猫の診察で泣きそうになった話【本編】
猫を初めての病院へ連れて行く事になった。
病院が違えば、色々とルールも違うものらしい。
前の病院は気が散らないよう必要最低限しか話しかけてはいけない雰囲気であったが、こちらの病院では先生が猫を診察している間、褒めてくださいと言うので、変わった病院だなと思いつつも言われた通りにする事にした。
「非常に聡明な顔立ちで…」
「髪型も綺麗に整っています…」
「猫に対しても非常に紳士的で…」
などと、しどろもどろ褒めていると
「……僕じゃなくて、猫ちゃんの方を……」
と先生が震える声で訴えてきたので、ようやく己の間違いに気がついた。
しかも猫を驚かせないよう静かにゆっくりとした口調で誉めていた為、戦場カメラマンの渡部陽一のような口ぶりとなっていた。
気を遣ったが故に何か心に迫る雰囲気が出てしまった。
後の会話で判明する事だが、この時すでに看護師は限界を迎えていたという。
己の間違いは凄まじく恥ずかしいが、そんな事よりも診察を誰よりも大人しく懸命に受けている猫を誉め讃えるべきであると思い、私は気を持ち直して猫に語りかけた。
「非常に聡明な顔立ちで…」
「毛並みも非常に整っていています。」
「人間にも非常に紳士的で……」
私がアドリブが効かない人間である為に、先程の先生への賛辞をコピーペーストしたような褒め言葉となってしまった。
おそらく先生も看護師も「同じじゃねぇか」と腹の中で思った事に違いない。
この不器用さでは戦場で真っ先にカメラをかち割られる事だろう。
その空間にいる看護師達は全員視線を下に落とし、一向に私の顔を見ようとはしなかった。
猫すらも下を向いている。
誰とも目の合わない孤独な空間であった。
「目を合わせたら全てが終わる……」とでもいうような強い意志を感じた。
そんな最中、先生が
「あの、もっと猫ちゃんに分かりやすいように短い言葉で……」
と、言うので
「良いヒゲです」
と短い単語で褒めたが、よく考えれば先生も髭を生やしているので、もはやどちらを褒めているのかよくわからない状態となった。
全員がどことなく何かに耐えながら、小刻みに震えつつ様々な感情を抑え込んでいる。
この様に微振動する人間達に囲まれ、猫的にもさぞかしとんでもない所に来てしまったと思った事だろう。
UFOに攫われた後、小刻みに震える宇宙人に囲まれるようなものである。せめて攫った側の宇宙人は平常心で居てもらいたいと思うだろう。
非常に辛い診察であった。
診察中の猫、突然渡部陽一化した飼い主、それに執拗に褒め称えられる先生、そしてそれらを直視してしまい逃げ場のない看護師達。
猫の禿げの調子を見てもらうだけであったのに、何故こんな苦行の様な事になってしまったのだろうか。
私たちは不幸なすれ違いの末に運命の悪戯という名の荒波に揉まれてしまったのだ。
先生は何故か若干泣きそうな顔をしていた。
幸い猫の禿げに深刻な問題はなかった。
診察が終わり、受付で先ほどの看護師が
「元に戻るまで毛の抜けたところに塗ってあげてください。ちゃんと生えてきますので……」
というような説明をしながら薬を出すと、待合室にいた常連らしきスキンヘッドのオヤジが
「おれも塗ったら元に戻るかなあ」
などと頭を摩りながら割と大きな声で言うので、看護師はもうだめであった。
先生と看護師達はこの後もこのオヤジによって恐らく苦労することであろう。
因みに、ここの病院は「猫を掲げる悪政に苦しむ市民の像」の病院である。
今回のこれがこの病院とのファーストセッションであった。
そして、私は猫の身に何かがある度に、この病院にお世話になった。
余計な迷惑を掛けてはいけないと大人しくしているが、大人しくしていても何か先生の心に触れる物があるらしく度々泣きそうな顔をしているので、もう猫共々に自由に振る舞っている。
「その方が違和感もないのでお願いします」
との事なので、大人しくしようとしていると違和感が出るらしい。
気をつけねばならない。
そして、大事な事ですが猫は元気です。
因みにnoteの画面で同じタイトルが2つある事と思いますが、あれはnoteの「猫のいるしあわせ」に投稿したものなので、内容は同じです。紛らわしくてすみません。
猫や犬など種族が違うものと一緒に暮らす上では必ず定期検診などで動物病院へ足を運ぶ事になりますが、それすらも一緒ならば思い出になるという事が伝われば良いなと思います。
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