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ホビージャパンに義足カバーが掲載!?

技法書の方ですけれど、ホビージャパン様から発売された「3D造形クリエイターズファイル」という書籍に私9191の作品が4ページほど掲載されました。分不相応で震えてます。掲載しているのは3Dプリント義足カバー、義足の3Dプリント足部、金属3Dプリントした革断ち包丁や義足の部品、そして9191作品でお馴染みの我らが「黒松」です。

ちなみに外注は一切無く全て自分で3Dプリントしたものです、金属プリントもです。義肢装具士ってだいたい何でもできる人の多い職種ですので。


思い返せば雑誌ホビージャパンは1990年より10年間愛読しておりました。2001年に人生を大きく変える出来事が起きた結果、それまでの趣味と人間関係を捨て家を出たのが原因であります。人生を再スタートすべく義足を作る医療職『義肢装具士』の学校に通い始めた結果、以降本棚は医学書だけとなりました。

表紙のグリフォンに一目ぼれ(Amazonより発掘)


義肢装具士としては才能は残念ながら恵まれませんでしたが運良く機会には恵まれ、アフガニスタンに行き途上国の義足事情に触れたりするなどもしました。最初の義足の患者さんは14歳の少年でした。

アフガニスタンにて(2004年頃)

日本でも懸命に修行を積み、己の未熟に悔し涙を浮かべながらも、少しずつ出来ることを増やすことで折れそうな心を奮い立たせたものでした。 ある時期から突然手が震えるようになり、その努力が無意味になる日までは。

それまでは割と何処か自分の力を信じていたものですし、人生の再スタートがこんな終りかたをするとは思わなかったのもあり、あの頃は相当に荒れに荒れた暮らしでした。

ドヤ顔でテレビや新聞に掲載されてたあの頃を殴りたい(2008年頃)


そんな時に出会ったのが3Dプリンターです。手で義足が作れないなら3Dプリンターで作れば良いじゃない。

3Dモデリングソフトに感動した勢いで渋谷の道玄坂をダッシュした記憶が(2014年)
購入したン十万のアメリカ製3Dプリンターを開封1時間で壊した時の画像(2015年)

独学で試行錯誤を繰り返しながら、3Dプリント義足を作る研究を始め、3Dプリンターメーカーのフィールドエンジニアとしても経験を積み、最終的には知人と共に3Dプリント義足の会社を設立するまでになりました。一番最初のプロダクト開発が成功した時にはガストで祝杯を挙げながら、紙ナプキンにアイデアを書き殴って議論したものです。あの頃の熱量は、今でも鮮明に覚えています。

3Dプリント義足の基本構造のメモ(2016年頃)

ただ9191自身はそこまで優秀な人間ではありませんので、現在は創業株主として書類にハンコを押す以外のことはしておりません、かと言って定職にも就かずに新しい趣味であるメタバースワールド作りに没頭して暮らしています。学がないので大学院で研究の勉強をしたいのですが、学費が貯まらない。かなしい。とは言え、作品を訪れてくれる方達にはとてもありがたい気持ちでいっぱいです。うれしい。


(3/28加筆)大学に行きたいと思ったきっかけは9191は3Dプリント義肢の特許を持ってますが、こうした特許は企業よりも大学とかで持つ方が分野の発展としては良いと個人的に考えているからです。その視点の良い記事があったのでコチラ参照を。

とは言え、どちらかというと9191の特許は偶然運良く発明の場に居合わせたレベルだと思うので大学に行ったからと言って特許をまた取れるとは微塵も思えないのですが。なのでこのまま義肢の世界では埋もれて消えても良いかなと最近は思うようになってます。


会社の方は残ったメンバーや新たに加わったメンバー達の活躍により、先日はシリーズBで9億円の資金調達を成し遂げました。

ちなみに9191が作品を置いている日本最大級メタバースプラットフォームであるcluster社のシリーズBの調達が4億円でしたので(分野が全く違うのですが)現メンバーの努力と成果に、心からの賞賛と尊敬の念を送りたいと思います。


繰り返しますが、9191は何もしていません


さて、振り返ると人生の大半を義足と3Dプリンターに費やしてきたものです。3Dプリンターに出会ってちょうど10年、人生の一区切りがついたような気持ちです。メタバースと義足(義手)とかで何かできることってありますかね?

その思い出の作品の一部が、昔愛読していたホビージャパンの本に掲載されることになるというのは感慨深いという言葉では言い表せない気持ちです。ホビージャパン社様及び関係者様に、心からの感謝を申し上げます。



注記:この記事は8割ほどAI生成し、9191が追記・修正したものです。

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