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あの粉

アルカロイド、という言葉をご存知だろうか。
乱暴に言ってしまえば生き物から生成される化合物、それに似る合成化合物の郡だ。
たとえばカフェイン、ニコチン、コカイン、モルヒネ、さらには猛毒のストリキニーネ。
これらは全てアルカロイドだ。
お気づきだろうが、例に挙げたものはすべて植物由来のアルカロイドである。
このように、植物由来の成分には人間の脳に激しく作用するものが少なからず存在する。
これから紹介する粉末も、植物の種子を特殊な工程を経て加工したものだ。
かさねて記すが、植物は決して侮ってはならない強い力を宿している。
この記事を読み進めるにあたっては自律心を強く持って頂きたい。
それ程までにこの粉末は蠱惑的なのである。

結論から言おう。
冒頭の写真に写っているものが件の粉末である。

オニザキのつきごま(白)。
つきごま、という題字の「つ」が大きい点に違和感を覚えるだろう。
あくまで筆者の憶測の域を出ないが、おそらくこれは「撞く」という製法を表すだけでなく、人の心に「憑く」というニュアンスが込められている。
ひとたび口にしたが最後、取り憑かれたように再びこれを求めるに至る。
そういった警告の意味もあるかもしれない。

視線を左に移すと怪しい薄紅色の花弁、まっすぐな茎から細い葉が伸びている。
いかにも何かしらの成分を含んでいそうな風体である。
そして左端にある”杵つき製法「すりごま」”の表記。
ここで一つの疑念が生まれる。つきごまなのか、すりごまなのか。
パッケージの裏側をただすと、名称には「すりごま」と書かれている。
消費者庁の食品表示基準の上での分類は「すりごま」なのだ。
しかし、あくまでこの粉の本質は「つきごま」だ。
世に数多存在する「すりごま」とは一線を画す製法によってのみ生み出される何かがこの粉には存在する。
そうでなければこの粉の中毒性が説明できない。

上部には「こちら側のどこからでも〜」などという洒落臭い文言は無く、黒い破線。
赤地に白文字でもって切り口、と書かれた部分には潔く切れ目が入っている。
開封するや、鮮烈な香りが鼻腔の奥に突き刺さる。
この香りだ。この香りこそが脅威であり、食卓を一変させるテロリズムなのだ。
ジッパーを内蔵しているので開封後もある程度の期間、鮮度を保つことが可能である。

エチオピア、パラグアイで栽培された植物の種子を特殊な製法で加工したこの粉末は極めて強い習慣的依存性を持つ。
そのまま摂取する事は少ないだろう。
私の祖母は強い依存により、この粉に醤油を少量滴下し白米に乗せて食すという末期症状を呈していたが、これは稀な例である。
以下に主な例をいくつか記す。

まずは鯛である。
柵を削ぎ切りにし、煮切り醤油で軽く漬けにしたのちこの粉末をまぶし少々寝かせる。
もちろん鯛に限らず漬けにして美味い魚であれば鰤でも何でもよいが、上品な味わいの魚ほど合う。
海中には存在しない大地の香りが畢竟、魚に合うという至極単純な話なのだ。

次に蕎麦、もしくは素麺。
特に素麺などはシンプルなつゆに加えてごまだれも用意するという贅沢者も居るだろう。
しかし問いたい。そのごまだれは使い切れるものか?
試しに冷蔵庫を開けて、隅に刺さっているごまだれの瓶を確認してみてほしい。
半分ほど残ったごまだれの瓶の底にごまが沈殿し固まっており、消費期限は一年前、そういった光景が目に浮かぶ。
これは必ずしも筆者のあてずっぽうではなく、経験に基づくものである。
しかるにこの粉を用いれば、通常のつゆに対してごまの香りを適宜付加することが可能だ。
濃厚さを求めるなら練胡麻を併せて用いるのも良手だが、それだけでは演出できない香りが得られるだろう。

最後に、これは最も危険な例だ。
心して読み進んでほしい。
野菜の端っこである。
たとえば蕪の外側の硬い部分、どのぐらい剥くか悩ましい部分。
おそらく、義務感でもってなんとなく再利用しているであろうこの厚く剥いた部分がメインディッシュとなる。
蕪の外側を厚く剥き細切りに、軽く塩もみして水を出したのちに絞る。
凡庸だ、と思われることは覚悟している。
しかしこの粉を用いることで全くの別物となることを約束しよう。
絞った後にこの粉を和え、季節であれば柑橘類を絞り醤油を少し垂らす。
柚子があれば最高だ。皮を薄く剥いて刻み和える。
これが主食であれ、とさえ思える一品が「本来捨てかねない部分」で出来上がってしまう。
捨てる部分などないのだ。
柚子の種?撒けばいいじゃん。
むしろ蕪の柔らかい部分を捨ててしまう可能性を危惧したほうがよい。
一皿を平らげた後は「蕪の外側がもっと厚ければよいのに」と願うカブゴマジャンキーと成り果てるだろう。
または大根の葉と茎を細かく刻んでも絶品であることを補記する。
ともかく口にする際は強い習慣的依存性を覚悟されたい。

最後に、これほどまでに白胡麻の美味さを喧伝するにあたり「食卓のホワイトスプレイニングである」というバッシングが黒胡麻サイドから発せらるる恐れがあった。
しかしながらこれは世間一般の認識と相違なく適材適所の問題であり、黒胡麻の価値を毀損するものでは一切ない。
その証左としてオニザキコーポレーションからは「オニザキのつきごま(黒)」と「オニザキのつきごま(金)」も発売されている。
黒胡麻諸氏におかれては担々麺とおはぎの分野で変わらぬご活躍を願い、この記事の締めとさせていただく。

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