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揺れるセーラー

 僕には幼稚園からずっと一緒の幼馴染がいる。宇宙一大好きで、大切な幼馴染だ。


 僕の家から桃の家は歩いて五分くらいの距離にある。幼稚園から高校まで、桃の家に迎えに行ってから二人で登校するのはもう当たり前の日常だ。漫画で見るような完璧な設定。だけど僕と桃は恋人ではない。

僕の指紋が一番付いているであろう黒色のインターホンを鳴らすと、バタバタと二階の部屋から足音が聞こえてくる。しばらくして僕の宝物は玄関から勢いよく飛び出してきた。

「ひかるおはよう!おまたせ!」

 白と紺のシンプルなセーラー服から覗く白い肌。黒く長い髪。薄めの前髪の間から覗くまん丸の瞳。艶やかな唇は時期によって異なる色に染め上げられている。最近の彼女のブームのリップカラーはブラウン味のある赤のようだ。

「おはよう桃。宿題やった?」

「あああ!忘れてた!」

「だと思ったよ、早く学校行って僕の写さなきゃ」

「ひかる〜大スキ!」

 いつものように並び、早歩きで学校に向かう。僕たちの通っている高校は徒歩で通える距離にあって、桃は僕と同じ高校に行くために当時めちゃくちゃ勉強していた。

 正門から下駄箱までの道、今の季節は銀杏を出来るだけ踏まないように歩くのが暗黙の了解だ。でもどうしても、踏みたいわけじゃなくても踏んでしまうこともある。ぐちゃり。靴を履き替え、紺色のスカートを揺らしながら階段を駆け上がっていく桃を追いかけて教室に入る。リュックから今朝確認した宿題のノートを引っ張り出して桃に渡す。必死に写し始める桃の前に座っていると急に後ろからぐい!と腕を回された。

「今日もひかるの写しかよ桃〜」

「違うよ!確認してるだけだもんー!」

「どーだか、なあひかる」

 少し茶色の短髪にやや焼けた健康的な肌。笑った時に見える八重歯は小学生から変わらない。

「洋介、桃集中してんだからちょっかいかけんなよな」

 重くのしかかった邪魔くさい腕をよけると「へーへー」と洋介は僕の隣の席に着いた。桃の方にふと目をやると、彼女の目線は僕の隣に向けられている。僕に見られていることに気付き、慌てて桃は宿題に取り掛かった。

 いつからだろう。洋介に向けられた桃の目が、僕にとって辛いものになったのは。「恋は盲目」なんて自分の時だけだ。人の恋は割と見える。ましてやそれが自分の好きな人のものであるならもう丸見えだ。桃とどうにかなりたい、なんて望んだりしない。ただずっと隣で、一番近くで桃の笑顔を見ていられるならそれだけで幸せだ。それだけでいいのに。 


「ひかるひかる!見てこれやばい!」

 学校が終わり、帰り支度をしていると桃は僕に携帯の画面を見せてきた。そこには〝プリンフェア!期間限定食べ放題〟とピンクの文字が踊っている。

「桃のためのフェアだね」

「めっちゃ行きたい〜一緒に行こ!」

「いいよ、いつ行く?」

「明日土曜だから私んち泊まってそのまま行くっていうのはどう?」

「おっけー」

 桃と泊まりなんて普通にする。同じベッドで寝るし、二人で遊ぶのなんてしょっちゅうだ。たまに腕を組んだり手を繋いだりもするし、同じペットボトルで水を飲むことだってある。

 だけど僕たちは幼馴染。それ以上でもそれ以下でもない。

 ふと視線を感じて横に目を向けると一瞬洋介と目が合う。何も気付いていない桃は無邪気にプリンの話をしている。この二人は文化祭で付き合ったりするのだろうか。そうしたら自分と桃の関係はどうなるのだろう。いや、何も変わらない。幼馴染はそれ以上に強いところで結ばれている。付き合う、付き合わないなんてくだらないことに左右されるような関係ではないのだ。

「土曜楽しみだね」

 わざと洋介に聞こえるように大きな声で言う。一番くだらないのはお前だろ、と心の中でもう一人の僕が囁いた。



 ガヤガヤと校内が賑わっている。十月も半分を切っていよいよ文化祭の前日準備だ。僕らのクラスはメイド喫茶をやることになっていて、今は最後の衣装合わせの時間だった。

「「桃可愛い〜〜!!!」」

 教室の端で黄色い声が飛び交っている。声の方に目をやると桃がメイド服を着て恥ずかしそうに立っていた。可愛いんだから似合うのなんて当たり前だ。と思いつつも、脳にしっかり刻もうと見つめていると桃はそんな僕に気が付いて近寄ってきた。

「どお、?」

「めちゃくちゃ可愛い」

「やったー!」

 ふわふわのスカートを揺らしながら小躍りする桃。

「思ってたよりリアルなやつ着るのな」

「洋介もっと他に言うことないわけ?」

 いつの間にか隣に来て感心している洋介に桃は顔をしかめる。廊下からクラスの男子たちも入ってきて楽しそうに試着を始めていた。今回のメイド喫茶は男女ともメイド服を着るらしい。

「お前も早く着れば?」

「ヤダよ、洋介こそ」

「俺はなんでも似合っちゃうからな〜」

 いつでも調子の良い洋介はそう言いながら放置されているメイド服を掴んで教室を出て行った。

「ひかる着ないの?」

「当日は受付やるから」

「今しかこんなの着れないよ〜?メイドのひかる見たかったな」

「残念でしたー」

 メイド服なんて絶対に着たくない僕は誰よりも先に受付という役目を勝ち取った。これで当日は桃のメイド服を見ているだけで済みそうだ。賑やかな準備も終わり万全な状態で僕たちは文化祭当日を迎えた。



