅぐしゅにさせて泣いていた。

璃奈をちゃんと生んであげられなかったことの自責の念。
両親や友人からかけられる言葉。
受け持っていた3年生を産休という理由で放り出してしまったことにも責任感を感じていた。
そして私に対して申し訳なさ、後ろめたさを強く感じていたとその晩遅くまで加奈子の想いを聞いた。
自暴自棄になって別れようとも思っていたらしい。
でも寸前のところで、両親に2人で誓った事を思い出していたと。

ぽっかり空いた穴を少しずつ埋めるように加奈子の声が心に届いた。

その日から私たちは変わった。
変わる努力をちょっぴりだけど始めた。

2人で大好きだったレモンチェッロの美味しいイタリアンバル。
璃奈の誕生日をそこでお祝いしようと加奈子を誘った。

親の私たち夫婦だけ幸せに過ごす訳にいかないとどこかで決めていた2年間だった。
でももう違う。娘の為にもこのままではいけないのだ。
時が止まったままの私たちでは本当に璃奈に笑われてしまう。


璃奈が短い時間でも私たちといてくれた意味は何だろう?
私たち二人にはまだその答えが見つからない。
でもきっと私たち家族なら見つけられるはずだ

いつか璃奈に弟か妹ができた時、お姉ちゃんの話をたっぷりとしてあげるんだ。
そんな、なんでもない日を迎えるために記念日でもない今日、私は花束を2つ買って家に帰った。

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