自身の人生や心理学的知見や、自身が見出した
人生のコントロールの仕方
変化への対応の仕方は、人によってさまざま。

人生をコントロールする術がほとんどないと実感すると、存在すら知らなかった病魔がいつもの日常を突然襲い、世界を一瞬にして変えてしまうような気持ちになってしまいます。

こうした不条理について、哲学で理解しようとする人もいれば、精神世界に拠り所を求める人もいる。つじつまの合う何かしらの答えを見出そうと、難解な科学に頼る人もいる。

私の場合は、興味もなく漠然と存在しか知らなかったものを、思いがけず探究すること
自身の経験や周りの方から盗んだとも言えます
そこへ理解していける要因にはすごく時間かかかったと考えます


運に支配された私の人生

運の本質を考えれば考えるほど、私の人生のあらゆる場面で、運に支配されていた?と考えてしまう

よく「自分は運が悪い」「自分の運命は過酷だ」と言う人がいるが
私もそのパターン。
子どもなら尚更この生まれてきてしまった「環境」はどうしょうもない
変えれるのは自分の気持ちであり
思考が全て止まってしまったかの様になりまさした。
それが「無」です


私の人生最大の幸運は、おそらく「今」なのかと思います


離婚はしたが、子どもにも恵まれ、仕事もあり、小さいながら自分の「家」まである
そして猫や、鳥までいてる

最近自分はなんと幸せなのだろうかと思ってしまいます。

安心して暮らせると言うことがどれほどの幸せな事なのが今更思い知ります

幼少期には

両親の離婚
祖母と母との暮らしの中、絶えない祖母と母とのいがみ合い。
母がいない寂しさに
母に何をかれてもすがって生きるしかない自分。
学校でも先生から受けたいわれのない体罰。
何処にも居場所がないと言う事に
いつしか私には感情がなくなり「無」に等しくなっていき
周りへの防御策となっていきました

そんな生活が数年続き
母は再婚をして幸せな生活は数年も持ちませんでした

いわれのない言葉による母からの暴力。
毎日の弟の面倒や家の事をさせられ
今から思うと「女中」の扱いでした。
子どもの私にとって「無」から「喜」に変わっていきましたが
精神面より先に身体を壊してしまいます。