バイトで怒鳴れ続けたら情緒不安定になった話

昔、バイト先で自分のやり方を他の者にも強要する女の人がいた。

ある日、ボールプール用のアンパンマンの顔の形をしているプラスチックボールを消毒していると、彼女は消毒なんて余計な事はせず太陽に当てろと怒り出した。

彼女が何か言う事はないのかと訊いてきたので、アンパンマンの顔を持って声を荒げられる事など、顔交換時のバタコさんくらいなものだと思っていたので非常に感慨深かった旨を伝えると、彼女は突然下を向き無言になった。

顔を覗くと怒りながらも口元が緩んでいた。どうやら怒りの沸点も低いが、ツボも非常に浅いらしい。

間を取ってどちらも行う事にしたが、ふと手に取ったボールの感触に違和感を覚えた。
確認すると、アンパンマンは目元が凹み邪悪な笑みを浮かべていた。
歌詞の「愛と勇気」の部分を「金と権力」に置き換えると非常にしっくりくる面構えとなっている。

何をもたもたしているんだと、彼女がツカツカと近づいてきたので、黙って印籠を掲げるように闇堕ちしたアンパンマンを見せると、
彼女は「ボッ!?」と奇声を発し、歩いてきた勢いをそのままにターンを決め、全力で顔を背けた。
呼吸を整えた後、彼女が施設のものなのに何故そんな顔になったのだと訊いてきたので
「中の餡子が悪かったんですかね」
と、自分なりに闇落ちした原因を考察したが、彼女は途中で人間の言語を失い、初代ポケモンの鳴き声のような声を発して苦しみだしたので殆ど聞いてもらえなかった。

人相を直そうと別の所を押すと、今度は眉間の掘りが上に上がり、ソウルミュージックが非常に似合う、穏やかで逞しい顔つきとなった。
気が優しくて力持ち、ブラザーの為には一肌脱ぐ事も厭わない、そんな風貌であった。
もうこれでいいか……と、そのまま消毒し太陽に照らす事にした。

日差しの中で微笑む彼は、太陽に愛された国で生まれ育ったに違いない。穏やかな笑顔をこちらに向けている。
あの場所だけ異国の風を感じますね……と、言葉を漏らすと、彼女は床にうずくまり再び苦しみ始めた。

そのとき強い風が吹き、軽いボール達は一斉に彼女と私の元へ転がってきた。
その様は、久々に村に帰ってきたブラザーに駆け寄り、再会を喜ぶ子供達のようであった。
その瞬間、彼女はついに限界を迎えた。
私は消毒をやり直さないといけない事実に軽く絶望した。
ブラザー達だけが足元で楽しげに転がっている。

しばらくすると、職員が出勤してきた。
職員はトイレに行こうとする私を呼び止め

「なんか、彼女凄く疲れてるけど、どうしたの?何かあった?」

と、心配し事情を訊いてきた。
先程のブラザーの件を話すと、職員も表情が乱れた。
中でも村に帰ってきた感動のシーンは職員の感情を大いに揺さぶった。

途中、怒りやすい彼女が乗り込んでくるかと思ったが、様子を伺うと氷嚢を額に当て、ぐったりとしていた。

事務室へ戻ると、丁度彼女は職員に二度と同じシフトにしないでくれと懇願していた。
そんなに嫌がらなくてもいいではないかと、そっとブラザーを手に持つと、彼女は何故かしゃっくりを起こしながら苦しみ始め、私は職員に「やめなさい」と注意を受けた。
職員の声も震えていた。

彼女が辞める日(原因は私ではない)
「本当に貴方腹立つけど、貴方はそれでいいわよ、もう。」
と言いながら去っていった。
彼女のツボに入る以外の笑顔を久々に見た気がした。

【おまけ】
因みに、皆が彼女と同じ時間帯にシフトを入れない為、彼女と私のシフトはがっつり被った。

シフトが組まれる前に職員に、彼女と組む事が多くなるが、大丈夫かと聞かれた。
私は大丈夫であるが果たして彼女はどうか……と、むしろこちらが心配をした。
案の定、彼女は職員に「殺す気か」と直訴したらしい。
命まで掛かっていたとは驚きである。

最初は情緒の狂った彼女ばかりを見る羽目になったが、体力が切れたのか次第に怒らなくなった。
ある日、自分が皆に嫌われている事は知っていると漏らした彼女に
「自分は、情緒が狂ってて面白くて好きですよ」
と伝えると、お前には好かれても仕方がないと言われた。
無い物ねだりである。  


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