自分の書いた文読むのめっちゃ好き

noteを書くようになって改めて気付いたのですが、私、自分で書いた文章を読むのかなり好きですね。結構読み返していたりします。

読んでみてどうか

自分の気持ちが素直に書いてあっていいね!とか、ここの文章リズミカルでいいね!とか思いながら読んでいます。

なにせ自分が書いているので、そうだよなと頷いたり、ここは盛り過ぎ書き直しとこ、みたいな感じです。

恥ずかしくはないか

無駄に大袈裟にしたり思ってないもいないことを文章にしたりすると恥ずかしくなるので、特にその辺りに気をつけて文章を書いています。

口調を『だ・である』調にしないのもそれが理由で、わざと強く言い切って言い聞かせている感を覚えるのが引っかかるため、なるべく『です・ます』調で書くようにしています。

自然体で書くと頭の整理になる

文章をなるべくシンプルに、素直にと、整理して書いているのが頭の整理になっています。いつもごちゃごちゃ考えていて脳に負担を掛けっぱなしにしているので、適宜アウトプットするのは自分の健康にも良さそうです。書いていて楽しいというのも大きいかもしれません。

文章を書くのが好き

薄々気付いていましたが、文章を書くこと自体も好きかもしれません。まあ、そうでもなければシナリオライターの仕事はしてなかったと言えばその通りなのですが。

『○○せずには居られない』の○○

絵や漫画を描くことも、ゲームを作ることも、動画配信をすることも好きではあるのですが、自分の中では割とカロリーが高く、やらずには居られない、という域に達するにはまたまだ遠そうです。

私は、創作者の素養の一つとして『○○せずには居られない』というのが大事だなと思う事があります。イラストレーターであれば絵を描くこと、ゲームクリエイターであればゲームを作ることがそれです。好きだけどその域に達していないというのが、結構なコンプレックスというか、自分の好きを疑う原因になっていることに最近気づきました。

その一方で、文章を書くことはわりと普段からやっていた事にも気付きました。深夜、友人が寝てる間にゲームについての持論や、創作の備忘録を送り付けるという迷惑な壁打ちを偶にしていたのですが、見せる相手が居ないので頻繁に書いていなかっただけで、書きたくなったから書くで結構書けていました。

自分にとっての『○○せずには居られない』の○○は、『文章を書くこと』なのかもしれません。

自分が読みたいから書く

自分が興味を持っている事について書いて、人に読んで貰えて、お話しができればなお良いのですが、一先ずは自分が読みたいから書く、で文章を書けるのは良いことだなと思っています。

私はお喋りなので、対面やチャットでの会話ですと結構いい加減なことを言ったり勢いで喋ったりしてしまうのですが、文章にすると言葉が整理されるのも良い作用がありそうです。途端に自分が真面目で良い奴に見えてきます。偉いぞ。

文章を書いていると、自分のことを好きになれる気がします。

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