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生きづらさ3重苦のわたしがたのしく暮らせるようになるまで

こんにちは、わたしです。
文を書くのが好きという趣味をどこまでも発揮出来るこのnoteで、なにか出来ないかと日々考えています。

というのも、わたしは双極性障害という病気ADHDという発達障害HSPという気質を兼ね備えた生きづらさトリプルアタックを持ち合わせ日々脳内ジェットコースターで暮らしているからです。

小さい頃からなんか周りと馴染めず「あなたは不思議な子ね」って言われて育ち、中学は耐えきれず不登校。
大学までなんとか出るものの、学校に常に行きたくなかったし、かといって働ける気もしなかったので、進学を選び3ヶ月で退学。

いつもずっと消えたかったし、落ち込むと人にぶつけるか自分にぶつけるかで、とても荒れた日々を送っていました。

家族も、母親がヒステリック持ちで相談事とかはなかなか上手くできず、父親は優しいけど多忙で家にいないことが多い生活でした。

退学後は引きこもりを少しして、なんとか日雇い派遣から始めそこそこ安定した生活を送れていたけど、派遣先が倒産。
その後は短期バイトでなんとか食いつなぐも、2020年頃から症状が悪化。
コロナの影響で仕事が減ってたのもあり、引きこもりに戻りました。
その頃に「念の為」で受けた検査で、ADHDと診断。
元々双極性障害の診断も出ていたので、重ねてわたしを苦しめていました。

鬱の時は本当に何も出来なくて、考え事すると辛いからYouTubeを流す。
外に出られないけど、1人もしんどいからdiscordというアプリで通話相手を常に探していました。

躁は、お金の使い方に顕著に現れました。
学生時代に作った楽天カードと、働いていた時に作った別のクレジットカードの2枚を上限額まで使ってしまい、何度もクレジットカード会社から電話がかかって来ていました。
当時ほとんど収入がないにも関わらず、推しのグッズを買い込み、1週間で15万以上使ってしまったこともあります。
もう買わないと決めていても、お店にいると気分が高揚し、もう既に複数個持っている推しの缶バッチをどんどん積んで(買って)しまいます。

こうした躁と鬱を繰り返し、更にADHDの特性である衝動性や反芻がそれらを加速させ、脳内はいつもぐちゃぐちゃでした。
でも、わたしにとってはこれが普通でみんなこのくらい辛いと思っていました。

HSPという言葉に出会ったのも、発達障害の診断が出たくらいの頃でした。
病気や障害とは違う、治すものではなく受け入れるものとしてのHSPは、取り扱われ方が優しくそれに当てはまる自分を見て「わたしが悪いわけじゃないんだ、こういう人が他にもいるんだ」と許された気持ちになりました。
外向的なHSPである、HSS型HSPを知ってからは自分の生きづらさへの対策の幅が広がり、人生に少し光が見えてきました。

そんなわたしは今、前に比べると生きやすくなっています。
それは単純に症状が落ち着いているといった、一時的なものではなく、別人に生まれ変わったようなたのしく暮らしているという感覚を手に入れました。

きっかけは小さなことだっけど、そこに至るまでわたしはたくさんの試行錯誤を繰り返しました。

そして、たのしく暮らしている実感を得た今でも悩み迷うことはあります。

特に仕事のこと、つまりお金のことはまだまだ大きな課題として残っています。

文章を書くのが好きという特技を職業として活かしていきたいけど、そのためにまずはたくさん書いて積み上げていく必要があるなと考えました。


いしかわゆき著 書く習慣

いしかわゆきさんの「書く習慣」を読み、書き続けて行くことで、書くことを職業にするという道が拓かれる可能性を知りました。

書く習慣では「まずは走り出して、あとは走りながら考える」とありました。
これは、チャレンジ精神が課題だと悩んでいたわたしにはとても支えになる言葉です。

なので、更にたのしく暮らすために、未来のわたしが「過去のわたしこんな感じだったなぁ」ってなれるように、noteを定期更新していきます!

生きづらさ三重苦でもたのしく暮らせる日々をご覧いただけると嬉しいです。

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