見出し画像

【自作詩解説】「手取り15万」【テノウチ】

「この作品はどのような点に工夫があるのか」……技巧的な面からの解説は絵や音楽なら当然のように行われている。一方、詩はそういった試みが少ない。詩論は書かれていても抽象的・形而上的な言及ばかりで、技法にまで触れているものは限られる。
ならば隗より始めよ、まずは私が書くことにした。このnoteでは作者が手の内を見せ、自作の詩にどういった工夫を凝らしているかを解説していく。

詩「手取り15万」

今回とりあげるのは「手取り15万」という詩だ。初出は2019年9月24日のTwitter、その後B-REVIEWにも投稿し、また『詩と思想』2020年9月にはセルフコミカライズ版が掲載されている。以下がその詩だ。なお、note掲載版とTwitter・B-REVIEWおよび詩と思想版には多少の違いがある。ご了承いただきたい。

   手取り15万   作 渡辺八畳

雫ひとつ
落ちずに
伸びて
細くなり
事切れる


マクロで観測すれば電球が切れかけている台所の一風景など取りざたされるものではない。籠った湿気がむしろ安堵をもたらす。着古した下着は毛玉ともつかぬ物体を表面にまとっていていてそれが肌へ絶妙な刺激を与えている


人工の葉の間から差し込んだ不確かな光の
熱がフローリングを部分的に温めて
手を乗せれば遥かな故郷を思い出す

手取り15万_解説1

技巧① ビジュアル面での緩急

詩は文字で書かれているから言葉の意味による芸術だ、と思われがちだ。しかし実際は「言葉の意味」以外の要素も大きく関わってくる。
たとえば「音」がそれにあたる。詩は「うた」であり、音声化した際の心地よさは非常に重要だ。この「音」は、声に出して朗読した場合に発せられる実際の音と、黙読だとしても心で感じ取れる響き(いわゆる内在律)とに分けられるが、どちらも詩の出来に大きく関わってくる。

詩における音と比べるとあまり注目されていない印象があるが、詩の形状・ビジュアルも重要な要素である。詩とビジュアル、となると新国誠一の具体詩や北園克衛の作品などがまず出てくるだろう。しかしそういった「視覚詩」でなくとも詩には視覚要素が必ず関わってくる。
たとえば漢字の閉じ開きがそれだ。「未だ」と書くか「いまだ」と書くか、表す意味や音は同じでも表記の仕方によって語から与えられるイメージは変化する。漢字で書いた場合、「未」が持つ「まだそのときがこない」という意味が強く押し出される。一方ひらがなで書いた場合はその意味がいくらか薄まる。これは漢字が標語文字(語が音と意味を表している文字)なのに対し、ひらがなは音のみしか表さない表意文字だからだろう。「imada」という音自体に意味は持たず、それが「まだそのときがこない」という意味を持てているのは「未」とのつながりがあるからでしかない。
漢字とひらながでは線の密度も異なる。使用するマス数は同じでも「部屋」と「へや」では線の密度、つまり画面の黒さが異なる。密度が高まると印章も重くなり、同じ意味でも感触が変化してくる。「部屋で蹲る」と「へやでうずくまる」と比べてみてほしい。

散文詩というものもあるが、多くの詩は行分けが行われている。この行分けの仕方、改行の仕方も詩においては大きなビジュアル要素だ。

手取り15万_解説2

朗読を聞く場合でない限り、詩は目で見て文字を読んで鑑賞する。そのため、目がどのように文字を追うかの動きも詩に影響を及ぼしてくる。
一続きの文章なら目は一直線に動かせばよく、文字の読み取りも休みなく行える。しかし改行があるとそこで目は次の行の文頭へ移動しなくてはならず、そこで読み取りは一旦止まる。つまり、改行があるとそこが休符となるのだ。

「手取り15万」はこの改行の効果を大いに活用した。
この詩は3つの連があり、それぞれによって改行のコンセプトが異なる。①は4文字ないし3文字で改行している。行数は5つ、この後にくる②や③よりも多い。
一行あたりの情報量は非常に少なく、しかもすぐに改行となるため目も大きく動かさなくてはならない。つまりすらすらすらと読み飛ばせないのだ。

手取り15万_解説2-1

上記画像は「雫ひとつ落ちずに伸びて細くなり事切れる」と一行で書いた場合と「雫ひとつ/落ちずに/伸びて/細くなり/事切れる」と改行した場合で目が動く距離がどれくら変わるかを図式化したものだ。改行ありのほうが、次の行の文頭へといく動作(点線部分)が加わり長くなっていることがわかるだろう。もちろん上記画像は長さを厳密に表したものではないが、改行なしと比べありの場合だと目が動く距離が増えることは明確だ。

そのような①に対し②は散文詩調だ。文節があろうが句点(。)が入ろうが構わずに、フォーマットの都合による改行がこない限り文字が続いている。さらに②では読点(、)が一切使われていない。つまり改行によるストップも読点によるストップも無い。一応句点はあるが、行の一番最後にこないよう調整しており、句点後すぐに次の行がはじまっている。
ジェットコースターに例えるなら、①は最初の上昇だ。ガタンゴトン、と一音ずつ鳴らしながらゆっくり昇っていく。体感時間も非常に長い。そして最高潮に達し、②で一気に落ちていく。①の上昇と比べて時間=文字数は多いのにも関わらず体感では一瞬だ。これは②は改行も読点もなく、目をすらすらすらと一直線に動かしていけるからだ。一文あたりの文字数が多いこともそれに寄与している。①は「雫ひとつ落ちずに伸びて細くなり事切れる」とわずか19字なのに対し、②の文は句点を抜いてもそれぞれ40字、16字、44字。句点で一旦区切られるまで多くの文字が一気に目の中へ飛び込んでくることになる。
このように、①と②は対比の関係にあり、①から②へ至る際の落差を大きくするためにあのような改行を行った。

