幸福について考える

答えはないことですが、
今日は2023年現在、自分の考えをまとめていきたいと思います。

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幸福のために何が1番大切?

まず人が幸福になるために必要な要素を大枠で挙げてみる。

・人間関係
・お金
・時間
・趣味/楽しみ
・仕事
・地位、名誉、承認欲求
・健康

この中で1番大切なのは「健康」だと思っている。

人間関係が希薄でも、その方が都合がいい人もいる。
お金がなくても自給自足のスローライフを楽しむ人もいる。
忙殺される日々を送っていたとしても"内容量の濃い充実した人生を送ってる"と感じてるかもしれないし、
あえて仕事を持たない"FIRE"という生き方をしている人もいるし、
地位や名誉なんていらないと言う世捨て人タイプの人も増えているのではないだろうか。

ただ、病気の状態で幸福感を感じることはできない。
「あっちこっち痛い」「副作用でずっと吐き気がある」「癌である」「透析をしているから行動制限がある」状態で、「でも幸せ!!」って難しいのではないか。
お金を使うのも、仕事をするのも、余暇を楽しむのも、"健康"と言う土台があるからこそ満喫できるのだと思う。

あまり哲学的に難しく考えず、
「幸せとは健康でいられることだ!」と捉えてもいいのかなぁと最近では考えている。
健康で真面目にコツコツやってれば他の幸福要素も後からついてくるはず、、、と信じたい。
だから私は「健康」を守るために死ぬ気でコミットする。
よく寝て、よく食べて、よく動いて、ストレスは己の燃料にして、酒タバコなど体に悪い物を避けて生きる。
これが幸福への1番の近道で、確実な成功法だろうと思うからだ。

また体の中でも「脳の健康」を最も大切だと思っている。
私は若い頃、知的障害者施設で仕事をしていた。
その時の経験から「考える」ことが、自分たちが当たり前にしていることがどんな幸せなのかと実感したことがある。
これにつては別記事にしていきたいと思っているが、
自分で朝食を用意して、喉が渇いたら自分のタイミングで水を飲み、好きに外出ができて、自分のことを自分で責任をとって選択できる。これ以上の幸せはないのではないか。
体と脳は連動しているので、脳のために体を大切にしていると言っても過言ではない。
そのために認知症予防や精神病予防を気にしまくっている。

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2番目に大切なのは"人間関係"

私に今1番欠けているものである。
1人の時間は大切だ。でも度を超えた孤独は本当に病む。

信頼できる人がいる状態で"あえて"1人になるのと、誰もいなくて1人にならざる得ない状況は違う。
たとえ健康であっても孤独な状態であれば「自分の人生は幸福だ」といえないだろうし、
そもそもストレスで健康を害してしまう。

我々はホモサピエンスという猿であってゴリラやチンパンジーの親戚なのである。
猿は社会的な動物だ。
集団に貢献したり必要とされることで幸福感を得られるし、群から排除されることに恐怖する。それは遺伝子に刻まれた習性であって逃れられない。
猫が水を嫌う、とかと同じだと思っている。
私ような理屈っぽい民は、「現代社会においてネットを駆使すれば1人でも生きていける!」とか1人でも大丈夫だという言い訳を述べたくなってしまうが、
「じゃぁそれで幸せなんですか?」って話だ。
ただ生きたいのではない、幸福にいきたいはず。

どんなに内向的な性格でも、コミュニケーションが苦手でも、人間関係無くして幸福にはなれない。
そういうサガだと脳に刻み、工夫と努力をして社会に居場所を作っていきたいと思う。

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「健康」と「人間関係」のために「お金」も「時間」も必要

先に述べた「健康」「人間関係」とその他項目の優先順位を入れ変えてしまってはいけない。
例えば「お金のために心身を犠牲にした働き方をする」というのは本末転倒だ。

しかし、良好な「健康」「人間関係」を保つためにも
「お金」「時間」「趣味」「仕事」なども全て必要でもある。

どれか一つが著しく欠けているとか、どれか1つしかない状況を想像する。
あまりよろしくない。
沢山出なくていい、全体的にバランスよく持てるようにしたい。
そしてちょっとずつ全体の底上げをして平均点上げていく感じで「幸福追求」していくのが良いのかなぁ〜と考えているNOW

どうだろうか。

ちなみに「美しい容姿」「名誉」「承認欲求」「物欲」「性格がよい」など細々した幸福要素は基本的に「人間関係」に付随している。
人間のサガというか、業というか。やはり「人間」からは逃れられぬのだなぁと痛感する🤔

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終わりよければ全て良し。

理想論を言えば「人生とは"今"の連続だがら、"今"を大切に、ずっとハッピーであれば人生ハッピー♩」なのだと思う。

でもそういいことばかりではないだろう。
人生は株価チャートのように、アップダウンしながら進んでいく体感。
いい時もあれば悪い時もあるし。
良い自分であればいつかは上昇トレンドに戻るだろうが、
腐った自分では下降トレンドは止まらず倒産になるだろう。

私は老年期、強いては"死ぬ直前"に「人生いろいろあったけど、概ね満足である」と感じられれば、幸福な人生だったと言えると思う。

私は極貧DV家庭出身で10代は苦労が多かったが、
今は平均並みな生活ができているし、ボッチではあるが逆に言えば「毒」となる他者に煩わされることもないのでそこそこ幸せだと思っている。
現時点において、過去の苦労は「今の幸福のために必要なことだった」と捉えている。

どんなドラマや漫画だって、苦労やピンチはくる。
それを乗り越えて「終わりが良い」から、「意義のある苦労」となるのではないか。
終わりよければすべてよし。

逆パターンについても考えてみる。
若い頃は良かったが、健康&対人関係&お金がどんどん先細りになり、
全て失いひっそりと老後を過ごして、孤独に死んでいく、、、、
若い頃の幸せを思い出だし、余計辛い気持ちになるのではないだろうか。
きつい。それだけは避けたい。

死期がいつかわからないから難しい。

老後のために!と備えていても明日死ぬかもしれないのだ。
"今を楽しむ"は早死にするとしたら最高のリスクヘッジなのかもしれない。
でも思いの外長生きする可能性だってあるのだ。

ようはバランスなんだろう。。

私は性格的に「未来」ばかり気にしてしまうので
"今の幸福"にも意識してフォーカスするようにしたい。
逆に"今"しか見えていない人は、余計なお世話ではあるが、極貧孤独死にならないよう"将来の幸福に"のためいもリソース割いた方がいいと思う。
50:50がいいのかな🤔

死ぬことだけが唯一私たちが予想できる未来

未来のことは誰にもわからないが、「大体100年以内に死ぬ」ということだけは予言できる。

哲学的な話になってしまうが、
死ぬことを深く考えることは、生きることを深く考えることとイコールだと思う。
幸福について考える時に、避けては通れないのが「死」だ。

個人的には、事切れる時に、人生という映画のエンドロール(走馬灯)を見ながら
「うーん80点!合格!」と自分自身に◎をつけてあげられるのが目標だ。

自分が幸福かどうかは、他社との比較ではなく、主観で勝手に決めていいこと。
自分に合格点を出してあげられるような日々を送っていこうと思う。

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