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【エッセイ】友人と比較して、自分に「中途半端」を感じてしまう帰り道

昨日、幼少期からのサッカーチームでの集まりがありました。
5年ぶりくらいに集まって、かれこれ知り合って30年近くになる間柄です。

すっかりパパになって子育てと仕事を両立している人もいれば、
サッカーを今でも続けていて、バリバリ動けている人もいる。

昔話や近況を思い思いに語ることができてすごく楽しかったし、「大人になったねぇ」なんていう他愛ない会話に花を咲かせる時間に尊さも感じて帰ってきました。

※僕もサッカーはやっていて、昨日も試合に出ていたのですが、相手の肘打ちをモロに喰らって15分間血が止まりませんでした。今は血を作る食べ物を食べたいです。

そんな楽しみに満ちた帰り道のはずなのに、最近なんだか悶々としていることを助長する気持ちにもなったので、ぽろりと書いていきます。


足りない 足りない

〜昨日の会話の一幕〜

「あの頃からお前は抜群にうまかったよなぁ。」
「俺は小さい頃からこんなやつだったよ、誰よりも喋ってた。」

誰もに認められる才能に恵まれていて、誰よりもサッカーが好きで打ち込んでいた人や、自分らしさを自覚してコミュニケーションをとっていた人。
決して自我が強い集団ではないけれど、それぞれが「自分らしく」表現したり、それを認められたりしている人たちだと感じました。

ひるがえって、「僕は小さい頃、そして昨日の会話の中でどうだっただろうか」を考えたくなります。
(「考えたくないのだけど、気になってしまう」と言った方がしっくり来るかも)


小さい頃から真面目ではあったと思います。だからこそ、こういった集まりはいつだって幹事で、手配についても造作もない行為です。

サッカーをしていても、特筆してできることがあるわけではないけど、これといった欠落もない。
多少勉強もできたけれど、だからと言って超一流校に行けるほどの頭脳を持ち合わせているわけでもない。

昨日の会話であれば、その場の雰囲気に「いい感じ」に溶け込み、会話が止まりそうになければ話題を提供する。


そんな「いい子」、「いい人」としてこの場に居てしまうことに対して、猛烈な「The 中途半端」を感じてしまう自分がいるんです。

それぞれの分野で、それなりのポジションを見つけていく。
だったらせめて、人よりもいい仕事に就いていなきゃ。
だったらせめて、今でも動ける身体を維持していなきゃ。

だったらせめて・・・こんな考えが堂々巡りで悶々としていた帰り道でした。

今置かれている場所だって、これまでの自分の人生がつれてきてくれた場所だとわかってはいるのに、なんだか人との比較で劣等感を覚えてしまう心を、少し和らげていきたいです。


「足るを知る」ということについて、もう少し考えを深めて、自分の人生観の引き出しにしていきたいと思っているところです。

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