電車で突然怒鳴りだした男性に絡まれて危ない目にあった話

電車に乗っていると近くのオヤジが一人で喋り声を荒げ始めた。

昼間から気合いの入ったオヤジだなと思っていると、オヤジは反対側を向いていたというのに突如ノールックから振り向き様にこちらをロックオンした。

「お前もそう思うよな!?」

などと、果てしなく賛同しづらい内容と焼酎を片手に同意を求めてきた。他にも数名いるというのに、何故私を選んだのだろうか。
村の生贄の次くらいに嫌な選抜に選ばれてしまった。
さりげなく話題を逸らそうと試みたが、オヤジの焼酎から酒のツマミが連想された結果

「普段は枝豆、特別な日にはそら豆を頂きます」

と、訳の分からぬ宣言をし、言葉のキャッチボールどころか砲丸投げと化した。
車両にオヤジとはまた別の戦慄が走った。
その時の乗客達の目は、私の姉が人生で初めて岡本太郎の作品に触れた時の目に似ていた。

何とか乗り切ったかのように思われたが、オヤジはその後も語りかけてきたので事態はより深刻なものとなった。

「あの馬鹿野郎、どうしてやろうか!」
「そら豆は茹でて頂きます」
「痛い目にあえばいいんだ、そうだろ?」
「そら豆は食べ過ぎると胃痛を招きます」

と、互いに一方的に話し、その会話は交わる事はなかった。
私はあまりにも「そら豆は」と連呼した為、矢沢永吉が自分の事を苗字で呼ぶように、私の一人称が「そら豆」になった感覚に陥った。

何故オヤジは私に己のポリシーを語り、私はオヤジにそら豆についてを語っているのだろうか。
己の不器用さが祟り、電車内に意思の疎通の難しそうな人間が二人となってしまった。
車両に妙な空気が流れた。
小さめの太陽の塔が電車に乗り込んで来たらこれと似た雰囲気となる事だろう。
乗客達は先程から皆スマホを見つめながら、口を固く結び、肩を揺らしている。
早く帰ってそら豆を頂きたい、今日は特別なツマミにしたい……と、私は現実逃避をした。

オヤジはこちらの返事の内容はどうでも良いらしく、良いタイミングで口から音を発すれば満足しているようであった。
しかしながら、「あの馬鹿野郎が」と繰り返していたフレーズが、いつしか「あの豆粒野郎が」へと変貌を遂げていた為、オヤジの潜在意識に私のそら豆が影響を及ぼしたようであった。
初めてこのオヤジと心の奥底で通じ合った事に感動を覚えた。

乗客達の振動は増し、限界を迎えようとしていた。
ここで誰かが吹き出せば、オヤジの怒りが豆から人間へと移行してしまうかもしれない。
しかし、オヤジの潜在そら豆はその暴走を止めることはなかった。
オヤジが頻繁に豆粒野郎とやらを登場させる為、車両に危機が訪れている。
豆粒野郎などという素性の知れぬ存在が、このような危機をもたらすとは誰も夢にも思わなかった事だろう。

私はせめて真面目な返事をしようと頭の中の引き出しを開けた。
しかし、出てきたのは「この時期はスーパーにそら豆は売っていないかもしれない」という絶望する閃きだけであった。
こう言う時の為に日頃から教養を高めておく事は必要である。
オヤジが話しかけてきたタイミングで私は
「そら豆 旬 いつ」
と、オヤジの返事に擬態しSiriに検索をかけた。
しかしオヤジの「そう思うだろ!?」の声を拾ってしまったのか

「聞き取れませんでした。もう一度言って頂けますか」

などと、Siriがオヤジを煽り始めた。

乗客は数名限界の先へと突入した。

【追記】

オヤジは次の駅で降りた。
一瞬とはいえ潜在意識で通じ合ったオヤジの去っていく背中を眺めると感慨深いものがあった。
しかし、周りの意識はオヤジを失った事によりこちらに向けられていた。
私は降りる駅ではなかったが、居た堪れなさから共に電車を降りた。

あの時の乗客達にオヤジの仲間だと思われているかもしれない。
因みにそら豆は売っていなかった。

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