不審者に手を掴まれた話

子供の頃、道を歩いていたら知らない人に急に強く手を引っ張られた。
これが初の事件に触れた瞬間だった。

私は混乱しつつも防犯教室の事を思い出した。

「大きな声を出すこと、とにかく動く事」

その二つが脳裏をよぎった瞬間、何故か反射的に今まで親に怒られてもやり続けていたフクロテナガザルの真似が出た。

知らない方はすぐ下に動画を貼っておくので良かったら10秒程観てからこの先を読んで頂きたい。
「うるせぇ、面倒だから観てられっか!」という方の為に簡単に説明するとおっさんの叫び声のような鳴き声をする猿だ。

数秒止まった後に、私は

「あ゛ーーーーーー!!」

と、叫んでいた。

いつもの癖で「あ゛ーーーー!!」の後に「んぽんぽんぽ」もついでに出てしまい、正直「んぽんぽんぽ」はいらなかったと思うが、急におっさんの叫び声と奇妙な鳴き声を発しだした子供に男は酷く衝撃を受けた顔をしていた。
まるで被害者の顔である。

更に記憶を巡らせると「火事だと叫ぶ」が私の頭の引き出しから出てきた。
私の理想の中では綺麗に

「火事だーー!!」

と格好良く叫んでいたが実際は

「かびばーーー!!」

と、思い切り噛んでしまった。

頭の引き出しにしまっている間に奥に挟まりぐちゃぐちゃになってしまったようだ。

「あ゛ーーーーーーー!!
 んぽんぽんぽ……かびばーーー!!」

という鳴き声の情緒の狂った生命体がこの星に生まれ落ちてしまった。

しかも、この真似をする時は測らずとも鼻と口の間が伸びる為、今だけは確実に人間よりも妖怪に近いといえよう。

パニックとは恐ろしいものである。

今考えると「んぽんぽんぽ」の静けさからの再びの発狂具合いがなかなか不気味であったに違いない。

相手もうっかり縄張りに足を踏み入れてしまい威嚇された時の気持ちになった事だろう。

森の中ならとっくにマタギに撃たれている。

男は恐怖からか、この時点で既に牛乳滴る生乾きの雑巾を触ってしまった時のように脊髄反射で手を離していた。

しかし、混乱している私はこれでは「火事」が伝わらないと思い、情報を付け足すべく「燃えている」と言おうとしたが

「燃えてきたーーー!!」

と、己の高ぶりを抑えられぬ人のようになってしまった。

江戸ならば間違いなく退治されていた事だろう。その辺に野放しにするにはあまりに不安すぎる。

男は心底恐ろしいものを見た顔をして後ずさりした後、去っていった。
背を向けたら襲われると思ったのかもしれない。

野生の猿に相対した時の対処方と同じなので、合っているといえば合っているが、果たしてフクロテナガザルと認識してくれたかは定かではない。

ふと、冷静に男が去った後を見ると、三百円程しか入ってない私の財布が落ちていた。

まさか……あの男はこれを教えようとして……。

なんと言う事だ、不審者は私だったのだ……と血の気が引いた。

ごんぎつねの兵十の気持ちと酷似している。

真相は分からないが、もしかしたら罪のない者を全力で威嚇してしまったかもしれない……。

とりかえしの付かない事態に、兵十の気持ちが少し分かった気がする。

しかし、やはり兵十も威嚇射撃に留めるべきであったのではないだろうか。

私は男を撃っていないので、同一化されるのはいただけないと無駄に心の中で差別化を図り平静を保った。

親切にしては乱暴な掴み方であったが、万が一に不器用な親切な方だったら申し訳ない。

もし、子供がフクロテナガザルの真似をしていたら、どうか今後に役立つ可能性かあるので、暖かく見守ってやってほしい。

因みに、久々に洗面所で「んぽんぽんぽ……」をやったところ腕が落ちていた。

これはいけないと必死に練習していたら、母と猫が不審な眼差しを向け洗面所に現れた。
近くで聴いて記憶が蘇ったのか

「あ゛ーーーー!!はやめなさいよ」

と、注意してゾロゾロと去って行った。

今必死に感覚を取り戻している最中である。



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