谷崎潤一郎『陰翳礼讃』/美学とアートとクリエイティブについて
実家の近くに記念館があるので、小さい頃から谷崎潤一郎という名前には親しみを感じていたが、まともに読んだのは二十代半ばだったと思う。
さてこの『陰翳礼讃』。
谷崎が日本の「美」について(特にその影と闇について)語る一冊。
欧米ディスのようにもとれる部分も多いwけれど、個人的に日本カルチャーが好みだし(サリンジャーやアップル、ゴッホなど強い興味を抱いた対象も、奇しくも禅や東洋思想、浮世絵に傾倒していたということが多い)、
『日本』の『美』の真髄は「装飾」ではなく『影』にあり、と語る本著の内容は、おこがましいけれど自分の美学にも通じるようで好きだ。
何を読んでも谷崎節はただひたすらに美しいのだけれど、その谷崎が『美』について語るのだから、そりゃもう読み応え十分。
例えば、『白人の肌の白さについて』のくだりなどはさすが秀逸かつユニーク。
著者は、「女性の美しさはその白さにある」とした上で、
『白人の白さも素晴らしいけど、笹紅(玉虫色の口紅)とオハグロ、眉毛も全剃りで闇の中で微笑む日本人が一番白く見えて最強ちゃうんか? で、その肌の色を活かす手法を考えた日本人最高やないか』
みたいなことを語っている。
※僕的な解釈です。
要は名著。
例えば、
『われわれ東洋人は何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を想像するのである。「掻き寄せて結べば芝の庵なり解くればもとの野原なりけり」という古歌があるが、われわれの思索のしかたはとかくそう云う風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。』
『陰翳礼讃』より抜粋
で、よく考えると、自分には「美しい」という口癖があることに気づく。
『美しいものをつくる』『美しく撮る』『美しいことがしたい』などとよく言っている気がする。
一方で、「綺麗」という言葉の信用度は、僕の中では少々低い。
僕の中では、「美しい」と「綺麗」は別もの。
「ただ綺麗なもの」は、ある程度誰にでも「作れる」ように思えてならない。
「掃除」をすれば、
「造形」を整えれば、
慣例にならえば、
マニュアル本を真似ればできてしまう領域がほとんどのように思えてならない。
そして、形あるものはいつか必ず崩れゆく。
「綺麗」を基準にし、「綺麗」に固執すると、人は「執着」の生き物になってしまう。
(※「綺麗」を造形と定義したとして)
圧倒的に綺麗なもの、は別として、
ただ綺麗な言葉に、
ただ綺麗な作品に、
ただ綺麗な音楽に、
ただ綺麗なチームワークに、
ただ綺麗な人間に、
ただ綺麗な◯◯etc……に、
少なくとも僕はあまり感動しない。
(ただ、『綺麗事』は嫌いじゃないから、これについてはまた今度考察してみよう)
しかし「美しいもの」は違う。
「美しい」は心を動かす、身体を動かす、震わせる、時にはその両方を狂わせもする。
では「美しい」とは一体なんだろう。
美しい作品と綺麗な作品
美しい人と綺麗な人
美しい時間と綺麗な時間
美しいチームワークと綺麗なチームワーク
美しい生き方と綺麗な生き方
美しい言葉と綺麗な言葉
美しい人間関係と綺麗な人間関係
etc……
これらの違いはなんだろう。
残念ながら、これらを簡潔に表現できるほどの日本語力を僕は持ち合わせていない。。。
(持ち合わせてないんかい)
しかし、
何が美しく、何が美しくないか、
は判断できる気がする。
むしろ選択の連続である人生において、僕は唯一それを指針として物事を選んでいるように思える。
(『ロックかロックじゃないか』で判断するロッカーみたいなものか?)
つまりは「それ」は確実に「ある」はずなので、これもまた掘り下げてみよう。
あくまで例だが、「美学」に通じる例を一つ思いついた。
「仕事」でモノづくりをしていると、せっかくのクリエイティブやアートの現場に「ヤンキーイズム」を持ち込む輩がときおりいる。
(ここで言うのは、いわゆる思春期寄りのヤンキーイズム)
こだわりすぎだの、細かすぎだの、几帳面だの、真面目だの、普通は◯◯だだの、ストイックだのetc……と、謎の「いけるっしょ感」を醸し出す輩。
「ノリ」以外を否定し、何かと有体の言葉でカテゴライズしたがる輩。
これは美しくない。
なるほど「そういう文化」や「そういう局面」もあるにはある(『ノリ』は自分も大切にしている)。
しかし、こと『モノづくり』において、ヤンキーイズムはいらぬ概念だ。
偏執的であろうが、谷崎のように「変態」と言われようが(そもそも「変態」じゃない表現者などいるのか??)関係ない。
というより、当たり前のことすぎるのだけれど⋯⋯
そういう輩には本著をおすすめするw
とにかく、自分自身が美しい人生を歩めているかどうかは一旦置いておいて、、、
これからも自分に嘘をつくことなく、自分の中の「美しさ」を追求していきたい。
『まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ』
『陰翳礼讃』より抜粋
らっしゃい
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