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43クラブ

(画像の出典: Illust-ac)


27クラブとは

27クラブって知ってるか~い?
27クラブ、それは悪魔との契約。
名声と引き換えに、27歳で死ぬという。
カート・コバーンもジミヘンも、ジャニス・ジョプリンも、最近だとエイミー・ワインハウスもメンバーなんだってさ。てか、メンバーになっちまったってさ。
カートの母親曰く、「今、彼は去ってしまって、あの愚かなクラブに加わってしまった。私はあの愚かなクラブに参加しないように彼に言っていたのに」(Wikiより引用)。

Wiki


小学校3~4年の時の担任、K先生

筆者が小学校2年生から3年生に進級する時、担任が替わった。
クラス替えはなく、生徒は同じ顔ぶれで担任だけが替わった。
2年生までの担任はS先生という男の先生だったが、3年生からはK先生という中年の女性の先生だった。
3年生になる最初の始業式の日の朝、まずは今まで通りの2年4組の教室にS先生がやってきて、こう挨拶した。
「これからはK先生が受け持ちになる。K先生はこの前、スキーで脚の骨を折って、やっと治ってきたところだ。まだ足元がおぼつかないから、みんな迷惑かけないように」
そう言って出ていくと、入れ違いにK先生がやって来た。
K先生に率いられて私達も、慣れ親しんだ2年の教室を後にし、3年4組の教室へ移動した。

その時はやはり足を引きずって歩いていらしたが(まだギブスもつけていたかも)、3年生も半年も過ぎる頃─秋になる頃には、もうすっかり普通に戻っていた。体育の授業も普通にしていた。
K先生は翌年も、4年生になっても私達の担任だった。4年になる時もクラス替えはなくみんな一緒に持ち上がりだった。5年生になる時にやっとクラス替えがあり、私の担任はK先生ではなくなるのだが…。
3年4組が持ち上がったので4年4組だ。
K先生も一つ年をとって、44歳になった。
うちらの世代は、団塊世代ほどではないにしてもまだ子供の数が多く、ひとクラス45人前後は普通だった。この時のクラスも、44人いた。
うちらは、「4年4組44人、先生44歳だね」と言って、コドモっぽく面白がっていたものだ。

最初に就職した会社の上司、H氏

バブル真っ盛りの頃の会社の飲み会。
と書くと、筆者はバブル世代かと思われそうだけど、実際はその直前。むしろ円高不況で就職難だった。特に女子は。雇用機会均等法なんてのが始まった頃。
話を戻す。会社の飲み会と言えば居酒屋を団体で予約してというのが普通だけど、その時だけは少し違っていた。レンタルのパーティールーム?のようなのを借りて、そこが提供するのはハコ(空間)だけ。飲食物はケータリング、BGMは好きなのを参加者が持ち寄る。

確かに内装はおしゃれだった。黒を基調とした、おしゃれなバーのカウンターのないやつ、みたいな感じ。これは会社の連中とじゃなくて恋人と来たいと思わせられる。
幹事が用意したBGMも二回りぐらいしたので、誰か、聴きたいの持ってきたのいないかー、ということになった。
同期入社の奴が「これ。クラシックなんだけど」とテープ(そう、カセットテープなんだよ当時は)を差し出す。ああそれでいいや。みんなの気分としては、歌の入っていないものなら何でもいいやという気持ちだった。

しかしかけてみると確かにまあ、クラシックなんだけど、何というか、曲名で言うと例えば「トランペット吹きの休日」とか? ああいう感じの。
「何だよこれ。小学校の運動会じゃーねーか」と上司のHさんが騒ぎ出す。
言われてみると確かに、小学生が元気に運動会やってる姿がリアルに目に浮かぶという意味で臨場感溢れる素晴らしい曲だった。素晴らし過ぎて全員、吹いた。おしゃれな空間にはシュール過ぎた。

後日、Hさんはまさにその「小学校の運動会」でひどい目に遭うことになる。
最近どーもHさんを見かけないなー、クライアント先に常駐してんのかなーと思っていたが、もう飲み会の時のメンバーのプロジェクトは終わったし、特に気にせずいた。そしたら先の、例の運動会BGMを持ってきた同期から、Hさんが入院していることを聞かされた。

お子さん(小学生)の運動会で玉乗りをしていて脚を骨折していたと。
どういう状況でそうなったか、詳しくは聞いていないのでわからないが、見かけなくなった頃からなので入院期間は1か月ぐらいに及んだかと思う。
小学校の運動会をナメてはいけないという教訓……なのかよ。

筆者の場合

43歳のある日、会社の帰りにスーパーに寄って食料品を買って出る時、スーパーの前ですべって転んだ。ちょうど雨上がりでスーパーの前に水たまりがあったような気もしたが、よく覚えていない。すべりやすい靴を履いていたのは確かだ。リサイクルショップで買った、いい加減底のすり減ったやつ。
大人になっても筆者はときどき転ぶが、この時のは他の転んだ時のより格段に痛かった。なかなか起き上がれないでいると通りすがりの数人がかけ寄ってきた。「大丈夫ですか?」と聞いてきてくれたけど、ああ大丈夫です、大丈夫ですと言って立ち上がり歩き出すと、皆さん退散していった。
翌日、まだ残る痛みを引きずって病院へ行くと、大腿骨頸部骨折と言われた。
レントゲンで見ると、脚の骨が骨盤に組み込まれる所に亀裂の線が入っている。骨が二つに分かれたわけではなく、ひびが入っただけでも「骨折」と呼ぶのだとこの時知った。「すぐ総合病院へ行きなさい。紹介状書くから」
「あの~先生、月曜から仕事へ行かないと」
「仕事? とんでもない。アンタ、自分に何が起きたかわかってないだろ」
てんで、それから約1か月入院。

「ワタシってば、骨が弱いのかしらん。骨粗鬆症は女性に多いというし」と思い、退院後しばらくして保健所でやってた骨密度検査に行ってみたら、まったくの正常だった。
何だったのだろうあれは。

43歳の時に骨折した。小学校の時のK先生も、44歳になる前の年に骨折したのだから43歳だったのではないか。前の会社のHさんも、玉乗りで骨折した時ちょうどそのぐらいの年頃だったかと思う。
27歳で死ぬ「27クラブ」があるなら、43歳で骨折する「43クラブ」が……
ねーよ!!んなもん、と思いたいけど。

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