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鍼灸師5年目の「到達点」を考える

 「素晴らしい酒をつくるのに、時間が必要だなんて誰が言ったんだ」と刺激的な言葉を口にしたのは「Endless West」の共同創業者でCEOのアレック・リーさんです。ウイスキーの製造・販売している企業ですが、ウイスキーに必要とされる醸造・蒸留・熟成といった金も時間もかかるプロセスを踏む代わり、高品質なウイスキーに含まれる分子のタイプや割合を正確に分析し、必要な単離化合物を可能な限り入手して混合させ作られた、いわば研究室生まれの「ラボ・ウイスキー」です。なぜ鍼灸師の私がこのウイスキーの話しをしているかと言うと、「鍼灸師を一人前に育成するためには10年かかる」という逸話が存在するためです。また、寿司職人にも一人前になるまでの道のりは長く、「飯炊き3年、握り8年」や「シャリ炊き3年、合わせ5年、握り一生」というほど職人気質な職業になるほど10年くらいを覚悟しなくてはいけません。

 しかし、果たして本当に10年もかけないと一人前になれないんでしょうか?私はそんなことないと思います。それは、偉大な先人たちが書き記してくれた書物を見れば、どのような苦難があり、鍼灸臨床と言う混沌が渦巻く中でもがき苦しんで出してくれた答えがそこにはあるからです。誰も成し遂げたことがないことをこれから始めようとしているのであれば、参照すべき文献や人物もないため、成功や失敗を繰り返しながら、試行錯誤し少しずつ成果をあげていきます。しかも、ゴールが明確に見えているわけではないので、自分がやっていることの方向性や本当に正しいのかさえも分からなくなってくるため、強い精神力が求めれます。しかし、先人たちが示してくれた道を進めばある程度、正しい方角で目指すべき到達点も分かります。したがって、鍼灸師としてのキャリアを築いていく上で達成すべき事項を押さえることが、効率よく成長を促すこととなります。その「達成すべき事項」とはなんでしょうか?


鍼灸師5年目までの流れを見てみよう

 鍼灸師5年目までの「到達点」を考えるにあたって、まずは卒後5年目までの流れを見てみましょう。

鍼灸師:1年目

上司から多くを学び吸収する

 国家試験に合格し、いよいよ鍼灸師として初めて働き始めます。最初に指導を受ける上司によってその先の鍼灸師としてのキャリアが決定づけられてしまうと言っても過言ではないほど、上司選びは重要な事項です。
 1年目は主に診療補助としての役割が与えられ、業務を行いますが、その他に医療人としての立ち振る舞いや社会人としてのマナー、さらに提携先企業との関わり方、SNSの利用方法など多岐にわたる指導を受けます。

何もできないのが当然

 鍼灸師1年目は何もできないのが当然で、国家試験の点数と鍼灸師になってからの働きぶりには相関はありません。分からないことは素直に「分かりません」と答え、実直に学んでいく姿勢こそが鍼灸師1年目では求められます。


私の鍼灸師1年目

 私は卒後、福島県立医科大学会津医療センターで研修を受けました。同センターでは初年度、研修医と同様に各診療科をローテーションします。これは鍼灸師にとっては画期的な制度で、全国でもまだここでしか行われていません。私が最初に指導を受けたのは総合内科および循環器内科を兼任している医師でした。そこでは、初診で来院する患者対応としての「医療面接」や「身体診察」、「カルテの書き方」、「諸文書の記載方法」、「医療人としての立ち振る舞い」を学びました。外来の初診を担当する機会もいただき、指導医の診察前に予診を取ったり、再診の患者さんの外来を見学することもありました。学んだことは上級医に報告し、フィードバックを受けることで質の高い学習が行えました。ここで何が言いたいのかと言うと、鍼灸師になったからといって技量の向上だけがすべてではないし、別に鍼灸師から学ばなくても良いということです。まずは「この人だ」と思える人を探すことがポイントかもしれません。


