見出し画像

パン職人から花農家へ 自己紹介

私たちは、新参者

農家になる人は、代々家業の農家を、引き継ぐ人だけではありません。
新規就農と言われる、農家とは関係ない人が改めて農家になることもできます。

私たちの場合は、その新規就農。
私は、元パン職人。
相方は、苗生産会社に勤務する会社員。

そう、相方は、農業の会社で働いていたけど農家じゃなくて会社員なんです。

パンと農がつながる


私の場合は、有名店、外資系ホテルのペストリーなどで働いて、
もぐらのような生活をしていました。
世が明ける前に厨房に入り、日が暮れてから帰宅する。

今考えると、超ブラックな労働環境でした。


12時間で帰れたら、今日は早く帰れたね。
なんて言ってるくらいでしたから。


そんなことをしていれば、体は健康ではいられません。


もれなく、ひどい小麦アレルギーと心の病になり、
山奥で小さなパン屋を、ほそぼそと始めました。


里山で畑を耕し、野菜を作りました。

桜の時期には桜を収穫して、桜の塩漬けを作る。

秋が来れば、栗を収穫してマロンペーストや渋皮煮、甘露煮を作る。

冬には、シュトレンのために近所のマダム達が作った干し柿をパンと交換して
ドライフルーツミックスを作ったり。

そんなことをしていると、
農家さんから規格外の果物があるから取りにおいでと
声をかけていただくようになりました。

農業の苦悩を知る

食べることを生業としていると、自ずと興味が出てくるのが
食材がどうやって作られているのか?

それまでは、農家さんがどのようにして
大量の果物などを作っているのか知りませんでした。


『売れない果物がたくさんあるから、取りに来て』

と言われ、果樹園にお邪魔すると
想像もしないほどの、大量の果物がコンテナケースに積まれていました。

私は、衝撃を受けました。
なぜ売れないのか伺うと、


『大きすぎることと、豊作だったから』

どちらの理由も、作物は正常に育った証です。
それなのに、市場に出すことができない。

なぜって?

大きすぎるのは、家庭冷蔵庫の場所をとったり、
食べ切れないと言う理由で、売れにくい。


豊作だと採れた分全部を、市場に出すと安値になります。
市場の価格を、下げることに繋がるから。

私は、とてもショックを受けました。
何か力になれないか、考えていた矢先のこと。


農家さんのパートナーさんが、倒れたと連絡が来ました。


『1人じゃできないし、もう農業をやめるよ。』

急いで果樹園に行った時には、
すでに木が、切り倒されていました。


私は、何の役にも立てず
ただただ、無力な自分に憤るだけでした。

半世紀以上育ててきた、果物の切り株を寂しそうに見る
農家さんの横顔が、今でも忘れられません。

模索しながら農業と関わる


結婚と出産をきっかけに、農業と関わりたいと
子育てに奮闘しながら、模索していました。

たまたま、参加していた市主催の農業起業塾。


今までのパン作りの経験が六次産業化で、
お役に立てないか?と模索していた時。


JA(農業協同組合)の方とお会いして

『米粉パン作りたいんだけど、できる?』

そんなことから、私の米粉パン作りが始まりました。


商業的に販売していくとなると、
ノングルテンではJAさんの顧客層とマッチせず
グルテンインの米粉パンを、開発することになりました。

そこから、相方が独立したいと言うまで
『米粉パンコンサルタント』として活動していました。

2つのJAさんで、
レシピ開発、店舗設計、スタッフ教育、技術指導をさせて頂きました。

試行錯誤しながら試作を繰り返しました。


慎重派の相方、清水の舞台から飛び降りる


苗生産会社で働く相方は、
冒険家タイプの私とは真逆の、慎重派。
起業なんて、あり得ないと言うタイプでした。

そんな彼が、

『独立する』

と言い出した背景には、
園芸業界のかげりが、大きく影響しています。


15年以上勤めてきた会社も
どんどん縮小されていき
将来に不安を感じていた時に

『育種』

新しい品種や品種改良をすること。
植物の特徴や性質を選択し、それらを組み合わせるなどして、より優れた品種を作り出すこと。

有名な育種家の方々の作品を見に行った時、相方は食い入るように見ていました。


と言う分野を知ります。

若手の花農家さんたちも、活躍されていて
相方は、希望を見出したようでした。


この『育種』と言う希望を知り
自分でもチャレンジしてみたいと思ったようです。

石橋を叩いて、割ってしまうような慎重派な相方が

『独立してみようと思う』


そう言ったときは、驚いたし
私は、待ってました!と飛び上がりました。

農家の助けになりたい私が、農家になった


まさか、自分が農家になるとは思いもしなかったです。

でも、相方が育種した花をみたとき
私にも、希望の花に見えました。

実際に、その時見せてくれた相方が育種したビオラ


私たちは、一筋の希望に導かれて
花農家に、なることになりました。


あの時、何の力にもなれなかった私が
今度は、相方と一緒に農業に挑むのです。


業界なんて大きな動きは、変えられなくても
自分たちが、思い描くような農業をすることはできる。


私たちの挑戦は、はじまったばかり。
苦労と希望は、紙一重。


これからnotoで、
私が学んだこと、経験したことを
書き留めていけたらと、思っています。

農業に、挑戦したいと言う方の
ほんの少しでも、お役に立てたらと思っています。


どうぞ、よろしくお願いします。

相方が育種したペチュニア 強い品種をくるのが目標
相方が育種したカリブラコア 今年の夏もよく咲いてくれました。
相方が育種したフリルビオラ まだまだ改良途中です。
相方が育種したフリルが、かわいいペチュニア

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?