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MINAMATA、一足お先に!


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映画「MINAMATA」を観た。

9月23日公開に先駆けて、水俣市での先行上映に行ってきた。

絶対に水俣で観たくて。

チケットは完売。モデルとなった人々やご家族も来ていたみたい。



現在進行形の水俣病


同い年の友人が
「わたしは水俣出身だと言えなかった」と言いました。

その人の兄弟は、今も出身地を隠しているそうです。


水俣病発生からまだ50年くらい。

過去にするにはちょっと近すぎる。
解決したとも言えないし、出身地を明かすことに葛藤がある人は今も多いのだそうです。わたしは、そんなことも知らずになんて幸せに生きてきたんだろうか。

人は、当然のようにあるものにはなかなか気づかないのだよね。



例えば、ようやく自分を水俣病だと認められた人がいること。

「あいつお金欲しさに申請した」なんて言われたり差別がくっついてくるから、自分が水俣病だと言えない人もいる。年齢とともに症状が重くなり、「いよいよ保障を受けたい」と決心する人もいる。


例えば、お母さんが妊娠中にお魚を食べたときの影響で水俣病になった、いわゆる胎児性水俣病の患者さんのこと。

「毒は胎盤を通さない」という当時の認識が、この水俣病で覆ったのだけど、それはつまり「分からないことがある」。

今50代とかそのくらいの年代の方が多いのだけど、水俣病は年齢が上がるとともに症状も重くなる。そこからまた下の世代に影響がないかどうか、100%なことが言えないのだそう。

ということで、国や原因企業のチッソは「終わった」としたくても、事実は今までのことしか分からん、というわけです。



いつの時代も差別

水俣病は、人災だけどもその根底に差別があります。

当時の社会的階級の中で、はじめに水俣病が発症したのは「流民」と呼ばれた、別の地域からここに住み着いた人たちでした。

もともと地元の人からは「あの人たちは違う」と言われていたところに病気があり、水俣病となった人やご家族たちは指を刺されながら生きていました。

で、事実が明るみになるのが遅くなったり、

原因が分かっても、チッソは水俣に多くの雇用や利益をもたらしたので、守ろうとする人々や社会の動きがありました。



ユージンスミスさんのおかげで


そんな中で、今回の映画でジョニー・デップさん演じるユージンスミスというフォトジャーナリストが世界にこの事実を知らしめ、
世界の目を水俣に向けたことで、国やチッソは「やべ、逃げられない、どうにかせんと」な状況が生まれたのです。

もちろん、彼だけの力ではなく、原田正純医師や作家の石牟礼道子さんなど、さまざま尽力された人々の力も。


時がたち、人の目が離れても、今だって解決したわけではない。

だからこうやってまた水俣病への意識・理解が進むような映画があって

しかも世界的アクターが主演されて、わたしはただただ嬉しい。

水俣病がテーマだけど、世界中には多くの公害があって未だになくならない。そんなメッセージも込められていた。



これは、悲しい映画ではありません。わたし的には重苦しくもなかった。

だけど、涙がでて仕方なかった。


あの一枚が撮れるのは、

ユージンさんが、奥さんのアイリーンさんのサポートを得て地域に根付いたから。


「自分はこっち側」だと決め、そこにいて、理解しようとしたから。

そして彼には差別がなかった。

そうでないと撮れない写真。

それが水俣病の歴史を変えた。

ジャーナリズムは、だから必要なんだ。



わたしも、到底同じ位置からは話せないけど、
一枚の重みを感じる写真家でありたいと思ったらなんだろう、使命感の涙?


何のために撮っているか。

憧れのジャーナリストみたいに世界は変えれないけど、誰かの世界は変えれる。人の人生は変えれないけど、人の選択肢は変えられる。

そう信じて、そのために写真を撮ってる。んだな。


だけど、彼のように、

”「自分はこっち側」だと決め、そこにいて、理解しようとしたから撮れる写真” を、人生で一枚でも撮れるだろうか。


問われているような気がした。勝手に。




今日から全国で公開のMINAMATA、ぜひぜひ観てほしい。


あの時代も今も、差別が根っこにあるとこじれるのは変わらないな。

成長しようぞ、人類。



水俣市は「製作の意図や内容が分からない」として、この上映会の後援はお断りされました。県は後援していました。


ぼくはーなにをおもえーばいいーだろうー

こんなとき、イエモンのJAMが相変わらず脳内を流れる。


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↑アイリーンスミスさん

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