①や②と比べて③の改行はいたって普通だ。一行あたりの文字数も19字、16字16字である。
白鳥省吾賞伊東静雄賞など詩の公募ではよく「1行あたり20字」という規定が設けられる。これは原稿用紙がそのようなフォーマットになってい(て、それをデジタルの時代にも持ち越してい)るからだと推測できる。これらの規定にも収まるという点で見ても、③の一行あたりの文字数が普通の量であることがわかるだろう。
③は②での勢いをクールダウンさせるためにこのような改行を行っている。ジェットコースターなら数々の起伏を超えて乗り場に戻ってきた場面、たい焼きならしっぽ部分。②の興奮状態のまま終わらせる手もあるが、ここはあえて落ち着かせて読後感を確かなものにさせた。

以上のように、「手取り15万」では改行によって詩のビジュアル的な緩急を設けている。

技巧② 内容面での緩急

「手取り15万」は緩急に重きを置いた詩だ。その実践は技巧①で語ったビジュアル面にとどまらない。いや、これから語る内容面での緩急を補助するためにビジュアル要素があったと言えよう。そのため、技巧②で語る内容にも①でのビジュアル要素が関わってくる。

手取り15万_解説3

技巧①で各連は緩・急・やや緩の関係性を持っていたが、技巧②つまり内容面での解説でもこの図式は変わらない。

①では蛇口にぶらさがる雫の様子を淡々と、ひとつの変化ごとにクローズアップしつつ描写している。
仮に「雫ひとつ落ちずに伸びて細くなり事切れる」と1行で書いていた場合、すでに説明したとおり目はただ真っ直ぐに進むのみだ。5行すべてを合わせても19字、一気に読み終わってしまうだろう。その際、読み手の中に残るイメージは「雫が伸びて落ちた」だけになる。
しかし①では「雫が伸びて落ちた」を【雫が】【《落ちずに》】【伸びて】【《細くなり》】【落ちた(事切れる)】と5分割にしている。うち、【《落ちずに》】【《細くなり》】は「伸びる」と「落ちる」の動作の途中段階であり、連続したイメージの中では見ることができない。イメージを0.5倍速、0.25倍速、0.1倍速とスローにして描写したからこそ確認できたものだ。ハイスピードカメラで撮影した映像がこれに近いだろう。水風船が割れる瞬間を肉眼で見た場合、針を刺した瞬間に水風船は割れてしまっている。「針を刺す」と「水風船が割れる」の間の現象は無いに等しい。しかしハイスピードカメラで撮影した場合、「針を刺す」と「水風船が割れる」の間には「収縮していく風船」と「風船の形で宙にとどまっている水」を確認することができる。①での描写はまさにそれだ。
①における改行とはつまり映像の区切りであり、それを0コンマ数秒の単位で入れていることになる。1秒1行ごとの文字数の少なさもコマ送りのスローモーション感を助長させている。①ではじっくりとじっくりと、雫が伸びて、垂れていく過程を描写しているのだ。

①において描写される対象は蛇口とそこから垂れる雫のみだった。カメラで言えば接写、一つの対象物にのみ寄ってそれ以外を映さない。しかし①と対比になる②ではその対象が台所その他と一気に範囲が広がる。そもそもの出だしが「マクロで観察」だ。①が接写映像なら②は俯瞰だろう。模型の家を上から撮影しているかのように②ではこの一連でさまざまなものが写る。
映像のスピードも①と②では異なる。②では電球、台所、下着、毛玉、肌と描写対象が瞬時に変わっていく。じっくりと雫のみを映していた①とは対照的だ。一行40字を超す饒舌さ、そしてその中で行われるフラッシュカットが②にスピード感をもたらしている。②はビジュアルだけでなく描写の方法や内容でも①と対比になっているのだ。

技巧①と同様に③も描写自体は普通のものだ。映像があまり移り変わらずフローリングのみを映しているという点では①に近いだろう。
しかし③では「手を乗せれば」という動作の描写が出てくる。映像の提示に徹底してきた①②との大きな違いだ。動作があるということは、それを行った主体が存在するということだ。「遥かな故郷」という語も、主体の像形成に一役買っている。さらに言えば、「差し込む光による温かさ」が「遥かな故郷」との思慕とリンクし、さらに故郷という「懐かしい」ものは技巧①で説明したような③の役割(軟着陸)に寄与している。
詩のなかに主体が現れたことによってこの詩自体の安定性が増し、落ち着いて終えられるようになっている。もちろん、この主体はぽっと出のものではなく、ちゃんとその前に伏線が張られている。それが②の「肌へ絶妙な刺激を与えている」だ。肌を持つもの=主体 をここで暗に示している。

以上のように、「手取り15万」はビジュアル面と内容面の両面にて緩急をつけているのである。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

詩人が自作を語る機会というのはあまりない。今回のようながっつりとした自作解説は私も見た記憶が無い。
しかし、私は詩人による自作解説を読んでみたい。ほかの詩人がどういったことを考えつつ書いているのかを知りたい。その流れがこのnoteきっかけで生まれてくれたらいいな、と思っている。

オマケ 「手取り15万」セルフコミカライズ版

冒頭で述べた通り、「手取り15万」には渡辺八畳本人によるセルフコミカライズ版が存在する。今回は特別にそれを公開しよう。

手取り15万4


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?