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さすがの東京クォリティ

その日その時間に、都バスのそのバス停からバスに乗ったのは4人で、私はそのうちの3番目だった。
その日は雨だった。そのせいなのか、待っている人は皆、バス停のポール側、つまり車道沿いには並ばず、バス停に面した店舗の庇(ひさし)の中に入って、雨やどりするような形で待っていた。
店舗は何屋なのか不明。シャッターが降りていて、たまたまその日は定休日なのか、それとももう廃業していて閉めっぱなしなのかも不明だった。

1番最初に来たのは、20代前半くらいの若いおにいさんだった。庇の中の端の方、バス停に一番近い場所に立った。

2番目に来たのは、20代後半~30代前半くらいのおねいさんだった。庇の中のもう一方の端、つまりおにいさんとは反対側に立った。結果として二人の間にはかなり距離がある。詳しく言うと1間半~2間ぐらいか、店舗の間口いっぱいいっぱいというところだ。
彼女は、おにいさんのすぐ後ろに詰めて並ぶようなことはしなかった。それもそうか。もし詰めていたら、顔見知りでもないのに体が近すぎて「何なんだこの人は」と怪しまれただろう。

で、彼女の後に私が来た。で、どこに並んだか。
本来なら2番目の人の後ろに並ぶのが筋なんだろう。列を少し外れた場所にいただけで容赦なく私を突き飛ばした函館の連中ならきっとそれを厳守するんでしょうよw
でも彼女よりもバス停から遠い位置ということは、店舗の庇を外れてしまう。雨だってのに。しかも1番目の彼と2番目の彼女の間にはかなりの距離がある。その距離の間に入ってもバチはあたるめえと判断し、おにいさんの隣に立った。バス停からは2番目に近い位置である。ここは函館じゃないんだしどつかれはしないという信頼感が、そう、見ず知らずの人に対してだけど、なぜかそんな信頼感を持つことができた。

私のあとに来たのは、かなりのおじいさんだった。耳に補聴器のようなものをつけていた。補聴器? いやあれはもしかすると、イヤホンでなんか聴いていただけだったかも知れない。
私と、2番目のおねいさんの間にはまだ1人分程度の距離がある。おじいさんはその間に立った。バス停からは3番目に近い。結局、2番目に早く来た人がバス停から1番遠い位置に並ぶ形になった。

さてバスが来た。皆、バスに乗るためにバス停に近づいていき、ひとつの列をなした。
その並び順がまさに、きちんと「先に着いた順番」になっていたのだ!

2番目のおねいさんは、おにいさんと私の間に入った。私はそれを、極めて正しいことだと思い、納得して彼女に場所を空けた。
おじいさんも、きちんと私の後ろに並んだ。俺は老人だから優先しろという態度はまったくなかった。皆、自分より先に誰がいたかをしっかり覚えて行動していた。

これですよ。これこれ。これこそさすがの東京クォリティ。
めっちゃ、感動した。

でも話はここで終わらない。東京はいつもどこでも必ずこうとは限らないのだ。残念ながら。
豊洲4丁目のバス停──ビバホームの横のとこの、あそこから木場方向へ向かうバスに乗った時はオバチャンに割り込まれた。
「わるいけど先に行かしてネ」とか言い訳しながらオバチャンは私の前に乗り込んでいった。
女子高生の頃の、函館で突き飛ばされた直後の私なら意地でもオバチャンとやり合うところだけど、その時はただ唖然として見ているだけだった。
察するに、オバチャンの知人が先に乗っていたので、その人のところへ行こうとしていた様子。一瞬むかついたが、相手がいかにも下町のオバチャン然としていたので、まあオバチャンだからなーと思うしかなかった。

以前のnoteで函館の人間の陰険さを書いたけど(関連記事参照)、函館以外の私の住んだことがない田舎も(住んだことのある田舎は陰険じゃなかった)、列から少しでも外れていればどつき飛ばすのかどうかは知らない。
例えばだけど、住んだことないけど大阪はどうだろう。東京みたいに行儀よく並ばないとよく聞くが。
割り込む奴も多いけど、だったらそれ故、割り込まれることも想定内で、わりと寛容というか諦めてる部分もあるんじゃないだろうか。


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