鍼灸師:2年目

当事者意識を強く持つ

 主に診療補助であった業務にも慣れ始め、場合によっては上司の監督下で施術を行うことがあります。2年目となると、上司から「一人でやってみますか?」と言われるようになってきます。こうした時に当事者意識が低い鍼灸師は、言われてから焦って準備をし始めます。そんな感じでは、いつまで経っても成長できません。つまり、あらゆる仕事を「自分ごと」と捉え、自らにとって重要なものとして主体的に取り組むことが当事者意識が高いと言えます。
 当事者意識が高いと、より良くするためにはどうすべきかと工夫し、自ら考えながら進めるはずです。また、責任感も強くなり、投げ出さず、失敗しても人のせいにせず受け止められるようにもなります。向上することも意欲的で、成長するスピードが速まります。

今後のキャリアについて考える

 鍼灸師としての働き方もイメージがついてきた頃に、3年目以降の進路について考えなくてはいけません。そのまま残ることもできますし、その他の選択肢でも構いません。将来の鍼灸師像に近づくためにはどのような環境が適しているのかを2年目から考え始めることが重要です。


私の鍼灸師2年目

 会津医療センターでの前期研修も2年目を迎え、漢方外科および鍼灸部での研修が始まりました。2年目からは病棟や鍼灸院で診療補助ではありましたが、刺鍼も行えるようになってきました。研修1年目は鍼灸に関連することは一切してこなかったので、久々に鍼を手にしました。したがって、刺鍼の方法なども最初から学び直すことができました。また、緩和ケア科のチーム医療に参加していたため、PEACEプロジェクトも講習し、病棟内で担癌患者に対しての緩和医療における鍼灸の役割を強く感じることもできました。
 2年目以降の進路に関しても、上司と相談し決定しました。私の場合は、関東で開催された学会に参加した時に運よくお声掛けいただいたご縁もありましたので、埼玉医科大学へ入職することにしました。東京大学やその他の大学病院も候補に挙がっていましたが、医療連携が確立し、症状や疾患に対する治療ストラテジーがあることも決め手のひとつとなりました。また、漢方と鍼灸を主軸にした診療体制に興味があったため、神保町十河医院を選びました。
 働き方は「次」のことを考えることも重要ですが、「生涯」とたいう俯瞰した視点で選ぶことがよく、年収などの目に見える数値で判断しないことがポイントかもしれません。年収に振り回されると正しい判断はできなくなります。「生涯年収」という考え方を身につけるようにしましょう。


鍼灸師:3年目

できませんが通用しなくなってくる

 1年目では「分かりません」で通用していたことも、3年目となると通用しなくなってきます。それは、実際に自分が外来で患者さんを担当するようになり、後輩への指導も仕事のひとつになってくるからです。それまでは、自分の成長だけを考えてればよかったですが、後輩ができ指導が始まるようになるとそういう訳にもいきません。

難しい患者さんを診る機会が増えてくる

 はじめて遭遇するような疾患を抱えた患者さんや複雑な病態から発生している症状など難しい患者さんを診る機会が増えてきます。その際は、その職場の上司に相談したりしながら解決策を見出していきますが、ただ、上司も答えを持っていることが少なくなってきます。その場合、自分で論文を検索するなどして調べて治療にあたります。

学術活動も役割が増えてくる

 学術活動においても、後輩の指導を行うことが多くなってきます。学会発表や論文作成などをするために指導する機会も出てきます。治療に難渋した患者さんの経過を抽出して、鍼灸治療が何に効果的であったかを判断し、その考察を後輩と一緒に考え指導しつつまとめ上げます。ポスターやスライド作成にも決まりがあるため、盛り込む内容以外にも指導しなくてはいけないことが数多くあります。


私の鍼灸師3年目

 埼玉医科大学では医療連携が確立されているため、例えば、神経内科または神経耳科より急性期の顔面神経麻痺の紹介や整形外科より椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症などの重度な症状を呈するような患者さんに対しても鍼灸治療を行うことができました。治療ストラテジーも明確であったため、比較的短期間で理解することができました。また、大学病院でもあるため鍼灸の適応 or 不適応なのか判断が迫られるような症例に遭遇するため、既報の有無を調べたりすることもありました。また、神保町十河医院では漢方を主軸にした診療であるため、こうした診療体制の中に鍼灸治療の役割を模索することができたこともよい経験となりました。3年目からは「責任」を伴うようなことも多くなってくるため、ストレスへの対処法を探しておくのがポイントかもしれません。


