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『抽象というものについて』アーティゾン美術館_『ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ』
短時間でいかに多くの情報を収集できるか
深さや真意などより表面的な数字
「目に見えないわかりにくいモノ」を退け
「目に見えるモノ」
「自分の脳に優しいモノ」だけをチョイスできる時代
社会(特にビジネスシーン)にいると
「抽象」という存在がひどく弱いものに思える瞬間がある
社会が求めているものは「具象のみ」であるような気さえしてくる
けれどいざ社会を抜け出すと
「抽象」は時として
否、
ほとんどの人間活動のシーンにおいて
いかなる表面的・具体的な「説明」よりも
強い共鳴を運んでくる
小生は基本そこを信じる
底を信じる
アートにとどまらず
人は「抽象」でしか繋がれないとすら思う
さて、ほんだら
お前の「抽象」の定義てなんやねん
と
わからん
わからんけど
果たして
それを表出した者は
それを「抽象」と意識したのだろうか
感覚的
抽象的
なんてものは
第三者の判断に過ぎないのではないか
作り手にとっては
その色やその音やその形こそが
自身の感覚中の「具象」なのではないだろうか
少なくとも
作り手の感情や生活みたいなものは
そこに必ず滲んでいると信じる
そこを
底を深掘ることこそが
つまりは「想像力の交換」こそが
人と人のコミュニケーションの本来なのかもしれない
なんてことを小生は思うのでR
偉大な作家さんたちと
そんなような会話を
二時間半くらいぼそぼそしていた2023夏
何も言えなくて夏
『言葉で表現できなくなった時、音楽がはじまる』
ドビュッシー
『大人になるってのは成長なっしー』
ふなっしー
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