大人の言葉が子供達を追い詰めた話

子供の頃、他の子が嫌がっているのにも関わらず、変なあだ名で呼び続ける子がいて困っていた。

皆で集まり、どうして嫌がっているのにその呼び名で呼ぶのかと先生が聞いたところ、要約すると「自分が呼ぶ名前には深い意味はなく、相手を馬鹿にするものではない。自分は呼び名や名前にこだわりがない」とのことだった。

「自分の名前をとても大切に思っている者もいる」
「相手が不快だと分かっている呼び方を続けるのはよくない」

と、先生からも我々からも何度も訴えかけたが、一時控えるもののすぐ繰り返してしまう。
この状態を打開するべく、我々は実力行使に出る事となった。

本人にあだ名で呼びたいが何と呼んだらいいかと尋ねると何でも良いとの事だったので、
謹んで「ポンポコちん太郎」と呼ばせて頂く事にした。

ポンポコちん太郎が良いプレーを決めれば、

「ナイス!ポンポコちん太郎!」

と、褒め、ボールをパスする際には

「パス!ポンポコちん太郎」
「ポンパスちん太郎!」
「ポンパス!」

と、必ず発する言葉にポンポコちん太郎の成分を含めた。ポンポコちん太郎は次第に口数が減っていった。
しかし、我々はポンポコちん太郎の語呂の良さから、積極的に彼に関わった。

ポンポコちん太郎は長いとのことで、省略して呼ぶ者が現れ始めた頃、ポンポコちん太郎は突如地面にしゃがみ泣き出した。
あまりに急な出来事だった為、これには周りも驚き声をかけたが、皆すっかりポンポコちん太郎が口癖になってしまい

「どうした!?ポンちん!?」

などと、心配したが故にポンちんにトドメを刺す形となってしまった。
優しさという名の刃がポンポコちん太郎を切り裂いたのだ。

何でも良いとは言ったがあんまりではないか……と泣くポンポコちん太郎に、我々も確かに……と思った。
先生が駆けつけ

「呼び名が何でも良いと言っていた君でさえ、ポンポコちん太郎と呼ばれてこんな気持ちになるのだから、嫌がっていた人がどんな気持ちか分かるよね?」

と、説きポンポコちん太郎は涙を流しながら小さく頷いた。

感動的であるが、人格者の大人から「ポンポコちん太郎」というパワーワードが出た事が妙にツボに入り、我々は窮地を迎えた。
ここで笑ってしまえば、せっかく解決しかけているものが崩れてしまう。

「みんなも分かってもらう為にポンポコちん太郎と呼んだんだよね?」

尚も先生は無自覚な攻撃の手を緩めない。
自らが生み出したポンポコちん太郎にまさかこれ程までに苦しめられる事になろうとは誰が予想出来ただろうか。
隣のカネヤンは地面の草をおもむろに毟り何とか自我を保っていた。

「皆んなも拓也くんの事をポンポコちん太郎と呼ぶのはやめましょう」

草を毟りきり限界を迎えたカネヤンは再び植苗する事により、すんでのところで持ち堪えていた。
カネヤンのこの生産性のない農法すらも周辺の限界を煽り、我々は互いを殴り合い何とか耐えた。
もしここで吹き出し、話が長引き追い討ちをかけられれば、全員撃沈していただろう。

カネヤンは円状に草の土壌を築き、ポンポコちん太郎の地獄のような時間はこれで幕を閉じた……。

しかし、ポンポコちん太郎改め、拓也くんの好きな女の子は豪快な性格な故、誰よりも容赦なくその名を連呼していた為に

「ポンち……拓也くん、ボールパスして」

と、その後もポンポコちん太郎が脳内でチラつき暫く後を引いていた。
我々は彼がこの子を好きな事を知っていたので頑張れと心の中で応援した。

たった一日の事だというのに、ポンポコちん太郎は皆の脳内にこびりついてしまった。
某たぬき映画を観ると、どんなたぬきよりもポンポコちん太郎が脳内で暴れ出す。


因みに本編とは関係ないが
「タグに書いてあったけど、君が書いてる物はエッセイなんてお洒落な響きを謳っていいのかい?」
と、訊かれ確かにと思い、それと同時に何と呼べばよいか自分にも分からない事に気がついた。

タグもそれっぽいものを選んで付けているので深い意味はないが、ここらで一度考えてみる事も悪くはないだろう。

そう思い、これらは何に当たるのかと逆に訊ねたところ

「珍遊記じゃない?」

と返答され、何とも言えぬ感情を味わった。


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