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平和のためにできることを考えてみた

ウクライナとロシアの問題、連日のようにテレビで報道され、多くの人の関心事になっていると思います。そして「平和のために自分たちができることをみんなで考えませんか」とか「自分の無力さを痛感する」といった投稿をよく見かけます。

が、実はわたくしは、社会全体で起きている動きにちょっとした違和感というか矛盾を感じているんですよね。

矛盾を感じた出来事

地球愛

地球愛祭りっていうのが2015年ぐらいに行われています。環境活動している団体とか食料問題を考えている団体のブース出展や音楽ライブとかやってたんですが、個人的にはそこでちょっと違和感を感じていました。

地球愛っていうこと、環境を守っていこう、地球を守ろうというメッセージを、みんなに啓蒙する活動として行っていることは理解できますし、啓もう活動は必要だと思うんですが、そのイベントをやってること自体が地球愛と矛盾しているように思っちゃったわけです。(別に否定しているわけではありません、個人的な感じ方の問題です)

電気自動車

同じような矛盾は電気自動車に乗ろうというキャンペーンに対しても感じるわけです。電気自動車って排気ガスを出さないから環境に良いみたいに思われてる節がありますが、実はその電気を作るために、温室効果ガスを排出してるので、どこで排出するかの違いだけなんですよね。

本当の意味で環境に良いことをしたいと思うなら、車に乗るっていうことをやめない限り難しいわけです。

自分にできることって何?

じゃあ何をやるんだということになりますが、それは自分の生き方とかあり方で地球を愛してるよっていうことを示すしかないかなって思っています。

自分が気づいた時に目の前に落ちてるゴミを拾うこととか、海行って気持ちいいなーって思ったついでにゴミを拾ったり、ちょっと地球のためになるようないいことを日常の中で無理のない範囲ですることじゃないかなって思うんです。一箇所に人を集めてでかいことをやろうじゃなくて、一人一人が目の前にあるものを一つ一つ丁寧にやっていこうということ。

平和について考えるも同じ

それと似たようなことを感じているのが、今ウクライナとロシアの戦争を見てみんなが平和のために何ができるか考えましょうとかって呼びかけている状況です。

そんなみんなに呼びかけなくても、自分の在り方を整えて、それをじわじわ広げていって一人一人が目の前の人と平和な暮らしをすることにフォーカスしていけばいいのになとおもうわけです。

むしろ、平和のために何ができるかやろうと呼びかけると、自分の正義論と他の人の正義論の間にまた違いが生じるので、下手すると争いの元になるんじゃないかなと思ったりしてます。

自分の在り方が自然にトトノウ場

3月から「ワクでき星」というオンラインサロンを立ち上げる予定です。
ワクワクできる人たちが生まれるところであり、ワクワクできる人たちのふるさとになるような場所。

そこではノージャッジな空間で自由に話すことで、自然と自分の在り方が整っていく。

気になる方は、チェックしておいてくださいね。

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