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絶望を踊るロックーthe view 『hats off to the buskers』

僕が最初に買った洋楽のCDは、the viewの『hats off to the buskers』だ。スカパーの音楽番組でやっていたシングル曲”Wasted Little Dj's”のビデオを観たのがきっかけだった。緩くて怠い感じの曲と映像だったから、面白くてちょっと笑える、というのが第一印象だった。それから、そのビデオを何度か観るうちにだんだん好きになっていって、そのCDを買ったんだと思う。彼らの曲はポップでキャッチーで無邪気だけど、脱力していてクドくないから好きだった。特にカイル(vo)のどこか醒めていて、ヘロヘロなヴォーカルに魅了されていた。歌詞はピンとこなかったから、音ばかり聴いていた。

『hats off to the buskers』を買った2007年当時、僕は高校生だった。学校で友だちとヘラヘラして、家でサッカーを観てウイイレをするだけの生活だったけど、それだけで満ち足りていた。ピュアで真面目な高校生で(勉強はできなかった)、10代らしく夢を見てそのなかで生きていた。だから歌詞がピンとこなかったんだと思う。それから約10年たった今、彼らが歌詞で言い表すその”感じ”がしっくりくるようになってきた。もちろん、10年を経たことで歳をとった僕が、やっと彼らと同じ視点を得たから、その歌詞に共感できるようになったのだ。たとえば”スキャグ・トレンディ”ではこう歌っている。

「俺は思うよ 誰かが奴を愛していたならと 奴には希望のかけらもない 誰かが奴を愛していたなら 奴には家もない 幼なじみと話したくても 電話をかける金さえない」

愛も家も金もない。”奴”は以前持っていたものを全て失い、希望を見出せるものが絶たれた状態なのだ。希望の喪失と絶望の重さを表した歌だ。また、”ザ・ドン”ではこう歌っている。

「何が最高かって 店の周りでブラブラすることさ たむろするんだ ドライバラの店で 仲間とつるんで 一人座り込む奴を尻目に」

ここに出てくる”奴”は”スキャグ・トレンディ”の”奴”と同じように全てを失った人間だと思うが、この曲の主人公は”奴”ではない。”奴”をバカにしながら、店の周りでたむろするまでに退屈した語り手が主人公なのだ。その語り手の退屈さを自ら哀れむ歌なのだ。”ダンス・イントゥ・ザ・ナイト”にもこれに似たような詞が書かれている。

「俺たちは立ち止まって話し合う いつだってこうだ まるで流行さ 頭がイカれそうだ」

「誰もが時間に追われている 何も変わりはしない おかしな話さ」

立ち止まって話し合うことが流行りだ、と言えるほどの退屈を言い表している。それにも関わらず、時間に追われている、というような変化を求める焦燥感をもった上で、でも何も変わらないと諦め嘆いているのだ。退屈と焦燥感、そして絶望がまた歌われている。

これらの歌詞のように、the viewが歌っているのは絶望、退屈、焦燥感だ。僕が高校生のときに歌詞にピンとこなかったのは、絶望や退屈、焦燥感を感じることがなかったからだ。しかし、大人になった今、ピュアな子ども時代の夢のベールが取り外されたことで、現実がありのままの姿で見えるようになり、the viewの歌詞のような生々しい”重い感じ”を自分のことだと感じるようになった。そして、ロックが機能するのはこういう時だということに気付いた。ロックレジェンド、ピート・タウンゼントはロックについて、「ロックンロールは、別に俺たちを苦悩から解放してくれないし逃避させてくれない。ただ悩んだまま踊らせるんだ」と言い表しているが、僕が気付いたのはまさに「悩んだまま踊る」自分の現状である。the viewの重い言葉に共感して悩みながら、音を聴いて一瞬だけ心が躍る、そんな感じだ。歌詞が重くても、スカでパンクでポップで無邪気な音だから踊れるのだ。the viewが絶望のなかでロックを鳴らしているように、僕も絶望のなかでロックに心を躍らせているのだ。

ロックに一番必要なのは、ポジティブな言葉ではない。ただただ明るい言葉、ただただ前向きな言葉、それはポップスに任せておけばいい。僕たちのどうしようもない絶望や退屈、焦燥感、それらをそのまま言い当ててくれる重い言葉、それを歌うのがロックだ。そして、僕たちの”重い感じ”をしっかり捉えたうえで、そこから解き放たれた無邪気な音で踊らせてくれるのだ。
the viewが鳴らすポップで無邪気な音は、重い現実に対するファイティングポーズなのだ。

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