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私の行動力=明日どうなるか分からないから、

SHElikesの受講を始めてから「行動力がすごい!」と言われることが増えました。

きっと、幼い頃からバイタリティーがある人間だと思っている方もいらっしゃることでしょう。ゼロだったわけではないですが、フットワークは激重でした。

物を買う時は複数の店舗を行き来して何日も熟考した結果諦めることが多かったり、今のように「どこでも行きます!」というスタンスではありませんでした。(推しに会えるコンサートの遠征ですら考えに考え込んでから決断するほど)

そんな自分が変わるきっかけになったのは2021年夏、体が動かなくなる経験をしたことです。


はじめに

前回のnoteでも触れましたが、私には関節リウマチという基礎疾患があります。29歳で発症しました。

本来、外敵から自分を守るための免疫が誤作動を起こして自分を攻撃してしまう病気です。主に体の各関節に症状が現れるため、関節リウマチと呼ばれています。

進行すると骨の変形が起こったり他の臓器にも影響を及ぼす可能性があるため、月1の血液検査と毎日の薬の服用は欠かせません。年配女性に多くみられるのも特徴の一つです。


「出来る子でなければいけない」呪い

シフト勤務で不規則な生活、スタッフの当日欠勤による穴埋めで休日出勤、家は寝るためだけのスペース。休みの日は昼過ぎまで寝て、録画したドラマを観ながら寝落ちして一日が終わる。そんな生活が当たり前で「普通」でした。

ある時から肩が上がらない、顎が痛くて物を噛めない、膝が痛くてしゃがめない、手首が痛くて動かせない…毎日どこかしらが痛くて最寄りの整形外科に行きました。「職業病でしょう」と痛み止めと湿布を処方され、一時的に治まったものの気休め程度でしかありませんでした。

自分が自分ではない気がして不安で仕方がなかった頃【女優 深田恭子が適応障害で芸能活動休止】という報道がありました。
ネットにはこのニュースとともに「当てはまったら危険信号!」「適応障害のチェックリスト」などの情報が溢れていました。その時に気付いたのです。私は心が疲れているのか…?と。

縋る思いで心療内科に駆け込みました。
多くの病院が数週間待ちなところ「当日の一番最後の時間なら大丈夫ですよ。夜遅くなりますが是非いらしてください」と迎え入れてくれたのがその先お世話になる病院です(それほど私の声が死んでいたのかも)。自分より少し年上の優しい女性の先生でした。

診察の中で、常に肩の力が入っていた自分「出来る子でなければいけない」と自分自身へプレッシャーをかけていたことに気づかされました。
でもそんな自分だからこそ、休むなんてもっての外でした。話を聞いてもらえたから大丈夫!と再び奮い立たせ、処方された漢方を握りしめて次の日から仕事に戻りました。

心は軽くなった気がしても体の痛みは解消されず、朝の手のこわばり(関節リウマチの特徴の一つ)があることから専門病院での血液検査を勧められました。
「念のため受けてみるか」くらいの軽い気持ちでしたが、異常値を叩き出して一発アウト。完治はしないという説明を受けて、壊れかけていた心が粉々に砕け散りました。


見える景色がモノクロになった

診断されたのが29歳の誕生日を迎えた数日後でした。
ショックと衝撃から体の痛みは増していき、足を引きずらないと歩けない状態でした。

それでも根性で1週間は仕事に行きましたが日に日に症状が悪化して遂にドクターストップがかかり、休職することになりました。

「出来るお姉ちゃん」でありたかったから、親に伝えたのは全ての手続きを終えて気持ちの整理がついてからでした。そんなところもくみ取って、電話越しに声を震わせている母親の姿を今でも忘れられません。

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大好きだった仕事をしている自分ではなくなり、挫折という言葉で片づけられないほど空っぽになりました。うつ状態の症状で何の意欲も湧かず、とにかく一日中眠くて朝から晩まで寝る日々が続きました。

両方の病院から処方された薬を飲むために胃に物を入れるだけの食事をしていたので「美味しい」や「お腹いっぱい」などの感覚はありません。徒歩3分のスーパーにすら行けず、宅配食でしばらく過ごしていました。

命に関わる病ではありませんが「明日はどこが痛むんだろう」と考えると不安で生き殺しでした。今まで普通に出来ていたことが急に出来なくなる怖さは計り知れないものです。

「こんな状態のまま生きていても何の意味もない」「誰にも理解してもらえない」と自ら周りを遮断しました。

また、20代後半というタイミングもあって結婚・出産・マイホーム購入などの人生の節目を迎える友人が多く「自分だけが不幸」「どうして病気は私を選んだの」など、よく医療ドラマで耳にすることを繰り返す毎日でした。(何ならそんなドラマを観て泣いていた)


自分の機嫌は自分で取るということ

夏の間はそんな生活が続き、休むことが今の私の任務!と言い聞かせて徹底的に自分を甘やかしました。

一日中パジャマで過ごしても、ずっと寝ていて掃除や洗濯をしない日が続いても、体が痛くてお風呂に入れなくても、息をしている=生きてる=素晴らしい💮と褒めました。(これまでの生活ではありえない感覚)

少しずつ世界が色づき始めたのは秋になってからで、自分の気持ちに素直になって想いを言葉にすることを始めました。

・とにかく自分を褒める
・ありのままの自分を認める
・幸せや嬉しいと感じることを見つけて書き出す
→自分の機嫌を取る方法を知る
・明日どうなるか分からないから今日出来ることをする
→毎日悔いなく過ごす

この先、生きていく上でのポリシーのようなものが確立してくると次第にリウマチやうつ状態になった自分を受け入れられるようになりました。

強制的に立ち止まるきっかけをくれたと思えば、感謝しかありません。気持ちの落ち着きとともに炎症はなくなり、それ以降は大きな症状に見舞われることなく生活することが出来ています。うつ状態からも随分回復しました。

ちなみに私の機嫌を取る方法は、

・カフェでゆっくりする
・コスメショップに行く
・ネイルに行く
・美容院に行く
・エステに行く
・eyeゾーンサロンに行く
・ティータイム☕
・ゆっくり街を歩く(ショッピング)

つまりは自己投資が好きだと知りました。自分のこと好きだなんて思ったことがなかったけれど、私の人生が好きなのだと思います。

そして、手探りでやってきた自分との向き合い方を肯定してくれて、一人一人が自分にしかない価値を発揮し、熱狂して生きる世の中を作るというビジョンを掲げるSHEに出会えたご縁を抱きしめたいくらい素敵に思います。


明日どうなるか分からないから、

思い立ったらすぐに動くし、会いたい人には会いに行くし、毎日を悔いなく過ごしたい。もしまた動けなくなった時に後悔しないように全力で生きることが私の行動力の所以です。

人生で一番つらかったけれど、自分と向き合うきっかけになったお守りのような出来事です。

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