欠損

「1が2mm、2が2mm、3が2mm、4が欠損、5が3mm…」

私は3か月に一度、歯医者に行くのが好きだ。
ホワイトニングの薬剤をもらい、歯のクリーニングをすると、優しくてギャルい受付のお姉さんがシュミテクトの試供品をくれる。

「ホワイトニングで歯滲みるだろうから、使ってね」

可愛い。好きかもしれない。

しかし私が歯医者を好きな理由はシュミテクト(お姉さん)だけではない。

「4が欠損」

これを聞きたくて通っているようなものだ。

私は歯の矯正をした際に4番の歯を上下で4本すべて抜いた。
顎が小さい現代的な輪郭だったため、歯を収納するスペースが4本分足りなかったのだ。
今は綺麗に揃ったが、ちょっとすきっ歯なのではないかと鏡を見て気にし始めている。
人間の美に対する欲求は底知れない。

さて話が逸れたが、私は自分の身体に『欠損がある』とはっきり伝えてくれるこの歯医者が大好きなのだ。

『人間としてどこか欠落している』そう思いながら生きている人は少なくないだろう。
完璧な人間などいないのだから、当然のことではあるが、それが何なのか・どこが欠落しているのかというところまではっきり自意識がある人はその中にどれくらいいるだろうか。

人間の心は見えない。見えないどころか、持つ者にとってもよくわからない。
コントロールもできないような場合もある。

心のどこかが欠落していても、先生はお薬を処方して病名をつけるだけで、「この場所が欠損だ」とは教えてくれない。
欠損の場所がわかれば、物がわかれば、補充することができるかもしれないのに。

そういえば、日本の法律では医者は薬剤師にはなれないのをご存知だろうか。
医者が薬を処方するのに、医者はなぜ薬剤師になれないのだろう。
薬の調合なんて医者も勉強して理解しているし、もっと言えば昔は看護師ですらない准看護師(婦)や、看護学校の学生がアルバイトでやっていたようなものだ。
これは日本の法律の『欠損』だろうか。

まあこのように、欠損が何かわかれば嬉しい。言い換えれば、『なにかわからないものがある』という状態から逃げたい。

ニートや引きこもり(今は自宅警備員や籠り人?)がその名を得たことによって、正当化まではいかずとも安心感を得ただろうその感覚を、私は歯の欠損に覚えるのだ。

ところでこれは歯医者の案件ではないが、歯医者には定期的に行こう。
自分の歯で噛み締めることができるかどうかは、健康に左右するようだから。

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