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コロナ禍、19歳孤独出産の話

はじめまして。
19歳で妊娠結婚出産し、現在娘は生後9ヶ月に入った所です。

さて、私は18で付き合った現旦那と
同棲を経て結婚出産したのですがその話はまた今度。
今回は私が覚えておく為にも、
現在のコロナ禍に出産、妊娠を経験した人達、
現在向き合ってる人に、
仲間だよ、頑張ろう。と
少しでも支えになれたらという気持ちで
私の話をさせて貰います。

2019年、19歳の秋に現旦那の子供を身ごもりました。両親の猛反対を"産む、結婚する"の一点張りで押し切り、最終的には祝福して貰い、大きな結婚式をあげて、無事結婚しました。

予定日は私の20歳の誕生日の次の日5/11でした。
私は自分の出産が孤独出産になるとは
思ってもいませんでした。

妊娠7ヶ月に入った頃、コロナウイルスが中国で発現したとか、そのウイルスを乗せた船がどっかの港に着いたとか。私は結婚式を控えていたのもあり、ほぼ無関心。旦那のママが「これからマスクが無くなるらしいから買っときな」と言っていたのをそんなわけなかろう。と聞き流し、その後見事マスク難民になり、旦那ママ、ゴメンとなりました。

2/16、ちょうど一年前に結婚式を無事に挙げました。妊娠8ヶ月か7ヶ月でした。

その頃から猛威を振るい始めたコロナ
世界中の人がマスクや消毒を求め
ティッシュやトイレットペーパーが消え
店が閉まり、家から出られない生活。
妊娠後期、ストレスMAXの中
旦那と家に永遠に2人。私の心は「苦」一択。
ひたすらYouTubeとあつ森の日々。

ある日健診で病院へ行くと、助産師さんから
「ヒラマさん、立ち会いとお見舞いは
ヒラマさんのお母さんと、旦那さんだけです。ごめんね、それから毎回検温して頂く事になるの」
と告げられました。
まぁこのご時世だし、元々立ち会い希望しないし良いけど。ほかの妊婦さん達はショックだろうな、って感じ。

その次の健診の時、助産師さんに告げられました。
「ヒラマさん、ごめんね。出産は立ち会い禁止、入院中もお見舞いとか、荷物の受け渡しも無理になったの。入院する日も、病院の玄関で旦那さんとバイバイになるの。ごめんなさいね。」

入院中も旦那に会えない?母にも家族にも
友達にも生まれたての娘を見て貰えない?
なにそれ、辛過ぎる。
私は帰りの車、そして家に帰ってからも
1人で涙をぼろぼろ零しながら現実を受け入れようと
整理していました。

"たかが一週間、家族に会えないのがそんなに辛いか
皆頑張ってる、仕方ない"

世間の考えはこうだと思います。でも妊婦の私、元々旦那と離れたくない私、母が大好きな私は
ただただ悔しくて悲しくて、ぶつける事も出来ない怒りを必死に飲み込みました。
娘をみんなに見てもらいたい。
生まれたてを抱いて欲しい。
ホントは生まれて1番に、私より先に
旦那に抱っこさせたかった。それももう叶わない。
悔しくて悔しくて、ムカついて、辛かった。
でも、仕方なくて、私だけじゃ無かった。
必死に考えない様にしました。

気持ちの整理が着いてきた頃、健診の日には
同じ位の妊婦さんを見て
今この待合にいる私達はみんな
1人で母になる瞬間を迎えるんだ
この人たちだけが同士で仲間で、入院中に会える人はこの人達と先生達だけだ。
とみんなの顔とお腹をしっかり見ました。

出産当日、予定日の4日前で私の誕生日の三日前
5/6、pm10:40。陣痛にいよいよ耐えられなくなり
号泣しながら旦那に連れられて病院に入りました。
旦那が荷物を看護師さん達に渡しているのを横目に
私は陣痛室へ。
少しして看護師さんが「旦那さんに検温させて、1回呼んでくるね!バイバイしようね!」と言って呼びに行ってくれたのですが、
「ごめん旦那さん、会ったら帰れなくなるんでこのまま帰りますって帰っちゃった。」と言いながら帰ってきました。

旦那ァァァ!!!

