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1000文字チャレンジとの両立

毎日(かはわからんが)1000字以上の日記を書くことを1000文字チャレンジと呼ぶことにした。表記揺れは1000字チャレンジ。

1000文字チャレンジをするにあたって必要なのは時間だ。
正直2000字いかないぐらいの日記を書くのに1時間はかかる。私は動作がのろいので、平日に仕事をして夕飯を作って食べて(食べるのがまた遅いんだこれが)風呂に入って勉強して日記を書いて早めに寝るのは時間的に結構ぎりぎりだ。
でもどう考えても日記以外の要素を削るわけにいかない。仕事と食事と風呂と睡眠は削ると人間らしさと社会性を失ってしまうし、勉強に関しては今後のことを考えると日記より優先すべきだと思う。

でも1000字書かないと感情を記した日記にできないしなあ。

とかなんとか言っている間に感情について書いたらいいのにと思ったので今日思ったことを書く。

日中に、正確に言えば仕事中に、解離が非常に多かった。
15分前に聞いた話を「あの話でさ、」と言われても思い出せなかった。
何がトリガーなのかなと思って考えたのだけど、多分「私は劣っている」か「私は成長していない」あたりだと思う。他人の進み方が自分より速いと感じると、途端に自分に流れている時間が消えてしまって話が頭に入らなくなる。呆然とする。

トラウマについての本に、解離中だかには脳画像を見ても本当に脳の動きが止まっているとあった。
今まで頭が働かなくなるのは自分の集中力が足りないからだとか頭が悪いからこれ以上理解できないのだとか思っていたが、解離していて脳が止まっているからという説もあるわけだ。事実、解離中に人に何かを説明されると「言っていることはわかるけどわからない」「理屈はわかるけど覚えていられない気がする(実際に忘れる)」と感じる。脳のシワがなくなってツルツルになって表面を言葉が滑っていくような感覚だ。脳が止まっているのなら納得はいく。
「理屈はわかるけど覚えていられない気がする」というときに、何も言えなくなってしまう。わからなかったわけではないし、わからなかったと言ってもう一度説明されてもそれについても「理屈はわかるけど覚えていられない」と感じるので、相手に無駄な説明をさせてしまう。でも忘れてしまうという確信があるのでわかりましたとも言えない。結局わからなかったのだろうと解釈されて再説明を受け、また「理屈はわかるけど覚えていられない気がする」と思い曖昧な返事をすることになる。

多分解離中の感覚について言及しても意味はないだろう。改善にはつながらない。

そろそろ勉強をし始めないと勉強の時間が無くなってしまう。やっと1000字を超えたところだが。

黙ってしまうのをやめたい。なぜなら印象が悪いので。
黙っているとき、大抵は何か考えている。「こう言わなきゃ」ということを。考えているだけで口からは出てこない。考えすぎなのだと思う。それを言うべきか言わないべきか、言っていいことなのかだめなことなのかとかをごちゃごちゃ考えてしまって、尻込みしてしまう。
人々はもっと軽率に発言しているということを肌で感じる機会が少ないのだと思う。もっと軽く口を滑らしていいということが体感としてわからない。
自分の感情を加工せずに出していいと思えない。自分の思ったことをそのまま表現することを安全だと思えない。
それは単純に場数が足りないのだと思うけれど、場数にしていい場所が生活にあまりない。人と直接話す場も少ないし、ましてや雑談なんてする機会はない。し、私にはできない。と思ってしまう。私と関わる人は不幸だと思う。迷惑だろうな、私は。うまく喋れないから。うまく喋れないことが申し訳なくて人との関わりを避けることがよくある。もちろん人が怖いからもあるけれど、申し訳なさもちゃんとした理由だ。そしてそれゆえに私は社交不安なんだろう。

結局1500字に45分ぐらいかかっている。勉強の時間がなくなってしまった(やりたくないだけでは?という気持ちもあるので、このあとちょっとでもやろう。やりたくないからじゃないよって自分にアピールするために。)

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