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Same Old Story

 NYはマンハッタン、アスタープレイスは俺の主な遊び場だった。あの頃はまだCBGBがあった。黒い立方体のオブジェは押すと回る仕組みになっていて、しかし大抵はパンクスのたまり場になっていた。

「ブルーの髪、とってもクールね」

 彼女は、そんな風に声を掛けてきた。黒いオブジェの下で、綺麗なブロンドを真っ黒に染めて、口紅まで黒くて、まるで吸血鬼のようだった。

「日本人?」

「そうだけど」

「じゃあ携帯電話見せてよ」

 これはよくある話だった。当時、まだiPhoneがなかった時代、日本の携帯はカラー液晶で当然のように写メが撮れたが、アメリカではそんな高度な機能を搭載した携帯は出回っていなかった。

「凄い! 日本の技術は本当に素晴らしい、羨ましいわ」

 これもよくあるリアクション。だから俺は、よくある対応として、MD数枚とMDプレイヤーを取り出してみた。

「その小さいの、何?」

「音楽を聴くもの」

 彼女は目を丸くする。アメリカは、CDからMDをスキップしてMP3に至ったので、MDなんて知らない奴が多い。大抵のニューヨーカーは、CDプレイヤを手に持った状態で行動することも、俺はよく知っていた。

「あなた、学生?」

「そう。ブルックリンのカレッジに通ってる」

「へえ」

「あんたは?」

「私はそこよ」

 彼女が指さしたのは、NYUの方向だった。NY大学はレベルが高い。俺が通ってた市立大学とは違うのだ。意外な告白に驚きはしたが、俺はそれがブラフである可能性も捨てていなかった。

 それから俺が彼女に会ったのは一回だけだった。

 アスタープレイスではなく、セントラルパークサウス、観光客向けの馬車が多くいて糞の匂いがキツい場所。

「髪、ブルーはやめたのね」

 彼女は相変わらずジェットブラックの髪に黒いルージュ、両耳にシルバーのピアスをいくつもぶら下げていた。かく言う俺も、髪の毛は真っ白にしていた。

 彼女は、「久しぶり」とも「また会ったね」とも、何とも言わなかった。名前だって知らなかった。俺も名乗らなかったし、彼女も同様。

「そろそろ日本に帰るんだ」

「カレッジは卒業したの?」

「一応ね。就職は日本でするつもりだから」

「ふぅん」

 感心なさげに、彼女はブラックのネイルに視線を落とした。

「こんな所で何してるんだよ」

 俺が何となく聞くと、彼女はああ、と小さく微笑んで、白い画用紙やら紙のフレームやら鉛筆やら椅子やらをセットし始めた。

「たまにここで小銭を稼ぐのよ。絵は得意だから」

 10分5ドルとかで、似顔絵を描くストリート・アーティストは多い。特にここはセントラルパーク、観光客も多い。

「あなたを描いてもいい? お金はいらないから」

「払うよ」

 彼女は黒い唇の口角をキュッと上げて、10分ちょうどで俺の似顔絵を描き上げた。俺はその間、身じろぎもせず彼女を見詰めていた。

 どういうわけかは分からないけど、彼女のことを、俺は帰国しても忘れないだろうと思っていた。名前や連絡先を聞こうなんて案は皆無だったのに。

 できあがった似顔絵を、俺は今も、自室の壁に貼っている。

 名前も知らない、魔女か吸血鬼のような彼女。

 俺は今でもたまに、祈るんだ。

 彼女がアスタープレイスのオブジェの下に座り込んでいることを。

 或いはセントラルパークで似顔絵描きを続けていることを。

 いつまでも。

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