「「二年七組メイド喫茶やってまアす!ぜひ来てください〜!!」」

呼び込みをしながら校内を回る。本当は嫌だったが桃がやる気満々だったから、念のためについて行くことにした。桃と休憩の時間を合わせて、午後は例年通り二人で文化祭を回る予定だ。

「ね、ひかる」

 どのクラスを回ろうか考えていると、呼び込みをしていた桃が急に耳元で囁いてきた。

「なに?」

「午後さ、一緒に回る時間ちょっとだけ減らしてもいい?」

「え、いいけど、どうしたの?」

「ちょっと…たくて」

 桃の声が小さすぎたのか、嫌な予感がして僕の耳が拒否してしまったのか、何を言われたのか分からなかった。このまま聞こえない方がいい気がしたけど桃のことで知らないことがあるのは嫌だ。

「なんだって?」

「…洋介、誘いたくて、」

 ドクンと心臓が鳴って一気に体が重くなる。今まで言動で察したことは何度もあったが桃の口からそんなことを聞くのは今回が初めてだった。なんて言ったらいいか分からなくて思わず目を逸らす。そんな僕の動揺に気付く様子もなく桃は続ける。

「ひかる、応援してくれる?」

 そんなこと言われたらもう何も言えない。だって僕は桃の一番の理解者で…幼馴染だから。

「…頑張ってね」

「ありがとう!ひかるが応援してくれるなら頑張れる!」

 ホッとした顔で嬉しそうな桃に肩を叩かれる。ついにこんな日が来てしまった。頭が回らないまま呼び込みが終わり、教室でぼーっと受付をしていると休憩中のはずの洋介が現れた。

「お前ほんとに当日も着ないんだ」

「当たり前」

 洋介が悪くないことは分かっていてもつい冷たく当たってしまう。しかし当の本人はそんなことには気にもしていない素振りで「ふーん」と教室の様子を伺っている。

「桃探してんの?」

「なんでだよ、繁盛してるなあと思って」

 どうやら桃はまだ洋介のことを誘っていないようだ。どのタイミングで誘うんだろう。

「てかお前ちょっと付き合えよ」

「はあ?」

「運ぶ荷物あるから手伝え」

 荷物は面倒だが受付は他にもいるし今は離れても問題ない。何より僕が洋介といれば少なくとも今だけは桃が洋介を誘わなくて済む、となんとも恰好悪い考えが頭をよぎって僕は黙って席を立った。



 メインの校舎は文化祭で人が賑わっているため、荷物置き用の場所と化しているプレハブの校舎がどうしても寂しく感じる。が、今の僕には居心地が良かった。人けのない教室で必要な道具をせっせと集めていると洋介の手が止まっていることに気付く。

「手伝ってやってんだからお前も手動かせよ」

 洋介が僕のことを見る。しばらく謎の沈黙が続いてから洋介の口が動いた。

「お前、桃のこと好きなの?」

「…は?」

「だからそんな風になったんだろ」

 洋介が何を言っているのか分からず混乱する。するといきなり洋介に手首を掴まれた。思っていたより力強くて、振り解けない。

「なにしてんだよ、離せよ」

「いつからそんな話し方だっけ」

 ぐいっと手を引っ張られ洋介の唇が僕の唇に押し当てられた。

「…っふざけんな」

 思い切り洋介から体を背けると、いつの間にか教室の入り口にメイド服を着た桃が立っていた。立ち尽くす桃の目には涙が浮かんでいるように見える。

「邪魔してごめん」

 弁解する余地もなく立ち去ろうとする桃。

「桃!待って!」

 反射で教室を飛び出しがむしゃらに桃の腕を掴む。嫌な汗が止まらない。

「誤解だよ!さっきのは…」


「知ってた。洋介がひかるのこと好きなの。」


 思いがけない言葉に耳を疑う。桃は後ろを向いたまま背中を震わせている。

「ずっとひかるが羨ましかった。ありのままで洋介に好かれてて、仲良いし。きっと二人は両想いなんだろうなって…」

 聞きたくない言葉が聞きたくない人からどんどん溢れてくる。心臓の鼓動が早い。蓋をするように思わず叫んだ。


「違う!僕が好きなのは桃だ!」


 言ってしまった。ずっとずっと秘密にしてたのに。これからも仲の良い幼馴染でいるはずだったのに。足が震えが止まらない。

いつの間にか力の抜けた僕の手から、桃の白くて細い腕がするりと抜けていった。

「…え?」

 振り向いて僕を見る桃の瞳には困惑の色が広がっている。堪らず僕は桃の横を通り抜け校舎を飛び出した。

 唇にさっきの感触を思い出して気持ち悪い。洋介も僕に蓋をしたかったのだろうか。ゴシゴシと強く擦る。桃の最後の表情が頭から消えない。

 僕の心が男なのかとか、好きな対象が女なのかとか、そんなことはもうずっと分からない。僕は桃が好きだった。ただ桃が好きなだけだったのに。これだけが確かなことで、ちょっとでも意識して欲しくて、僕だけのものにしたくて、でもそんなこと考えてもしょうがなくて、だって世の中ではこれがおかしいことだから、言っちゃいけないことだから。   

 言葉の代わりに涙が溢れる。

 ぐちゃり。暗黙の了解を無視する音がする。ぐちゃり。踏みたかったわけじゃない。
 秋風が吹いて僕の紺色のスカートが不規則に揺れた。








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