鍼灸師:4~5年目

最も経験が積める時期

 この時期は残業すらも厭わない体力があり、年齢的にも破格な報酬を求められることもないため、多くの鍼灸院が最も欲しがる人材となります。転職を最も考える時期でもあります。それと同時に選択肢の多さから「職場が合わなければ、また転職すればいい」などと安易に離転職を繰り返してしまう時期でもあります。最低でもひとつの施設に2年以上在籍することが望ましいです。

臨床家としてスキルアップを図りたい

 研究や論文執筆に割く時間をすべて臨床に充てたいなら、決断は早い方がいいです。まだまだ成長できるこの時期に鍼灸師としての将来像をもう一度見つめ直して、自分に適した環境を探すことが重要です。一方で、それまでの3年間で生じた偏りを是正するために医療機関での学び直しのため研修を希望する方もいます。つまり、この時期の過ごし方はのちのキャリアに最も影響を及ぼしやすいと私は考えています。

鍼灸院の経営について考え始める

 この時期から来院した患者さんのデータを自然と取るようになってきます。例えば、年代別来院回数や1日の来院数、鍼やお灸などの消耗品の備品代など開業思考の方は鍼灸院の経営に関わる具体的なことについて考え始める方が多いのではないでしょうか。この鍼灸院の経営に関することは、常に念頭に置いておいた方がいいです。個人的には成功している鍼灸院よりも失敗して閉院してしまった鍼灸院を分析することをオススメします。また、コンサルティングの方が出版されている本なども参考になることがたくさん記載されています。類似した本を5冊程度買えば、ある程度共通点が見つかり、今からでも着手できることをリストとして挙げておきましょう。事前準備こそが結果を左右する1番の要因です。


私の鍼灸師4〜5年目

 4年目からは大慈松浦鍼灸院での勤務も始めました。父が院長であり、師匠です。修行の意味も込めて、日当5,000円の出来高払いでフリーランスの身分として勤務させていただきました。なぜ実家の鍼灸院を選んだかと言うと、それは地域に根ざした鍼灸院で40年以上のキャリアを有する鍼灸師が父だったからです。患者さんとの距離感やその地域において鍼灸師に求められる能力、長期的な視点での経営方法など学ぶべき点が数多くありました。また、「1人治療院での立ち回り」や「次回の予約の決め方」「長期的に来院してもらうための動機づけの面接」、「口コミを呼ぶ治療の秘訣」、「経営者視点での鍼灸院の運営方法」、「繁盛するために必要なこと」、「提携先企業との関わり方」など挙げればきりがないほどの面白いことがそこにはあり、一生をかけて学ぶ価値があります。こうした鍼灸院の経営を含めた奥深さに引かれたことも相まって、地域に根ざした鍼灸師としてキャリアを築くことにしました。
 5年目からは埼玉医科大学東洋医学科ならびに同大学かわごえクリニックでの外来は辞めて研究員として活動することになりました。それは、臨床家としてのスキルアップを図りたかったからです。あとは1〜4年目までに学んだことを忠実に実践して、「臨床の型」ができるまで繰り返しやり続けました。


 さて、ここまで卒後5年目までの流れについてお話しさせていただきました。鍼灸師として効率よく成長を促すためには、文章中の太字になっている部分を押さえることが重要となってきます。それらを「型が身につく鍼灸臨床」と「1人鍼灸院の常勝経営術」と題してまた余裕があるときに解説していきたいと思います。最後に、鍼灸師5年目までの目標到達点として、がむしゃらに働きながらも、自分なりの「型」ができていることが求められます。それと同時に将来の鍼灸師像をある程度決められるとなお良いです。

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