思いがけない事が近所でのトラブルに発展し追い詰められた話

地域イベントに向けて観光地によくある顔をはめて写真を撮る看板を造ることになった。夕方、道に面しているガレージで板に下地の色を塗る前に穴の大きさの点検を頼まれた。

子供達の安全を考慮し、小さめの穴にするはずが、微妙に大きい楕円の穴が出来ていた。
そこに顔を入れた事が悲劇の始まりであった。

顔が抜けなくなってしまった。私の風貌は即席のぬりかべと化した。
更に、追い討ちをかけるかのように何者かの足音が右方向より聞こえた。
私の人間としての尊厳の危機が一歩一歩と近づいてきている。

私は手足を隠し、静かに板に擬態した。
足音の主は、隣家の大人しい男子中学生であった。彼は途中までは通り過ぎたものの私の視線を感じたのか途中突如こちらを向いた。
その瞬間、男子中学生と、人の顔の付いている不気味な板の視線が合わさってしまった。

しかし、今なら多少無理をしてでも顔を引き抜き「こんにちは」などと挨拶を交わせば、DIYに勤しむ隣の人という事で済むかもしれない。
男子中学生と目が合ったままではあるが、私は意を決し顔を引き抜こうとした。
しかし、無理に抜こうとした為、顔中の全ての肉が顔の中心に集結し、その様を見せつけるという悲劇の連鎖が起きた。

不気味な威嚇のようになってしまった。

視覚的には、今や「無表情のぬりかべ」より「何らかの悪事を働き板に封印された力士」に近い。
しかも、肉が寄った事により言葉も埋もれ、私の口からは「こんにちは」の成れの果ての
「ごんち……」
と、いう不気味な鳴き声まで発せられた。
トトロのメイちゃんがこの場に居れば、私は間違いなく
「あなた、ごんちっていうのね」
などと言われ、今後「ごんち」と呼ばれ続ける事だろう。
ただ子供の安全を守りたかっただけであるのに、今や近所の子供を威嚇する不気味な存在「ごんち」と成り果せている。

もはや「隣のDIYに勤しむ人」に持っていく事は不可能であった。
誤魔化そうとすればするほどに「となりのごんち」が加速している。
男子中学生の心情を考えると今も胸が痛む。

私は初めて彼の表情が崩れるのを目撃した。
彼は散々腹を抱えて呼吸を乱した後、どうしたのかと尋ねてきた。
本当にどうしたのだろう、自分でもよくわかない。
その時私のポケットから着信音が響いた。
取り出そうとしたがポケットが狭いうえ、板が邪魔をし難航した。
結果、iPhoneの軽快な着信音と共に、四角い身体を左右に揺らす形となり、日本に生息していないタイプの鳥の求愛の動きのようになってしまった。

男子中学生は再起不能となった。
受験勉強の合間にコンビニへ行っただけなのに、近所でこのようなトラブルに見舞われるとは思わなかった事だろう。

しかし、人は不思議なもので片方が取り乱すともう片方は冷静になるものである。
私は瀕死の中学生を尻目に、インターホンを押し、母に洗剤を持ってきてもらう事にした。
滑りを良くして取ろうと思い付いたのだ。

インターホンを押すと、母が出てきた。
母の目には、場に似合わぬ軽快な音楽をBGMに携え、表札の壁に寄りかかりやっとの事で立っている中学生と、四角いフォルムとなった変わり果てた我が子の姿が映った。
視覚から得る情報量が多すぎる。
場慣れしている母といえども数秒停止していた。

立ちすくむ3人を夕日が照らすなか、着信音だけがいつまでも鳴り響いていた。

【追記】
その後、洗剤は使わず3人がかりで私を人間に戻す作業が行われた。
呪いから人間を引き剥がすかのような光景だった事だろう。
人に戻った私の瞳に映った景色は、どこか今までとは違ったものに見えた。
顎は少し擦りむけた。

因みに、Twitterの方に書いたサブタイトルの
「まさかこんな事で追い詰められるなんて思わなかったです」
は、実際に男子中学生が漏らした言葉である。

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