ちょっと不幸なくらいが丁度いいと思ってる話

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不幸の後は好転してる

こんにちわ😃

この記事では「不幸・嫌なこと、困難についての受け止め方」をテーマに、内省も含めて書いていきます。

私はそこそこ完璧主義。
不安・不快要素を抱えたままでは落ち着かない性格。

でも今は「不幸がちょっとある位が丁度いいな」と思っているので、
その理由をいくつか挙げていきます。

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幸福感に満たされてる状態では努力しない

仮に100%不満も不安もなく、「私の人生最高!!」っていう人がいたとして、
その人は高みを目指して努力するか?

「今がずっと続けばいいな♩」と思うでしょう。
今で十分なのに、辛い思いをして努力する"必要がない"から、現状維持バイアスが働くのではないか。
私は満ち足りてるときは危機感も焦燥感ないのでダラダラしてしまいます。

それは良いことでは?とも思うけど
変わらないことは「リスク」でもある。

なぜならば、周りの人は変わっていくし、時代も移り変わっていくから。
変わりゆくモノの中で、自分だけ止まっていることは「現状維持」にはならない。

当たり前すぎる例ですが、同僚が100進んで、自分は1歩も進んでなければ差が開きます。
社会の倫理観が進んでるのに、自分の価値観をアップデートしなければ「老害」と呼ばれます。

また、どんなに現状維持したいと思ったって、自分自身も"確実に"変わっていく。
歳をとるからです。
肉体は老いてできることが制限され、見られ方、扱われ方、ポジション、社会的地位も変わる。

そして「不満・不幸がある状態」は「現状を変えたい」と思い、努力する大きな動機となります。

・老後が不安だから、蓄財する
・貧乏暮らしが嫌だから、資格をとって昇給を目指す
・太ってる自分が嫌だから、ダイエットのために生活習慣に気をつける
・友達がいないから、自分の性格を見直す


そう考えると「ちょっと不幸な要素がある」ことを過大に悩む必要はないと感じました。
歳を重ね、昔を振り返って、マイナス要素があるゆえに努力し自己成長できたと実感しているのもあります。

もちろん、「飴と鞭」の「鞭」ばかりでは心が折れるし、別に不幸になりたいわけではないので「不満はちょっとでいい」かな。

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傲慢にならないように

先の文章でかも詩出てしまってるかもしれませんが、私は自信満々人間です。
自信満々というか、自立系ゴリラ。

「生殺与奪権を与えないために依存するな。自立して自分の人生の舵は自分でとれ。弱者であると依存せざる得ないが、強者であれば困ってる人に与えることが出来る。」
「泣いてりゃ与えられるのは赤ちゃんまで、大人なら自己判断自己責任」
「綺麗事や耳障りのいい言葉でコーティングしても現状変わらん。現実と正論から逃げるな」
「(子供老人、障害、病気などでできない人以外は)欲しいものがあるなら自分で頑張れ。甘えるな。できないなら諦めろ。社会は平等ではない。」

と思って生きている。
そんな自分を気に入ってもいますが、
「傲慢さ」と紙一重えであるとも自覚している。

性格や大切にしている価値観はみんな違う。
弱っているタイミングもある。
生まれ持ったカードがみんな違うから、それぞれできること出来ないこともある。
もちろん、長期的にみたら「根本的な問題解決」は必要だけど、
普通の人には「悩む段階」「感情を昇華する段階」「現実に向き合う段階「行動を起こす段階」などがある。
それらを無視してガンガン正論ぶつけてきたら辛いんだ。

しかし!
頭ではわかってるのですが、うまく行ってる時はこれが見えなくなる!
謎の自信に満ち溢れて謙虚さがない。ずけずけ発言してたら「傲慢な奴だ」と不快に思われることもあるだろうなと。
実際、数々の人間関係の摩擦を起こして来てます。

そんな私でも「自分が経験したことがある不幸」には共感し、同調することができる。
歳を重ねて、経験値が増え、相手の立場になって考えねばなぁと思えるようになった。

「辛い経験をしてきた人は、同じく辛い人に寄り添える」とはよく言ったもので、
自分が弱っている時は、思い通りにいかないときは、同じ状況にいる人側に立って考えられたりします。

自分自身に不幸、不満があるから、かろうじて人の形を保ってられてるというかw
人のためになりたいとか、優しくしたいとか、そういう気持ちを持っていられている気がする。
そう思えるなら、まぁ自分に怒る不幸も悪いものじゃないのかもなと。

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大不幸の後は好転する

なぜか超絶辛い思いをした後は、人生が好転するようなことが起きません?
「なんか知らん力が信号を出してくれてるんか〜〜!」って。

冷静に分析すると、
「不幸な状況から脱却するために、行動を起こす」からだと思ってます。

以下は私の実体験です。↓↓

私は元々、問題がないなら本業は手堅く長期でやりたいと思ってる派でした。
転職活動って履歴書書くのも面接受けるのもハラハラするのもめんどくさい。
一から仕事覚えるのも、下っ端からやり直すのも、次の会社が合わない可能性もあるし、、、

でも性格が尖ってるので社会不適合起こして、職場でイジメに会って、完全孤立、居場所を無くして退職せざるおえないことを繰り返し。

精神的にボロボロにでも 生きてくために稼がねばならないので、
ノートいっぱい自己分析、他者分析を繰り返して、泣きながら転職を繰り返して転職をくりかしていた20代。

現在は、当初の仕事よりも良い条件&自分に向いていると思える仕事についているけど、それは「不幸」があったから。

「ここにいたらしぬ。」と強い動機付けがされ、転職をしたり、自分を変える努力をしたから。

もし不幸がなかったら、あっても大したことがなかったら。
「現状維持バイアス」が働いて、「転職」っていうリスクとコストの大きい選択はしなかったとおもます。
そして、ずるずるあの職場(自分に合わない/給料も悪い/対人関係悪い)にい続けて歳をとって、他業種を目指すとかできなくなってただろうなぁと思う。

辛かったけど、自分には必要なエピソードだったんだ。
天とか守護霊とか、なんかそんなんが
「根性を叩き直せよ!」とか
「お前にそこはあってないぞ!」とか
「タイミング今だぞ!」
と合図を出してくれてるんだ。そういうことにしておこう。
スピリチュアルに傾向してるわけではないけど、なんか不思議な力のせいにしていると楽しい。

あと、人生って株価チャートにとか似てないですか。
強い外部要因がかかることで、マイナストレンドがプラストレンドに転じたり、その逆もあったりする。

デカ目の不幸があったら、これはチャンス!流れを変えるぜ!
ダメな時は何やってもダメだから、寝て時間を稼ぐ。
トレンドは自分で操作できない、自分にできる準備して、タイミングだけあわあせよう、みたいな。

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幸福7:不幸3くらいで丁度いい

長文になりましたが、

「基本やっぱ幸福目指したいよね、
でも不幸も使い方次第で良いこともあるからちょっとあってもいいよね」

です。

不幸要素をあまり悲観せず、リスト化→数値化して
幸福7:不幸3くらいに収まれば良いのかなぁと。

年取るとこうやって動じなくなってくんだな。

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