後日、「帰れなくなるのは俺が寂しくてとかじゃなくてお前が帰してくれないから。」と語った旦那。
ぐうの音も出ねぇ。アッパレ。

それから6時間前後1人で、
厳密に言うと助産師さんを3人付き合わせて
激痛に耐え、「腹を切ってくれ」「なんか薬くれ」
「もうやめたい」「もう絶対に子供なんて産まない」などと病棟中に響く絶叫を惜しみもなく吐き出し助産師さんを困らせ、すぐ近くの新生児室の赤ちゃんを起こして泣かしながらも、
無事に元気で可愛い女児を出産。

途中、突然連絡がとだえた私に心配した母から
携帯に掛かってきた電話を助産師さんに出てもらった気がする。「娘さん頑張ってます☆声聞こえますか?☆」みたいな感じで言われてた間も、私は水ゥウ!!!腰摩ってェエ!!と絶叫してました。

頭に浮かんだのは中学時代に世界で1番嫌いだった女
「あの子にもこんな思いはして欲しくない」と
思うくらい、人生で1番痛く苦しい時間でした。

諸々落ち着きam6:00。
旦那と家族に生まれたよのLINE。
カンガルーケアの写真付き。
家族は大喜び、旦那は寝ていた。

そんなこんなでドタバタと孤独出産を終えた私ですが
実際出産に関しては旦那やママが居なかったからこそ
全力出せたんじゃないかと思います。
旦那やママが居たら甘えてしまっていたと思います。
私って結構強いなと思いました。


でも、1番辛いのは産後の入院6泊でした。
寂しいし、おっぱい岩だし、乳首取れそうだし、
全身筋肉痛だし、眠いし、お股痛いし…。
正直地獄でした。母子別室だったから
生まれたばっかの娘の写真とか撮って送ったり出来ないし。
新生児自室も赤ちゃん見えるようにされて無いし。
ほんとに孤独で地獄で毎晩隠れて泣きました
大部屋だったのに私1人だったし。
でも、若さ故かあまりお腹が膨らまなかった故か
お腹が妊娠前とほとんど変わらない位に
ほぼ全部凹みました。

余談ですが、入院中に20歳になった私は
最初のおめでとうは看護師さん、誕生日ケーキは
たっまたま病院食に付いてきた小さいシフォンケーキ。
記念すべきハタチなのに…。って感じでした。
自分への誕生日プレゼントに乳首保湿クリームを
病院の売店で買いました。

退院前日の朝、今日乗り切ったら旦那に会える!
とウキウキしていましたが助産師さんが来て
「娘さん、ちょっと黄疸出てるの。ずっとライト当ててるんだけど…もう一日入院延長になりそう。」
と告げられました。私ポカーンとしました。
正直泣きました。でもまぁ娘のためということで
仕方ないと思おう…然し踏んだり蹴ったりだなおい。
と思いました。

娘が日サロ見たいな機械に入れられている光景をチラ見しました。
まぁ幸い重いものでは無かったので
あまり不安では無かったです
ぶっちゃけそれより入院長引いた事の方がでかかったので。

そして翌々日の午前中、旦那が迎えに来ました。
やっと会えた旦那は、凄くよそよそしく
私もなんだか凄い汗が出るほど照れ臭く、
お?久しぶりじゃん?まぁ別に、久々感ねぇけど?感を無理やり醸し出し、娘と共に退院し、実家に帰りました。
家族に会えて、旦那に会えて、娘を抱いて貰えて
とっても幸せで嬉しくて
どれだけ孤独で辛かったか、改めて思いました
旦那に辛かった寂しかったを沢山聞いてもらい
実家族に沢山甘えました。

自粛期間だったのもあり、
妹が休校だったので、里帰りの間目一杯
育児をサポートして貰えました。
悪い事ばっかりじゃなかったなと思いました。
この時代を上手いこと利用してやりました。

私と娘の出産は
とても孤独で、辛かったです
私達と同期のママと子供達は
2人っきりで、乗り越えたんだと思います。

今は立ち会いも、面会もできる病院が
出てきているようで、私の後に出産した人達は
みんな立ち会いをしていました。
私はそれを心の底から「良かったね。」と
祝うことが出来ました

だから、
私達2020年の母と子はひと味違う

娘と同期の仲間たちはコロナベビー。
「こんな時期に生まれて」と可哀想に思う人には
「こんな時期に生まれたのに、無事元気に
生まれ育ったの凄くないか?」と言ってやりたい。

そして我々ママ達は
最悪の時代に子供達を守った勇者です。
母は強し。私達は強い。
悔しい思いをした分、強い。
一生に一度の我が子の誕生は
苦い思い出になったかもしれないけれど
娘の誕生日に毎回、
ママ強いんだぜ、って子供に話してあげようと思う。
娘にも、ガッツのある女になって欲しい。

妹が行けなかった修学旅行に、
日本中の学生が寂しく迎えた卒業式に、
私が行けなかった成人式に、
笑顔いっぱい送り出せるように。
みんなに囲まれて抱き合って青春を送れるように
守り抜きたいと、私は思います

医療従事者の皆さん
政治家の皆さん
大人のみなさんに
心から感謝し
私は娘と自分と家族を守りたいと思います

たかが20歳の小娘ですが
私はコロナの中で一皮剥けて母になりました

日本中のママに向けて、
ママになった周りの人に向けて、
"みんなよく頑張っています"を届けたいです

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