見出し画像

今宵、天秤座の新月に想う。

新月の今宵、いかがお過ごしでしょうか?
天秤座の新月ということで、キーワードでもある『結びつき』について、少し綴っておこうと思います。

仲良く、睦まじく、そして楽しめていたパートナーが、お互いを知り
何かしらの自分の価値観とのギャップをカンジ始めると、心が通えなくなることがあります。
「愛情」が、一瞬にして「憎しみ」に変ったりするといいますが、それは、何も大人だけに限ったことではありません。
年齢にかかわりなく、愛溢るることがあれば、怒りに震えることもあります。
子供たちのあいだでも、友情が、怒りに変貌することがありますし、憎しみにまで至る場合もあります。
何故、そういうふうに変わってしまうのでしょうか?
これまでお伝えしてきましたように、「愛」と「憎しみ」は対義語ではありません。
愛することと、憎むこと、果たしてどちらが苦しいのでしょう?
それは、人によっても違うでしょうし、おかれた状況によって違いがあるでしょう。
「好き」なだけの状況なら楽しくいられ、「憎む」だけなら、簡単だという考え方もあります。
色々な感情を、一度に持つのが人間というものなのです。
「愛している」から「憎い」ということもいわれます。
自分が愛する分だけ、相手からも愛して欲しいという感情は、ごく当たり前の欲求かもしれません。
しかし、実際は必ずしもそうはいかないから、苦しいということもあります。
「アナタに、これをあげるわ」ということをいいながら
「あなたは、何もくれないの?」では、見返りを期待しながらあげていたことになるわけで、こうなると、交換条件といえなくもありません。
ここに、苦しみの原因が生じてきます。
愛する人を憎む自分と葛藤しながら、苦しみの渦中にいる人もいらっしることでしょう。
憎しみの気持ちはないけれど、嫌気がさしたり、悲しみのなかに悶々とする日々の人もいらっしゃることでしょう。
自分の愛する人が、自分の思い通りにいかないことに悶々としている人もいらっしゃることでしょう。
彼に対して憎しみを持っていた人が、逆に彼から去られる結果になったという人もいらっしゃることでしょう。
(彼女が彼に対してもっていた感情が、そのまま自分に返ってきたケースです)
稀にですが、憎しみから愛を取り戻すこともあります。
これは、憎しみによって、お互いが傷つき、苦しい思いをすることの愚かさに気づき、和解しあえた場合のみです。
愛も憎しみも、一つの心から生まれる働きという意味においては、裏表の関係であって、別物ではないのです。
「愛」は、相手があって育むものという意味では時間がかかりますが
それとは反対に、「憎しみ」は一瞬の怒りという自我感情で起こりえますので、与える影響は計り知れないものがあります。
別れるものあり、悲しみの淵に沈むものあり、奈落の底に突き落とされるものありです。
愛が相手に受け入れられない時、その愛が憎しみに変わるといいますが、これはその愛のあり方にも原因があり、身勝手な押し付けの想いであってはならないと思うのです。
愛と思っていても、自己都合による押し付けや欲求は、冷めることはあっても、相手からすれば心が安らぐことはありません。
こう考えてみますと、争いや憎しみは、個々の持つ愛の違いから発生するもので、厳密にいえば愛に行き違いはないのではないでしょうか。
そして、真心の愛は、このような行き違いを超えたところに信愛と寛容として在るものでありたいものです。
そう、真心の愛は一方通行ではなく循環するのです。
生きていくには、老いてゆくこと、病を患うこと、そして、死があることは事実です。
そのなかで、喜びがあり、怒りもあり、哀しみがあり、楽しみがあるのです。
人間関係において、どんなに怒ってみても、憎しみを以ってしても、それで事態が好転することはありません。
そう憎しみよって、お互いが傷つく前に『智慧』をもって気付かなけばなりません。
『赦すこと』も愛ですし、如何にすれば事態が好転するのか
理性と智慧を以ってすれば、必ずや妙案も浮かぶでしょうし、お互いが心地よく生きて働けて暮らせることになります。
怒りは、破壊のエネルギーでしかありましせん。
愛には様々な形態がありますが、最終的には『受け入れて慈しむ』『押しつけではない』そして、『赦し』ということではないでしょうか。
大切なのは、このような周りへの愛の投射によって、自らも愛で成立している存在であるということが確認できるということでしょう。
「憎しみ」は、「怒り」と「攻撃」の感情です。
これは、真心の愛とは、あらゆる点で反対の作用をする感情だと思います。
では、なぜ憎しみがうまれるのでしょうか。
憎しみは、自分に「愛」が注がれていないことに気づいたいた時に発生する感情なのです。
「憎しみ」は、他者を破壊する感情であって、自らの存在を維持する為の他者に対する防御的攻撃ということができます。
しかし、この憎しみは相手のみならず、自分をも破壊していることに気づかなくてはなりません。
憎しみが本能的感情であるのは明白でしょう。
「憎しみ」は自己保存に原点があります。
憎しみは、互いに憎しみを呼び連鎖するものです。
そして、結果的に我が身に返ってくるということです。
愛が憎しみを生ずるというのは、執着心にほかならず、自己愛を本質とするからではないでしょうか。
人間の心のなかにある愛、そして憎しみという煩悩、それらは武器を持ってワタシたち自身に襲いかかってくるわけではありません。
それなのに、ワタシたちはそれらのものを制御できず、知らず知らずのうちにその虜となり、憎しみの奴隷となって煩悩の命ずるままに動かされてしまいます。
どうしてでしょうか?
これが自我感情の姿であり、執着以外のなにものでもないからです。
心に執着という重いものを持っていますと、闇夜の月明りの如く、目立たず静かに足元を照らしてくれる月の光にさえ気づけなくなってしまうことでしょう。

今宵、要らぬ執着は解き放ってみませんか?
(仕返ししようなんて、考えないことです。怒りや憎しみの想念は、まずは自分自身の心身を蝕むのですから)

#天秤座新月 #執着 #yuj #yoga #ひとりごと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?