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ギソボノート1「履歴書」

約10年前のこと。

初めて会ったその人は、おおよそ80を過ぎたおばあちゃんなんて生やさしい表現がまるで当てはまらない凛とした人だった。

背筋はシャンとしており、オレンジ寄りの茶色いショートヘアに90年代の「egg」でよく見たピンク色の口紅、まぶたは光の加減でターコイズブルーとラベンダーが入れ代わりラメと共にキラキラ輝いていた。

その姿勢の良さもさる事ながら彼女の持つ独特なオーラが、その小柄な体格を感じさせない代わりに、人間としての大きさのようなものを感じさせた。

当時まだ20代だった私はその貫禄にビビったものだった。
なるほど会う前から強気な仕打ちをしてきただけのことはあるなと妙に納得した。

今思えば仕打ちというには程遠いし、まぁ仕方がなかった部分もあるなと思えるが、その時は「はあ?」と片眉上がる気持ちが強かったのは間違いない。

そう何かと言えば、会ったことも話したこともないその人に
「履歴書を出せ」と言われたのだ。
(会ったことも話したこともないからとも言える)

"私の孫と結婚するとかぬかしているどこの馬の骨ともわからぬ輩よ、
まずは「履歴書を出せ」
つまりこういうことだ。

これが夫(となる男性)経由で私に送られてきたその人からのファーストコンタクトである。

齢82才のその人。
私の夫の祖母。
つまり義祖母だ。


私は関東のいわゆる「都会」の部類に入る街の出身であった。

夫はその「都会」の人口の20分の1にも満たない九州のとある小さな街の出身だ。
失礼ながら彼と付き合うまでは聞いたこともない地名だったためしばらく覚えられずもちろんどんな字かも知らなかった。

彼は高校卒業後、進学のため関東で一人暮らしを始め、卒業後は地元九州には帰らず関東で就職をした。
私たちはその土地で知り合い付き合い始め、結婚に至るまでそう時間はかからなかった。

まずは、近くにいる方の我が家の両親へ彼が結婚の挨拶に来た。
そして翌月には休暇を取り、一泊二日、二人で九州の彼の実家へ挨拶に行くことにした。

実家住まいだった私は、交際当初から親に彼の話をしていたし、一緒に食事をしたこともあり、結婚することになった経緯やそのために彼が挨拶に来ることに対してなにひとつ不自然な点はなかった。

しかし実家を離れて長く一人暮らしだった彼はと言うと、
私と付き合っていることはおろか
結婚の「け」の字も九州の実家には話しておらず、
「来月帰るから〜」からの突然の
「結婚する人連れてくわ〜」といった様子で、
彼の親からしたらまさに青天の霹靂である。
すでに私の実家には結婚の挨拶が済んでいるのに、だ。

彼は一人っ子でまだ物心つく前に両親が離婚しており、
彼の祖父も小学校に上がる頃には亡くなっていたので、
九州の実家では彼の母と祖母の二人暮らしをしていた。

舅も小姑もいない彼の実家、
義祖母になるおばあちゃんはもう82才と聞く。
歳も歳だし夫の穏やかな雰囲気からしておばあちゃんも優しい”好々爺”タイプだろうと私は高を括っていた。

当時の私はとにかく義母のことばかりが気にかかり
「どんな人だろう…」
「うまくやれるかな…」
「気に入られるといいな…」
と太古の昔から嫁姑問題が尽きないことに不安を覚え
挨拶に行くと決まった日からまだ見ぬ義母のことが頭をもたげていた。

この時まだノーマークだった義祖母。
少しづつその存在感を発揮しはじめる。


さあさあ彼がなんのクッションも入れず丸腰の義母に突然結婚するなんて報告するものだからあちらはさぞかしてんやわんやしたことだろう。

九州の実家への挨拶までまだ1ヶ月はあったが、
関東で女を作られちゃあ九州へ帰って来なくなっちゃうんじゃないかってなもんで九州チームはさぞかし焦ったと思われる。

だってだって彼の実家は代々続く立派な家業をお持ちの家。
見合い話もいくつも用意があったのに、大事な大事な跡取りを社会勉強のつもりで関東にやったらまさかの嫁を見つけてしまったわけだ。
女手一つで苦労して育てたってのにこのまま嫁の尻に敷かれて帰ってこないなんてことになったらそれこそオオゴト採算とれねえ!
と九州チームもあたふたしたに違いない。

しかし、ここで落ち着きを放つ存在。
それが真のラスボス。
義祖母だ。

まあいい、結婚はしても嫁は九州に連れてくることもできる。
それより嫁になる女はどんな女なんだ。
大事なのはそこだ。

家柄は?学歴は?家族構成は?
我が孫に、後継者の嫁にふさわしい女なのか判断(くらいは)してやろう。

そして義祖母は彼に連絡をした。

「履歴書を出させろ」

これに真っ先にキレたのは私の母だった。

はあ?!
こんなにできのいい娘ほかにはいないっつーの!
わがままも言わないし思いやりもあるし学歴も見た目もまぁまぁじゃん!
履歴書出せとはいったい何様のつもりだ!
といった具合。

