「ふつう」に憧れるモンスターだった私

 典型的な根性論で生きてきた私には、息子が中学校に行かれないという状況を飲み込むのにかなり時間がかかりました。

 はじめは、体調が悪いから仕方ないのかな…と1日休ませましたが、それが数日続き、いつの間にか朝ベッドを覗いても目を開けなくなり、最後には返事もなくなりました。それでも、ごくまれに学校に行った日には、私も一日ハッピーで、「ねえ!うちの息子、やっぱり普通でしょ?」とふれて回りたいほどの気持ちになったものです(今となっては「普通」であることの価値すら分からないし、その言葉に違和感すら覚えますがw)。

 また、朝は起きないけれど夕方にかけて元気になってくる息子の、「明日は学校へ行く」という発言でまた、心の中で大はしゃぎ。でも、翌朝また、死んだように眠っている息子の姿に、なんども裏切られたような気持ちになりました。「今日は行くって言ったじゃん!!」と、泣きながら揺すったこともありました。別人かのように生気を失った息子の傍らに必死の私。むなしくて悲しい日々の連続でした。いつしか、自身が朝目覚めるのも憂鬱になり始めていました。

 それでも私は息子を、「不登校」の状況だと思っていなかったのです。思わないようにしていたという方が正しいかもしれません。どこまでも、「普通」という言葉にあこがれたモンスターだったのです。

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