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それと気付かず認知療法をやっていた

精神科に通い始めた4年前はそんな余裕なくて、どの治療方法も取り組めなかった。
ただただ辛くて薬を続けるだけだったけど、

あの頃くらいから、大勢に少しずつたくさん頼らせてもらう生き方にオッケー出せて、
最近ではわたしもそれなりに頼ってもらえることもあったりして

その双方向のやりとりで得られる喜びとか安心感で、認知療法いつの間にかやり始めたっぽい
自覚はなかったけど、今日精神科の先生に近況報告したら、それは認知療法を自分でやってるのだと言われ、あ、ほんまや笑 てなった。

てことは、これは良くなる可能性が高い
そこに私の気持ちがあるなら間違いないぞ!

今朝、「私は迷ってたんや」て、ふと思って
何に? と見つめていったら、
根底で、死ぬか生きるか迷いながらここまで来たと気付いた。

「こんな人生なら死んだ方がマシ」と思っても死ねず、病気で表現してた気がする

コロナ入院中、回復に向いたとき「生かされた。生きるんやな。」とわかったけども、まだ名残が残ってた感じや。

私は自分の意思では死ねなかったし、生きてるなら、生きようよと改めて思い、

わたしの、生きるって何かなと

いまこの瞬間をたのしく過ごす事かなと思った

めんどうなことは日々あるし、しんどいこともある、腹立つとき、悲しいときも
感じて、意図的に喜劇的に楽しくすごすのが、わたしの、生きる かなーと。

ポイントは2つあって

・迷ってた頃の苦しい思考回路は変えず全部据え置き
プラス、新しい町を作る感覚で、別枠で楽しんでみる

・楽しみに思ってたことが実現しなくても、そこはどっちでもよくて
いま楽しい気持ちでいれればそれでいい

すると、結構スルスル楽しんでられる感じや。

わたしの脳みそが、作り続けるとか増やし続けるのが好きで
やめる、変える、消す、やらない
等の思考はストレスなので、
この手法で「当たり」っぽい

今までの自分を、私は全肯定していたいから、全残しで、
新しくクリエイティブや。

まだ実験段階やけど、人生自体のストレスが減れば音楽活動にも影響があると思うので、

なんか、いろいろ、たのしみに暮らしています。

いつも有難うございます^o^

みなさまのおかげです!

島崎智子

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