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【叶えたい夢はありますか?】~世界もココロもグラデーションでできている~133

こんにちは 八彩理絵子(やいろりえこ)です。

前回「抱負」「目標」についてお話ししました。そもそも抱負や目標って何のために立てようとか、立てた方がいいとか思うのでしょうか?理想の自分になるためや、夢を叶えるためにということかと理解していますが、みなさまいかがでしょうか?

さて今回は、私が現在学びを深めているセッションの師匠と、カウンセリング講座の先生からの学びをこちらでアウトプットさせていただきたいなと思っております。哲学や心理学ということでの共通点は勿論お二人にはあるのですが、カウンセリングに対する姿勢にも共通するところがあるな~と学ぶ立場の私が、はなはだ失礼で勝手な言い分であることとは存じますが、自分なりに解釈していますので「夢を叶えたい」と思っている方や興味があるなと思われた方は読んでみてくださいね。

腑に落ちるとか、納得がいくという感覚で学ぶことは受け取れる学びが多いのかなというようにも感じております。


さて、皆さまには

叶えたい夢はありますか?


他人から見たらとんでもなく大きな夢?な~んだというようなちっちゃい夢?他人からどう見えるかではありません。他の人になんと言われようと「叶えたい!」と思っている夢があるでしょうか?

ではその夢を実現できている自分をどれだけイメージできていますか?できている自分自身をどれだけイメージ出来ているでしょうか?

それは今の状況で判断するのではなく、未来自分自身がいろんなことを学んで、いろんなことにチャレンジしていろんなことができる才能も身に付いているといった未来の状態を、いかに知ることができるのかということです。この理想の未来の姿をいかに臨場感をもってイメージできるかがとても重要になってきます。

自己実現できない派にとって
コンフォートゾーン(安全領域といわれる)をいかに抜け出した発想ができるか?
望む人生を手に入れるにはどうしても重要になってきます。

この安全領域を抜け出ようとするとき人は恐怖が生まれてきます。なぜなら、安全ではないから・・・

皆さんの中には何か「チャレンジしよう」「これをやったほうが絶対にいい」と思っているにもかかわらず「怖くてできない」というような経験はありませんか?

私もこの安全領域から出ることは「恐怖しかない」「やなことしかない」「ネガティブなことしかない」「だったら今のままでいいじゃん」と思っていました(かすかに過去形w)周囲のススメがあっても、自分の中での納得感があったとしても「でも怖い」といったことってありませんか?ここでなにが働いているかというと、これはコンフォートゾーン(安全領域)から出られない自分自身がいるだけなのです。

でも、望む未来はコンフオートゾーンの外のチャレンジゾーンのさらに外にあると思ってみましょう。ここが夢が叶う、望みが叶うゾーンであります。これをやったら、夢が叶うとわかっているのに、チャレンジに対してあまりにも恐怖心が多いから何もできないで、日々怠惰な毎日を送ってしまうという人もいるかもしれません。

でも

安心してください



潜在意識というものがどのように構成されているのか、何で構成されているのかどんな部品(?)でできているのか自分の構成されているものがしっかり理解出来て、わかって生きるようになると嘘みたいなことがどんどん、どんどん叶っていったりするのです。「今までの自分には絶対に叶えられない」「こんなこと無理だ」と思えたことがどんどん、どんどんチャレンジできるような自分になっていく。そんな未来いいと思いませんか?

「怖い」と思う自分と「でもあの望みを叶えていきたい」「でも怖い」そんな心の中のやりとりが誰にでもあるんですね。

心の構成や心のブロックがなにでできているのか、価値観や価値体験というものがなにから生まれてきているかをしっかり理解することを行動とか考え方からわかってきたと仰っております。そこから自分の潜在意識に存在する価値観ですら意図して構築することができるようになってきた。これがリアルです。先生も師匠もチャレンジ三昧な感じです。

今日はここまでになります。

「現実をなかなかコントロールできない」「理想の事がなかなか叶っていかない」と思っている人もいるかもしれません。

私も同じです。

次回から少しずつ一緒に考えてみませんか🤔

ここまで読んでいただき
ありがとうございました。




お・ま・け

節分の豆まきでも、鬼といえば赤鬼と青鬼が定番かもしれないが、じつは赤と青のほかにも黄 (あるいは白)・緑・黒と3色の鬼がいるのだ。 節分の鬼は基本的に5色だと言われています。 これは仏教の「五蓋(ごがい)」(心を縛る5つの煩悩)の教えに基づいたものです。

節分に登場する鬼の5色は、人間誰しもが持っている煩悩を体の色で表しているのです。

赤・青・黄・緑・黒の5色がならぶと、戦隊ヒーローみたいにカラフルですが、これは単なる肌の色の違いではありません。鬼の肌の色は、仏教や陰陽五行説と深い関係があります。

赤鬼は五蓋の貪欲(とんよく)、つまり欲望や渇望を意味します。「鬼に金棒」で有名な、トゲのついた棒をもっているあの有名な鬼はこれです。

青鬼が表しているのは、瞋恚(しんに)。すなわち、悪意や憎しみ、怒りなど。青鬼に豆をぶつけると、幸福や利益がやってくるそう。

黄鬼(または白鬼)は、掉挙(じょうこ)。後悔や我執の象徴です。この鬼はのこぎりを手にしているといわれています。

緑鬼は、惛沈(こんちん)、睡眠(すいめん)、怠惰や過食、不真面目さを表している。薙刀を持ち、健康を祈って豆がぶつけられます。

黒鬼の疑(ぎ)は、斧をもち、疑心や愚痴を示しています。
悪者なイメージの鬼ですが、彼らが体の色で表している煩悩はどれも私たちに馴染みのあるものばかりです。

昔の人びとは節分のときに、自分たちの悪い心を鬼に見立て、それを戒めようとしていたのでしょう。そういう意味では、鬼の色は人間を映す鏡ともいえます。人びとは、豆をまくことで卑しい心を追いだし、善い人間でありたいと願ったのかもしれません。

欲望や邪悪さの象徴である一方、鬼のなかには、人に優しく、利益をもたらしてくれるものもいます。鬼は、古くは神聖な存在として扱われてきました。とすれば人の祈りを聞き届ける鬼は、人知を超えたヒーローであるのかもしれませんね。

ところで、桃太郎の倒した鬼は何色だったのかな~?


最後まで読んでくださり
ありがとうございます。

大切なお時間をありがとうございました。














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