「まぁまぁ」がまぁまぁ気になるがそれでも手前味噌だ。
うちもかなりの重症だ。

私も正直マジかよと思いドン引きし絶対うまくやっていけないわこりゃ詰んだーと天を仰いだ。
ショーシャンクだ。

彼も彼だ。
「ばーちゃんが履歴書出せってー」と平然とのたまうのだ。
これから嫁になるそれはそれはかわいい(と思っていたかは知らない)フィアンセに
「駅前にコンビニできるんだってー」みたいなテンションで
「履歴書出してー」と言うのだ。

彼がひとこと
「俺が選んだ人なんだ!履歴書なんて必要ない!
 彼女にも彼女のご両親にも失礼だ!」
くらい言ってくれたら理想だがせめて
「いやぁホント悪いんだけど、ばーちゃん田舎の人間だからさ、
 頼むよ、付き合ってやって!」
くらいの申し訳なさアピールが欲しかった。
が、なかった。

私は渋々余った白紙の履歴書を部屋の引き出しの奥から引っ張り出し、自慢の楷書で履歴書をしたためた。

学歴、職歴、を記入。

志望動機?は、空欄。

趣味は読書、映画鑑賞…ってベタ!
だってまさか
「休みの前日は朝まではしご酒するのが趣味です。」
とはさすがに書けない。

「給料日前はお金がないので父親の行きつけのスナックに行って
 ツケで飲んでます。」
なんて書けない。し、書く欄ない。

そして自分なりに誠意ある、
誠意大将軍・羽◯研二にも勝る履歴書を提出し、
なんっっっっの感想も返ってこないまま九州の実家へ挨拶に行く日を迎えた。

羽田空港から飛行機に乗り、
降りてまた電車で1時間半ほどかけて向かう彼の実家は、
世界の車窓からよろしく風景を楽しむこともできないほど
山山山森ときどき家また森山山林山(文字化けではない)、といった具合で
シティガールの私にはなかなかパンチのある里山風景をおみまいしてくれた。

しかしまだ当時の私には
「ここが彼が育った街(山?)なのね〜」
なんて愛しの彼の生まれ故郷を訪れる喜びにひたる可愛げは持ち合わせていた。

実家の最寄りの駅まで義母が迎えに来てくれ、
私はそこで初めて義母と会った。
とても優しそうな柔らかい雰囲気で私のことをあたたかく迎えてくれた。「この人は履歴書出せとか言わなさそうだ…」と脳裏をかすめたが
約15分後には実家に鎮座する義祖母こと「履歴書出せマン」と対峙するのだった。

初めて会った時の義祖母は冒頭でも記した通り、
小柄ではあるが凛とした華やかな人だった。
82歳でこんなに若々しくシャキッとした人はそれまで見たことがなかった。その独特のメイクや、
黒地にきらびやかな花柄のレオナールのお衣装からして、
もしかしてもう魔法とか使える領域の人なんじゃ…?とすら思った。

私はその義祖母のオーラに圧倒されながら初めての義実家でガチガチに緊張し、魔女の宅急便でぬいぐるみの代わりに知らない家に放置された時のジジのように変な汗をかいていた。

私が緊張していたせいで怖く見えたのか、
小娘になめられまいと義祖母が怖く見せていたのか真相はわからないが、
義祖母も義母もあまり口数が多い印象ではなかった。

私は営業で培った得意のよそ行きの顔でしとやかに挨拶をし
自分の名を名乗った。

よく見ると義祖母は私の履歴書を手元に用意していた。

(でたな履歴書出せマン...!)

二言三言交わすと義祖母は私に

「読書が趣味って書いてあるけど最近読んだ本はなに?」
と、刑事が容疑者にアリバイを確認するような口調で尋ねた。

私は
「浅田次郎の輪違屋糸里を今読んでいる途中です。」
と答えた。
本のチョイスが我ながら渋い。
ちなみに10年以上経つが、いまだに「読んでいる途中」だ。

ついでに最近見た映画はウォーリーですウォーリーって言ってもあの楳図かずおみたいな服のウォーリーじゃないですよ?その映画行くとき彼は、あ、お宅のお孫さんは黒々した長い鼻毛が左の鼻の穴から盛大に出ていてあげく映画開始15分で爆睡するわいびきかくわでもーとっても楽しかったんですぅ!
というのは黙っておいた。

そもそも履歴書に矛盾がないか、
きちんと応えられるかが重要であって
私の趣味の中身にはさほど興味は無いようだった。

さらに手元の履歴書に視線を落としながら義祖母は言った。

「◯◯大学…?ふーん…聞いたことないわ。」

ちょちょちょ!
東京六大学やぞ!
あんたの大好きなジャイアンツにも卒業生いるよ!(たぶん)
と心の中で突っ込んだがここは敵陣(?)、相手は九州の方、
きっと知らないのかもしれない、
私の出身校が全国区の知名度なんて思い上がりもいいところさ…
あははと愛想笑いで済ませた。

そしてなんともぎこちない雑談が続き、
彼の気の利かないトーク回しもあったが、
意外にもその程度で履歴書出せマンの尋問は終わり、
「今日はホテルをとってあるからそこまで送って行くよ」
と義母が助け舟を出してくれた。

そして別れぎわ、
義祖母は私に向かってこう言った。

「次はうちに泊まって行きなさいね。
 次に来る時はもうお客さんじゃないんだから。」

どうやら私は義祖母に認めてもらえたようだった。




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