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北海道に住み始めて感じたこと

北海道のスーパーで愛知県産のトマトを見つけたとき、思わず手に取ってしまった。『君もこんな遠くまではるばる来たんだね』と、心のなかで語りかけずにはいられなかった。おそらく、一人微笑んでいたことだろう。

愛知県で生まれ育った私は、便利なことが当たりまえだった。電車も地下鉄もある、外食に行くのも洋服を買うにしても様々なジャンルは普通に存在するし、銀行も役所も近くにある。日常生活を送る上で不便を感じたことがなかった。しかし、北海道に住み始めてからは、それは当たり前じゃなかったんだということを常々実感させられる。

北海道の中でもかなりの田舎の方に住んでいるため、周りには大自然しかない。電車の駅なんて車で1時間以上走らないとないし、唯一の公共交通手段であるバスも、本数はとても少ない。スーパーなんてものはなく、食料品は唯一あるコンビニで買うしかない。人よりもシカのほうが多いんじゃないかと思えるくらいだから、仕方のないことなのだけど。だからここに住んでいる人は、車で1時間以上かけて街に買い物に出かける。ここは、そんな場所だ。

最初は車を持っていなかったので、街に出るのにバスを利用していた。しかし、長距離だから料金も高いし、本数も少ないから使い勝手が悪い。毎日の食材などを買うにしてはコストが掛かりすぎるのだ。だから自然とコンビニ食が多くなっていく日々。北海道にいながら新鮮な魚介類や野菜を食べられないなんて、なんて悲しいことか。

国内旅行で様々な地域を訪れたけど、そこに「距離」を感じることは少なかった。交通網は発達しているし、車があれば不便さを感じることはなかった。北海道なんて飛行機ですぐだと思っていた。なんて甘かったんだ、自分。

北海道がとっても広いということは、もちろん知っている。そのつもりだった。しかし、よくよく考えてみれば、その広さは九州二個分より大きいのだ。

道外で移動するときは、県境という境界線が、気づかないうちに「距離」に対する概念を薄れさせていたのであろう。県をまたぐから距離があるのは当然と考えていたし、おまけになんとも言えない達成感があるからだ。一方、北海道はどこまで行っても北海道なのだから、「距離」を感じずにはいられない。

だからこそ、車を持ってスーパーに買い出しに行けるようになったとき、私と同じ出身地のトマトを見つけて、同郷の喜びを感じたのだろう。食材を買い出しに来るだけなのに、1時間以上も運転しなければならない。もちろん信号なんてないから、車をずっと走らせてかかる時間だ。

愛知県に住んでいるときは、北海道産の食材に対して何かを思うことはなかった。そこにあって当たり前のものだったからだ。だけど実際は、大自然の中で野菜を育てている人がいて、それを運ぶ人がいる。道路や電車、飛行機や船を作った人がいなければ成り立たないのだ。

日本は狭いと思うことがよくあるけど、やっぱり広い。人間の身体一つでできることなんて限られている。だからこそ、一つ一つのことに改めて感謝しないといけないぞ、と、トマトが私に教えてくれたのであろう。

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